第2話 総統
セナは黒漆の革靴を鳴らして、白くて長い廊下を歩く。
その最奥にある豪華な扉に立ち、ノックをすると「入りたまえ」と返事がかかる。
「失礼します」
金色のドアノブを捻り扉を開けると「セナ」と女性の声がかかる。
「総統、お呼びでしょうか」
総統と呼ばれた女性──レジーナはセナの立ち姿を見て微笑む。
前髪を覆うほど長い金髪に、総統のバッチがついたブラウン色の軍服とズボンの制服、黒い帽子をかぶっている。
その背後には、先代の独裁者……彼女の父親の肖像が飾られていた。
彼女の座る椅子は父親の代から使われていたもので、金色の豪華な装飾は、まるで玉座を思わせる。
「よく来てくれた」
「──総統の、ご命令とあらば」
レジーナの微笑みに、無粋な表情で返すセナ。
「紅茶でもどうかな?質の良いものが入ったんだ」
「いただきます」
レジーナの声を聞いて、紅茶の準備をしようとする使用人の男性を止める。
「今日は私が淹れる。二人にしてくれたまえ」
「失礼します」
使用人が部屋から出ていくと、レジーナは玉座を立ち上がり、紅茶セットを取り出す。
自国を象徴するレリーフが刻まれたポットから注がれたお湯が、カップの茶葉を満たしていく。
「座ってくれ」
「失礼します」
テーブルを囲うように並んだ黒いソファに腰掛けると、その向かい側にレジーナが座る。
「セナ、正常性規範法第七条は?」
「同性愛者、近親愛者、異民族間恋愛者の集会やデモは禁止し、違反した場合は参加者全員に法的な制裁が科される」
すらすらと答えるセナを見て、レジーナは満足気に頷く。
「流石だ。こっちに来たまえ」
胸元から茶封筒を抜き出すと、テーブルに膝を乗せて体を乗り出し、セナの眼前までやってくる。
「な、なにを……」
「ボーナスだ。とっときたまえ」
そのまま封筒を、セナの胸元にねじ込むように入れる。
「いけませんよ、そんな」
「君はよく働いてくれている。これからもよろしく頼むよ」
レジーナはセナから離れると、ちらりと父の肖像を眺める。金髪の毛先を弄りながら気まずそうに「その……」と口を開き、
「……母のこと、恨んでいるか?」
「いいえ」
セナは即座に否定する。
「国家の安泰のため、やむの得なかったことだと考えております」
「──それなら、いいんだ」
セナの母は、正常性規範法違反により処刑された。
彼女が粛清者となって、ちょうど一年目のことで、自らの母に直接手を下した。
新人時代の彼女には、あまりに荷の重すぎる仕事だったが、あの一件以降、セナはより一層、粛清者としての仕事に誇りを抱くようになり、身を引き締めるようになった。
少し間を置いた後、レジーナは紅茶をすすりながら「それで──」と上目遣いで話を切り出す。
「どうだ、結婚の方は?調整局の方から通達があったと思うが」
「今夜、会う予定です」
齢18になると、政府が運営する婚姻調整局の方から手紙が届き、そこに記された同程度のスペックを持つ異性と交際することが定められている。
もし相性に問題なければ、そのままゴールイン──もし悪ければ、決別したことを調整局に連絡し、再度の通達を待つことになる。
セナは現在25歳、独身女性。
この7年間、調整局から通達された男を如く切り捨ててきた。
仮にも国家に準ずる存在である自分が、相手を決められないなどあっていいはずがない……と、心の中で焦りを感じていた。
「今度こそ、次こそは総統の……国のご期待に添えるように」
「そう結果を焦ることはない。一度で相手が決まるなら、決別も離婚も必要のない制度だ」
肝心のレジーナは、あまり婚姻制度には関心のない様子だった。そもそも、これらの地盤は全て先代の父が決めたものであるため、彼女も納得できていない部分はあるのだろう。
無論、こんな態度を示すのはセナ相手だけで、国民を前にすれば、たちまち毅然とした独裁者として立ち振る舞うことだろう。
すっかり温くなった紅茶を飲み干すと、レジーナはすっと立ち上がり、
「わざわざ呼び出してすまなかったな」
「総統の命令とあらば」
セナもカップを空にして立ち上がる。
「また来てくれるかい?」
「総統のご命令とあらば」
レジーナはセナの統一感のある返事に肩をすくめ、空になった二つのカップを布で拭う。
「もう行っていいぞ」
「失礼します」
扉を開けて出て行こうとするセナに、彼女は「最後に──」とセナを呼び止める。
「──そろそろ呼んでくれてもいいんだぞ。レジーナと」
「自分の立場上、それは参りません」
「相変わらず堅いな」
「失礼します」
レジーナの苦笑する姿を横目に、セナは総統室の扉を閉めた。
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