6. 新月

 今でも、鮮明に思い出せる。


 戦争で両親を失い、孤児になったソフィアが連れて行かれたのは、薄暗い、牢の中だった。死なない程度の食料が与えられるだけで、後は無法地帯。広い檻の中に、多くの子どもが詰め込まれていた。それを見て、聡明なソフィアは悟った。自分の未来は閉ざされたのだ、と。

 無論、人間らしい扱いは受けない。家畜より酷い扱いを受けていたものだから、『希望』という二文字を信じることはなかった。誰一人として、そんな言葉を口にしなかった。するだけ無駄だとわかっていた。

 悲しかったのは一週間ほどだけだった。後は次第に慣れていったのだから、人間の適応能力とは恐ろしい。いつしか思考することすらなくなり、虚な日々を送っていた。


 転機は唐突に訪れた。いつもの男たちよりも随分と良い格好をした男(おそらく帝国騎士団であろう)が、誰かを探しているようだった。ソフィアがいつものように思考を殺していると


「ソフィア。お前がその名の持ち主だな?」


身分の高そうな男はソフィアに声をかけた。


「ギルベルト。今日から、お前の飼い主になる男の名だ。覚えておけ」


ギルベルトの名乗った男は、非常に冷たい目をしていた。しかしソフィアの目には、その瞳に『希望』が宿されているようにも見えた。訳もわからないまま、手足の鎖が外され、牢からも出される。ギルベルトに手を引かれ、ソフィアは久しぶりに外の景色を見た。

 満点の星空、明るく道を照らす月、明かりがついた家の数々。

 ソフィアは戦争が終わった実感を、初めて、そこで感じた。ギルベルトはそんなソフィアに


「戦争は終わっていないぞ」


衝撃の事実を言い放った。


「簡単に終わるものか。今も、どこかで誰かが命を落としている。完全に戦争を終わらせるのは難しいことなんだ」


ここで、ソフィアはある疑問を抱いた。


「何故、奴隷の私にそんな話を?」


急に話し始めたソフィアに、ギルベルトは少し驚いた後、


「お前が、戦争を止めるための第一人者だからだよ」


ソフィアの頭を撫でながら、ソフィアを買った理由を話し始めた。


「お前、十年前のこと覚えているか?」

「……戦争で、両親を失いました」

「違う。その前。大きなことがあっただろう」

「戦争以外で、ですか?」

「関連はしている」

「心当たりはありませんが……」

「無自覚か。天才は怖いねぇ」


ケラケラと笑うギルベルトをソフィアは睨む。


「それで? 私が何をしたと言うのです」

「策士の父親に、何か話さなかったか?」

「……あぁ。作戦が思いつかないとのことで、案を出しましたね」

「お前の父親、自慢げに話していたよ。『娘が勝利へ導いた。娘の作戦は完璧だった』って。脅威の、味方の死者ゼロ。ウチの策士たちも、国王も、脱帽していたよ」

「父が徴兵されていた頃の話ですか。あの作戦が役に立ったのなら、何よりです」


言葉とは裏腹に、ソフィアは悔しそうに言う。ギルベルトはソフィアの想いを汲み取ると


「それでも、戦争は終わらなかった」


彼女の代わりに、その言葉を口にした。悲惨な光景を思い出し、ソフィアは唇を噛む。


「悔しいだろう。俺も悔しい。戦争というのは失うばかりだ。上層部のくだらない喧嘩に巻き込まれる身にもなれって。クッソくだらねぇ。子どもレベルの喧嘩だ。ホント、早く終わらせたいんだよ、こっちは」


帝国騎士団に身を置きながら、世の中の在り方に不満を抱き、上司に文句を言う彼に対して、ソフィアは物珍しそうな顔をして彼を見る。


「そこで、だ」


ギルベルトは、一枚の紙をソフィアに見せた。先程の取引の領収書。取引額を見て、ソフィアは息を呑んだ。


「凄いだろ。十億だ。これに加えて、お前には快適な暮らしが約束される」

「……目的は何ですか」

「睨むなよ。お前は策士として我が国を勝利へ導き続けてくれれば……」

「奴隷に十億。快適な暮らし。この裏に、何があるのかを聞いています」

「……鋭いな。浮かれてはくれないか」

「馬鹿でもわかりますよ」

「可愛くねぇ〜」


 結局、最後まで真相は闇の中だった。しかし彼がソフィアの人生を変えたことに関しては、違いない。ギルベルトの宣言通り、ソフィアには快適な暮らしが与えられた。代わりに、軍事作戦を考える仕事は絶えなかったものの、それなりに幸せを得ることができた。両親がいた頃よりも、裕福であったことに違いはない。


 始めはギルベルトの二人きりだった自室にも次第に人が増えた。医者のカミーユ、コンビを組むことになった相棒のノア、その友人のミロとシャルロット、そしてノアの部下のルーク。


 その中でも、ノアとの出会いは運命を感じるものだった。始めこそ、『頼りない相方』だと思っていたが、彼の優しさや強さに惹かれて、気がつけば好意を抱いていた。それも、恋愛的感情を含む好意だった。

 だが、ソフィアの中で消えないものがある。自分が奴隷である事実だった。ノアは優秀かつ育ちの良い男。自分に釣り合わない、と信じて疑わなかった。

 そこで、ソフィアは『最高の相棒』を演じることにした。容姿端麗、頭脳明晰。美しく強い女になる努力をしていた。隣にいるためには、それしかなかった。


 今はどうだろう。

 欠陥品だ。

 美しくない。

 結果的に傷ついたのだから、強くもない。


 ギルベルトは、何としてでもノアから都合の良い言葉を引き出してくるだろう。そういう男であることは、長年の付き合いで、よく知っている。


(偽りの言葉に価値はない……)


ギルベルトがソフィアを外に出すことを望んでいるのなら。優しいノアから、心苦しい偽りの言葉を出させる前に、自ら、出ていくべきだ。それが、奴隷としてできる恩人への奉公。

 ソフィアは片方の拳を握りしめると、重い体をゆっくりと起こし、這うようにして、隅の方に用意されていた車椅子に乗った。彼女の瞳に映っていたのは、覚悟と諦観だった。

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