第16話 一撃


 千秋は、自分の力を放った姿勢のまま動かなかった。目の前には、首から上を失ったゴブリンの死体が転がっている。


 幸いなのは、それが5メートルほど離れた位置にあったことだ。また、綺麗に切断されたような首の輪切りも、グロテスクさを最小限にとどめてくれていた。


「よくやった」


 新庄が千秋の肩を叩く。その瞬間、千秋はどうしようもないぐらい全身が震えた。凍りついたような顔で新庄の方を向くと、無惨な姿で転がるゴブリンの死体が視界に入る。


「フッ! フッ! フッ! ハァッ! ハァッ!」


 千秋はうずくまって強く目を閉じた。


 こんな時、常世田は抱きしめてあげるのが1番だと思ったが、自分にはそんな勇気はなかった。


 すると、使い魔の王様が、ピコピコと足音を鳴らしながら千秋に寄り添い、彼女の背中に張り付いた。抱きしめているつもりなのだろうが、手が届いていない。


「お主は頑張ったも。胸を張るも」


 千秋はそのままお尻を床に付けて、王様を抱きしめた。王様は晴れの日に外で干した布団のような、太陽の香りがした。それは彼女の精神を癒し、安心感を与えてくれるものだった。


 王様はくすぐったそうに身じろぐ。


「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」


 精神を病んだことのある常世田は知っていた。彼女のように震えて呼吸を荒くする人は、感情を表に出すのが苦手なのだと。


 本当は泣き叫びたいのだ。しかし、本人の強さがそれを許さない。心のどこかで、かけなくてもいいブレーキをかけてしまっているのだ。



 上手に泣ける人は、こんなに苦しまない。



「新庄さん。千秋ちゃんだけど、門の主は無理じゃないかな。ここまで頑張ったんだし、休んでもらったほうが――」

「ダメ! ここで逃げちゃダメ!」


 千秋が王様を強く抱きしめながら叫ぶ。王様は中身の綿が口から出ちゃいそうになった。


「ふぉっ!? ふおおお!」

「千秋、やれるか?」


 服部が心配して声を掛けた。それは、逃げてもいいという選択肢を含めた、彼なりの励ましだった。


 千秋は深呼吸すると、スッと立ち上がった。万が一の時はリターンリングもある。そして、シヴァが助けてくれるということも、彼女の心の支えになっていた。


「やります」




――一行は最上階へ。




 13階の入り口には、魔法陣や幾何学模様が描かれた扉の『ボス部屋』があった。


 常世田の最初の門の主は6本腕の大きな鬼。服部が倒した門の主は巨大な蜘蛛だった。千秋は、最初のダンジョンで、巨大なヘビが破裂するところを目撃した。


 彼らは、この部屋の主も『巨大』であると推測した。通常、ゲームなどでは、巨大なボスは複数人で挑むのがセオリーだ。


 しかし、この『門』はソロ攻略を強いている。皆、それを知り、1人で挑むのは酷だと思った。


「いつでもいいぞ。まだ時間はある。焦らなくていい」

「フゥ、フゥ、フゥ。すーー、はーー。大丈夫。行ってきます」


 常世田は、すぐにリターンリングで帰れるように念を押した。


「焦らずに、『リターン』だ。入り口には神様たちがいるから、怖がらなくていい」


 千秋は、決心した様子で頷いた。


 彼女には、試してみたいことがあった。先のゴブリンの頭部を消し去った『消滅』の能力は、上手く扱えば敵の体全体を消し去ることもできるのではないか。


 死体を見るのが怖い千秋にとって、死体が残らない究極の破壊は、上手くコントロールすれば自分も敵も苦しまないで済む最適解なのだ。



 彼女は意を決して扉を開く。



 部屋に入ると、最初のダンジョンと同じような部屋の造りで、どう見てもビルの外観とは計算が合わない寸法の天井の高さ、床面積の広さだった。そして中央に祭壇が備え付けてある。


 扉が勝手に閉まる。


 千秋はリターンリングを左手で覆って、中央に現れる影に注目した。


 それは牛の頭部に屈強な肉体、何よりも体長5メートルという巨体に、両手には巨大な斧を持ったミノタウルスだった。


「グモオオオオオオオオ!」


 千秋はミノタウルスの雄叫びに首をすくめながらも、精一杯、体に力を入れて右手をミノタウルスに向けた。


 ミノタウルスは千秋に気付くと、長い足をズンズンと伸ばして、斧の長いつかを握り直す。それは鼻息を荒くして興奮しているようにも見えて、千秋は頭から血が抜けていくような蒼白感に襲われていた。


(逃げちゃダメだ。倒すんだ。みんなの為に。日本の為に)


 千秋は距離を目測していた。先のゴブリンに対する一撃は、爆心地が遠すぎた。その爆発の大きさもやり過ぎだった。


 ミノタウルスが接近する。


 10メートル、9、8――。5メートル地点で爆発するように、プラズマボールの大きさも5メートル。ギリギリだけど、自分も巻き込まれないように。


――6メートル、5メートル! 今っ!


 千秋の右手に瞬間的に光の粒子が発生し、それは勢いよくミノタウルスの体の中心へと飛んでいった。


キィーーーーン、バババババババ!


 光の粒子はミノタウルスを覆い尽くすプラズマボールとなり、轟音を立てて赤や青のプラズマを発生させる。


「キャッ!」


 それは千秋の鼻先を掠める爆発だった。急遽、後方へ飛び退いて尻餅をつく。


 千秋は、まるで花火のようなプラズマボールを『美しい』と思った。それは何度も実験を繰り返し、千秋が発見した反物質の新たな特性『自己増殖』であり、制御は難しいが、彼女は反物質を自由に増殖または減衰させることに成功したのだ。


 ミノタウルスは自分に何が起きたのか理解する間も無く消滅した。


「おめでとうございまぁーーーーっす!」


 千秋は背後から聞こえてきたシラヌイの声に、全身を痙攣させて叫んだ。


「イ゛ヤ゛ーーーー!!!」


 そしてそのまま床にしゃがみ込んでしまった。


「おや、驚かせてしまいましたね」


 シラヌイは、相変わらず上下逆な上に裏表逆の仮面を身に付けており、千秋から見ると、それが逆に恐ろしかった。


「やだやだやだ! 怖いんだけど! 何!?」

「またまたあー、あなたの能力の方が100倍怖いんですけど。わたくしにはやらないでくださいね」

「お面! お面が逆なの! 不気味! 怖い!」

「ええ!?」


 シラヌイは仮面を上下逆にした。


「違う! 合ってるけど違う! 半分足りてない!」

「ええ!?」


 シラヌイは仮面を90度回転させた。


「ブフッ! いや違う! そうじゃなくて! もう! あなた何なんですか!?」

「わたしは運営のシラヌイです。レベル1ダンジョンの成功報酬をお届けに参りました」


 千秋はお姉さん座りで涙を流し、シラヌイは丁寧にお辞儀をする。


 こうして、千秋の初めての門攻略はワンパンチKOという大勝利を収め、無事に成功報酬を受け取る運びとなったのだった。


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