閑話01:天文学者カミルと居心地のいい隅っこ・後編

 三番目の姉ヴェトカの入り婿とお茶をしていたら、何故かお客がもう一人増えた。

 この若き資産家は、ぼくの二番目の姉フィーナの男友達であり、出資者であり、まあ平たく言えば腐れ縁の間柄であるという。

 彼は自らの手土産であるショウガ入りクッキーを手早く平らげ、ミルクティーをぐっと煽ると会話に参戦した。


「ほら、カミル君とボクって似た者同士じゃないか」


「ふーん」


 なんの留保もなく断定してきたな。

 ぼくが否定も肯定もせずにいると、目の前の洒脱な青年は「怒ったかい?」と肩をすくめてみせた。


「いや別に。とりあえず続けてよ」


「もちろんだとも」


 彼は芝居がかった動作を交えて再び語り始めた。


「カミル君、キミもボクも心は外に開かれている。世界は興味深い物事でいっぱいで、己という器を驚嘆に値する何かで満たすことこそが生きている証と思い定めている訳だろ?」


「ぼくの生きる指針がどうして他人に定義されているかはともかく、君にとっての人生の意義が『それ』な訳だね?」


「そうさ!」


 ジンジャーブレッドを大人しくかじっていた三女の婿殿が顔を上げる。


「そうやって何もかも白と黒で塗り分けるのは、乱暴な考え方なのでは?」


 婿殿にしては珍しい物言いだ。

 彼は我が家においてとにかく身を低く保ち、ひたすら控えめに振る舞っている。

 配偶者の姉の男友達とかいう、利害関係の薄い人物(というかほとんど他人だ)が相手のためだろうか。


 当のボーイフレンドは愉快そうに彼の反抗を眺めている。

 ……特に反論する気はないようだ。

 仕方なしに話に介入する。


「ま、乱暴な物言いではあるよね」


「そこの家庭的ホームリーな彼の意見に同調するのかい?」


「ぼくは別に誰の味方でもないよ。ただ、定義づけの話をしたいだけ」


「ああ、そういうのが気になるタイプ」


 なんとでも言ってくれ! 


「――とにかく、君にとっては自分の中に容れる物事には絶対の指標があるようだね?」


「それはそうだろう? 自分の心に嘘をつかないだけでいいのだから」


「心そのものが嘘をつくとしても?」


 ボーイフレンドは、あれほど饒舌に操っていた言葉を途切れさせて、ぼくの顔をじっと見つめた。


「心って、要するに気分だろ? 気分は移ろうものだ。腹が満ちれば勝手に浮きたち、風邪でもひけば世界がちょっぴり呪わしくなる」


「……」


「ぼくとしては器としても示準としても信頼性が乏しいように思うのだけど」


 こちらの結びの言葉を受けて、ボーイフレンドはなにやら考え込んでいる様子だった。

 ものはついでだ、ぼくは彼に対してかねてからの疑問をぶつけることにする。


「そもそもの話、きみって今も人生楽めてるの?」


「そこを疑うのかぁ~?」


「いや、だって最近の投資も置きに行ってる風情だって聞いたし」


「ぐぬ……フィーナがそんなことを?」


 ぼくは無言で肯く。

 なんと婿殿も。


「えっキミですら」


「『ですら』とはご挨拶ですね……正確にはフィーナさんとヴェトカの茶飲み話を聞くともなしに聞いていた形ですが」


 どっちにしろ、ボーイフレンドにとっては寝耳に水の話のようだった。


「……いつの間にか守りに入ってたのかなあ」


「そこが気分を土台にした時の怖さかもね。行動指針は気持ちで決めるべきでも、継続させるには意思の力が要る訳でさ」


 彼は無言で暖炉の火を眺めている。

 ぼくの言葉に耳を傾けている様子はあったが、反射的な応答をいったん止めているようだった。


 大の男が三人、無言で暖炉を囲んだまま時間は過ぎる。


 そんな、傍らの赤ん坊の健やかな寝息すら聞こえそうな静寂を破ったのは、何やら遠くから近づいてくる微振動なのだった。

 ぼくはこの足音に覚えがある。

 子供の頃から幾度となく追いまくられているからだ。


「――坊ちゃん! またこんな所に隠れ潜んで」


 ドアが開くのと同時に、胴間声が室内に響き渡った。


 禿げ上がった額を光らせ、仁王立ちで睥睨しているのは一番上の姉、マルカの夫だ。

 とはいえ彼との付き合いは彼が我が家のいち従業員だった頃からだった。

 結果、当時からの呼び名である『坊ちゃん』と『番頭さん』を更新できないまま今に至る。


「しーっ! 番頭さん、声がでかいって!」


 ああ、遅かった。

 傍らの手つき籠クーハンから、ふええ、と泣き声があがる。


 あたふたと立ち上がって右往左往する男連中を後目に、番頭さんがクーハンへ大股で歩み寄る。


「あっ!」


「この月齢の赤ん坊なら、誰が相手だろうが大差ない――母親を除けばだがね。父親に任せて平気なら人見知りもしないという寸法だ」


 慌てて駆け寄ろうとした婿殿を制し、番頭さんは慣れた手つきで赤ん坊を抱き上げた。

 くるくると毛布で包み、独特のリズムで揺すり始めるとぐずり声はあっという間におさまってしまう。


 そっと番頭さんの懐を覗き込むと、小さな顔がこちらを一心に見つめ返してきた。


「ほらこの通り」


「すみませんお義兄さん……」


「なに、今のうちに休んでなさい。私はしばらくこうしておこう、すぐに下ろすとご機嫌を損ねるかもしれん」


 この申し出はぼくにとっても有難い物だった。

 これならお小言は避けられないにせよ、声量はぐっと絞られるだろうから。


「それにつけても、珍しい面々が集まっているようだね」


 ぎろり、と音のしそうなほどの番頭さんの視線を受け、男衆が顔を見合わせた。

 気まずげな視線をうろうろと交わしてから「まあ、行きがかり上ね」とぼくが答える。


「察するにカミル坊ちゃんがまたしても初代の邸宅に巣を張り、そこに君らが流れ着いたといった所か」


「まあそんな所だよ……けれども、それを言うなら番頭さんこそさあ」


「なんだね?」


「わざわざ赤ん坊の世話まで請け負ったってことは、すぐには戻りたくないんでしょ。マルカ姉さんは今年も宴会の準備で大張り切りだもんな」


「おほん! ――おっと失礼」


 彼の大げさな咳払いは、痛い所を突かれた時の癖だ。

 案の定、あごでこき使われているらしい。


「なんていうか、お疲れ様」


「なに、必要とされている内が華だよ」


 番頭さんは懐の赤ん坊をゆすりながら、しみじみと呟く。


「若さも知性のひらめきもいつかは失われ、後は老いぼれていくばかり。そうなれば使い物にならなくなる日も遠くはない……」


 いち従業員から苦労を重ねて上り詰めたからだろう。

 番頭さんにとっては今の立場は勝ち抜いて与えられたものであって、安住するものではないらしい。


「え、まさかマルカ姉さんに捨てられるかもとか思ってる?」


「一般論さ。彼女を特別に誹るつもりはない」


「別に大丈夫だと思うけどなあ~」


 ぼくの発言に、その場の男性陣は皆顔を見合わせている。

 なんだいなんだい、確かに彼女は率先して猛烈に働きまくり、周囲にもそれが大前提だとばかりに接する性格はしているけどさあ。


「ねえ番頭さん、マルカ姉さんは強烈な女だけど薄情ではないよ。老いぼれた荷馬や番犬も最後まで面倒見るもの」


 ぼくの発言を受けて、番頭さんは遠い目になった。


「その日が来るまで、せいぜい懸命に働くことにするよ……」


「いや、ぼくが言いたかったのは愛情は定量化可能だってことだよ。マルカ姉さんは実質的な商会の跡取りとして、計算可能な利益に嘘は付かない。番頭さんの献身を踏み倒すような真似はまずやらないよ。そこは信じていいと思う」


 まあ、日常的に柔らかく優しげな声をかけてくれるようなタマでもないんだろうけど。


「愛とは預託か。ならば、確かに彼女は信頼できる預け先だ」


「それなら良かった」


 番頭さんは懐に視線を落とす。

 きっと見つめる先は赤ん坊の顔なのだろう、あの子の目に負けないくらいの一心さでそれを見つめている。


「子供とは産まれるだけで、両親にかかる負債をあらかじめ全て払い終えている、なんて言い回しもあったな」


「理想論だけどね」


 皮肉って見せたのは二女のボーイフレンドだ。

 けれども、その声音ですらどこか柔らかいのだった。


 三女の婿殿は揺り椅子から立ち上がると、番頭さんから我が子をそっと受け取った。


「この子のミルクの時間が近いので、そろそろお暇します。――カミルさん、教えてもらった屋根裏のことですが」


「うん、なんだい?」


「僕はきっと、その部屋には行きません。それが必要な人生を歩んではいないから。……でも、この子やそのきょうだいが大きくなったら教えることもあるかも。天窓と、そこから見える空のことを」


「いいと思うよ」


 ぼくが肩をすくめて返すと、彼は年相応の笑顔を浮かべてから、暇乞いをして去って行った。


 そしてまた、二女のボーイフレンドも「今ならどさくさに紛れられそうだ」と告げてさっさと椅子と茶器を片づける。


「ボクもまた、カミル君の助言を心に留めることにするよ。どうせ死ぬまでの暇つぶしだ、多少の痛手は引き受けてでも冒険は必要だろうからね」


「お互いに安定した人生からはみ出しての今だからね、仕方ないんじゃない?」


 彼は今度こそ誰にはばかる必要もないとばかりに大笑いしてから勢いよくドアを閉めた。


 残るはぼくと番頭さんである。

 ぼくは暖炉の火を始末しながら、よせばいいのにうっかり疑問を口にしてしまう。


「そういえば、番頭さんの用事って結局なんだったの?」


 番頭さんもまた、言われてようやく思い出した様子で「ああ」と返す。


「子守り役の姉やが早めに帰省したいと申し出てな。しかし家の者は皆、宴席の準備で手が回らない……まあ、その、坊ちゃんなら手すきだろうとマルカが」


「子守りったって、マルカ姉さんの所の子らってだいぶ大きくなってたよね!? 多感な時期ですげー気難しくなってるって」


 番頭さんは重々しく肯いた。


「十代も前半だ。私にはあの子達が何を言ってるのかさっぱりわからなくなった」


「で、ヴェトカ姉さんの子供たちは暴れたい盛りのちびギャング共な訳だろ!?」


「しかしヴェトカ殿は『カミルなら安心だわ』と」


「ここでいう『安心』って細々した注文に追加料金がかからないとかそういう意味だぜ! 番頭さんには説明するまでもないかもしれないけどさ!」


「あー、その、なんだ。坊ちゃんもお疲れ様です」


 もはや決定事項らしい。

 こうなってくると独身を謳歌しているフィーナ姉さんがある意味有難い。


「ちなみにフィーナ殿は話の雲行きが怪しくなった途端にその場から姿を消してましたな」


 ……やはり多少は恨めしいかもしれない。

 なんにしても、ぼくという野良猫にも仕事のお鉢が回ってきたようだ。


 さらば気楽な休暇生活。

 ぼくは後始末を済ませ、居心地のいい片隅を後にして本邸へ帰還した。

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