第3話 母親
『あんたを産んだのは、間違いだった』
セナは母の最期を、よく覚えている。
母は同性愛者だった──だが、それを隠して男と結ばれ、セナを産んだ。
自分に嘘をつくのに限度があったのだろう。母はセナとの家庭を築きながら、別の女性と愛し合っていた。
その女性は、母の横で真っ黒な焼死体となって転がっている。
母の抱きしめるハードカバーの本には『カラーパープル』と記されていた。
寄り添う黒人女性がプリントされた小説は同性愛の要素があるため、押収、焚書の対象となっている。
セナは銃口を母に向ける──母は、ぎゅっと『カラーパープル』を抱く力を強めた。
母には失望した。
こんなにも、自らを産んだ人間が汚れた存在だとは思わなかったからだ。
セナは母の処刑を、自ら志願した。
同類だと、思われたくなかったからだ。同性愛者を家族とは、呼びたくなかった。
ガンフェルノの銃声は、母の心臓を『カラーパープル』と共に貫いた。
母と本を焼いた時、自分は大きな仕事をひとつやり遂げたのだと……正義のための執行だと誉れ高い気持ちになった。
セナは待ち合わせ場所の周囲をぐるりと見渡す。
立ち並ぶビルの高層階の窓からは、無機的な光が街を照らし続けていた。
街頭のデジタルビジョンには、レジーナの姿が大きく映し出されていた。冷たい瞳と厳格な表情が監視されていることを常に思い起こさせる。
『愛は規範の元に』
デジタルビジョンの隣に掲げられたスローガンが視界に飛び込む。
本当にそう思う──性の乱れは人、国、世界の全てを乱れさせる。自由恋愛など、狩猟採取の原始人そのものではないか。
汚れた野蛮人は、即刻排除せねばならない。そうして人間は更なる高尚なる存在へと昇華しなければならないのだ。
「セナ……さん、ですか?」
振り返ると、写真通りの男が立っていた。
自分と同じ黒いジャケットコートを纏っている。そういえばプロフィール欄に『粛清者』と書かれていたような気がする。
セナにとって交際相手のプロフィールなど、すっかり見飽きているため、思わず見逃してしまったのだろう。
「はじめまして。セナ・フォスターです」
「リチャード・グラハムです。お会いできて光栄です」
リチャードと名乗る男は、目にかかる程度にたなびいた金髪、シャープな顔立ち、そして控えめな笑みが惹きつけられる、
「行きましょうか」
セナはリチャードの指と指を絡めるように握ると、早足で歩き始めた。ここまでの流れはすっかり様式美だ。
★
「ここのシェフは、肉の焼き加減をよく分かっている。気に入ってくれるといいんだけど」
リチャードは肉を切り分けながら穏やかに笑う。
正直言って肉の味は、よく分からなかった。
セナにとっては皿に乗ったディナーよりも、目の前の男を観察することで手一杯だったからだ。リチャードの顔や体躯を見渡す。
程よい肉付きに、健康そうな見た目。
落ち着いた話し方で、少し話せば教養の有無も分かる。
間違いなく、これまでの男よりも期待できる──逆に言えば、最後のチャンスかもしれない。
「では、行きましょうか」
セナは最後の肉の一片をワインと飲み干すと、席を立つ。
「随分と積極的だね」
「あんまり、焦らさないでください」
わざとらしく誘ってみた。
これ以上の御託は必要ない。
セナにとっては、この次が重要なのだから。
★
また失敗──。
セックスしながら絶望するのは、これが初めてではない。
セナがベッドに仰向けになり、リチャードが前屈みになって腰を振っていたが、彼の方も全然気持ちよさそうではなかった。
いつもは男の方だけが気持ち良さそうにしているのを眺めていたが、今夜に至ったはどちらも興に乗っていない。
であれば、これほどまでに無益な時間もないだろう。
「やめましょう」
セナは告げる。
合わないと分かれば、話は早い。こういうのは早めに言ってしまうべきだ。
「……そう、だね」
リチャードはセナの元から離れる。
彼女はベッドから降りると慣れた手つきで下着をつけて、コートジャケットを羽織った。
「ごめんなさい。さようなら」
以前ならあれこれと言い訳をしていたものだが、もはや別れると決めた相手はセナにとって道端の小石に等しかった。小石に割く時間はない。
端的かつ一方的に別れを告げると、彼女はホテルの部屋を出て、すたさたと早足でロビーを潜り抜け、夜空を眺める。
「──また、やってしまった」
セナは今年で25。
彼女が18の時に国から交際相手を指定されてから7年間、ばっさりと断り続けている。
30歳までに結婚しなければ、国が制定した同い歳同士で否応なしに婚姻を結ばれてしまうため、猶予はあと5年しか残されていない。
現に、セナの母はそのケースだった。
強引に結ばれた結婚生活など上手くいくはずもなく、父は夜逃げし母は女の恋人を作り共に処刑された。
母と同じ過ちは繰り返したくなかった。
リチャードで妥協するべきだったのかもしれないという考えがよぎるが、もう手遅れだ。
セナはただ疲弊した肩を揉みながら、大きくため息をついた。
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