第5話

 この村に来てから二週間が経つ。時間帯関係なく、湊は浜辺に来るようになっていた。

 すると稀に朝以外でも理紗に会える日があった。

「……どうかしたの?」

 今夜はどうその日らしい。

 あの夜、湊がしたようにかけられた声。顔を上げると、張り付いた笑顔を浮かべた理紗がいた。

「え、今何時?」

「八時……もう帰った方がいいと思う」

 彼女は湊の隣に座った。ワンピースから覗く白い腕は、相変わらず折れそうなほど細い。

 落ち込んだままで俯いた湊を見かねてか、彼女は口を開いた。

「……私、二年くらい記憶がないの。親は祈祷とかカウンセリングとか試したらしいけど。昔ここに住んでたって、昨日知ったの」

 彼女は俯いたままそう言った。湊はぱっと顔を上げてみせる。

「僕も。じゃあ、すれ違ってたかもね」

 理紗はきょとんと目を丸くしてから笑った。湊が首を傾げると、彼女は口を開く。

「……こんなに人がいないからさすがに覚えてるだろうなって。こんなに輝いて見える人、そもそも忘れないよ」

 いくつか疑問は残ったが、理紗の無邪気な笑顔に安堵して湊も笑った。その夜の理紗は、空一面の星にも負けないくらい輝いていた。


 


 楓が慌ただしく家に駆け込んできたのは、日付が変わった深夜二時前のことだった。大きく体を揺すられ、嫌でもすぐに楓と気付く。「何、不審者」

「着替え……なくていいな。車乗って、すぐ。呼ばれてんだよ」

「はっ?」

 いつにもまして真剣な表情の楓に気圧され、湊は玄関まで走る。家の近くに停められていた車に乗ると、すぐに車は夜道を進み出した。



 一時間後、やっと車が停まる。下ろされたのは村から離れた大きな病院の前だった。

「降りて。ありがとうございました」

 軽く頭を下げてから、楓は湊の手を引っ張って廊下を進んでいく。まだ寝惚けてもいるのに、説明もされないまま連れてこられた湊は眉間に皺を寄せた。

「痛いんだけど」

「ゆりちゃんがさ、倒れたんだよ」

「……は?」

 湊は気の抜けるような声を出した後、その手を振りほどいた。

「誰それ。楓の彼女とか知らないし、本当どうでもいい。もう眠いし何なの」

 次の瞬間、楓が急に立ち止まった。

「ねえ、かえ……」

 湊が一歩前に出ると、慌ただしい看護師や医者が見えた。

「ゆりって誰、あの先にいるの? ならもう」

「早く」

 口を尖らせたまま扉を開けると、真っ白な空間が浮かぶ。特別室に横たわる少女は医師や看護師に囲まれていた。

 何かで頭を思い切り殴られたような衝撃だったとも、全てが持っていかれそうな感覚だったとも思う。

 扉の手すりを掴む力は弱くなる。湊はやがてやっと声を漏らした。

「……何で」

 白く透き通るような身体に、たくさんの管を通した理紗がいた。

 立ち尽くす湊の背後から楓が声を漏らす。

「……間に合わなかったか」

「何が間に合わないの? まだあったかいよ」

「目覚めるのは奇跡でも起きなきゃ無理だってさ。それも一週間後か、十年後か」

「何で。僕はついさっきまで話してたんだよ」

 目を逸らした楓。どうやらいつもの軽口ではないらしい。

「理紗……」

 その手を握って、湊は来る日も来る日もその病院に通った。



 


 奇跡は夏が終わる二日前に起きた。

 湊を見て、彼女はこの世のものとは思えないほど愛おしい笑顔を浮かべた。

「理紗、理紗」

 大きな目をぱちくりさせて、彼女は一転張り付いた笑顔を見せる。

「やっと気付いたんだ」

 湊はその手を包んで、少し息を吐く。そして真っ直ぐ目を合わせた。

「君が好きだ。初めて会ってから、ずっと。隣にいてほしい、理紗」

 彼女は目を潤ませて、そして苦笑いした。

「……まだ私たちは似てたんだね。ごめんね、私は百合だよ」

 躊躇いがちに病室に入ってきたのは、理紗だった。百合と同じ病衣を纏い、点滴棒を引いている。言葉を失った湊に、百合は告げる。


「私は百合。平鹿百合。理紗の双子の妹だよ」


 平鹿百合はふっと目を細める。理紗はきゅっと唇を噛んで彼女を見つめていた。

「僕が会ってた理紗は? 元気な理紗はどこ?」

 病室へ連れ戻される理紗を横目に、百合が口を開く。

「理紗、元々身体が弱いの。秋にはって言われてて……抜け出してたんだね」

「り……えっと、百合は、何で」

 ああ、と百合は笑う。

「私、小学校から子役やってて……無理が祟ったみたい」

「……ああ、平鹿百合ってあの。どおりで姉妹揃って綺麗だね」

 百合はゆるゆると首を振った。

「……私はもう綺麗じゃないよ。ううん、私なんてとっくに捨てたの」

 そう言う百合の目は輝きを帯びていた。

「でも夢の中で、君がまた私を呼んでくれたの。あなただったんだ、湊」

 口を開けたままの湊の手を百合が包む。

「この村で、私はあなたに未来を貰ったの」


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