閑話02:聖騎士マティアスと瓶詰の事実・前編

「雪の色をしているねえ」


 私の髪の毛に熱心にブラシをかけながら、エリーは言う。

 思うともなしに口からこぼれ落ちたような声音だった。


「できたよ!」


 程なくして、私の髪を結い終えた彼女がはきはきと告げる。

 手で触れて確かめれば、自前で髪をまとめる時より随分と高い位置で括られているのがわかった。

 加えて、細かな編み込みもしてある。


「エリー、私はあまり華美な格好はせぬよう心がけるべき立場なのですが」


「でも、編んだ方が髪の毛も落ちづらいでしょ!」


 私はしばし肩口に手を当てて、それから彼女へ肯いてみせた。


「今日の務めの内容からしたら妥当ですね。でも、私がこの髪型をするのは今日だけですよ」


「えーっ、式典とか絵を描かれる時にもそうしてよ!」


「それは王城の化粧師の方々の裁量です」


 洗面所を後にした私たちは回廊をゆく。

 先を行くエリーを追い越さないよう、努めてゆっくり歩く。

 寝室から飛び出してきた子供たちが私たちの間を縫うようにして駆けていった。


「転ばないよう気を付けて」


 子供たちに声をかけたが、聞こえているのかどうか。

 彼ら彼女らが通り過ぎた後の廊下を窓の形にくり抜かれた朝日が照らしていた。


 窓越しに中庭を見下ろす。

 向かいの壁には寄り添うようにリンゴの木が植わっている。

 つい先ごろまでは白い花がこぼれ落ちんばかりに咲いていた枝に、今は青い実がどっさりと実っていた。


 晩夏の今、一帯は実りの時期の始まりを迎えている。

 私がかつて暮らし、今も折に触れて立ち寄る寺院にも恵みは平等にもたらされていた。


「マティアス兄さん?」


 呼びかけられた方へ視線をやると、エリーは既に階段を降りかけている。

 手すりにもたれ掛かる彼女へ目礼し、私は彼女を追って目的地――食堂へ向かった。


「おはようございます」


「おはよう!」「おはようございまーす!」


 私の号令に応じて、子供たちが口々に挨拶を返す。


 食堂の大卓には、野菜と果物が山と積まれていた。

 既に泥は洗い落され、どれもが内側からほの光るような艶をたたえている。

 それを取り囲む子供たちの頬にも負けないような、生命の輝きだ。


 私は今日の段取りについて説明する。


 刃物は十歳を越した者が持つこと、食材を樽や壺に詰めるのはそれより年少者の仕事、厨房で漬け汁の調合や味加減をするのは最年長者、もっとも小さな子等は目の届く場所で静かに遊んでいること――。


 子供たちがてきぱきと動き出したのを確認し、私は大テーブルの片隅で自らの割り当て作業に取り掛かる。

 いくつかのガラス瓶と、その傍らに必要な材料――数種の香辛料、果物類、壺に満たされた蜂蜜を揃える。


 いつの頃からか、果物の蜜漬けは私が仕込むことになっている。

 材料はどれもが寄進された品であるため失敗が許されないためかもしれない。


 この寺院で育ってはいるが、私は厳密には孤児ではない。

 祭司の養子という立場は、仮に失敗をしても孤児程気まずい思いをしない。

 伯父――祭司からしても気兼ねなくあれこれ注文をつけられるということもあろう。


 種々様々な果実の皮を剥き、切り分けた果実に向けて保存の祝福を詠唱する。

 そうして水分を軽く飛ばし、果実と香辛料を交互に瓶に詰めていく。


(そういえばあの頃、この作業をしきりにやりたがった者があった)


 粘り気のある蜂蜜をゆっくりと瓶に満たしながら、私はある人物の姿をふと思い出した。


 あの子は、恐らくは二つほど歳が下だった。

 推測なのは彼自身がいつ頃に産まれた身であるか定かではなかったから。

(そのこと自体は、ここの孤児たちからすれば珍しいことではない)


 何をするにも私の後をついて、同じことをしたがった。

 今にして思えば、あれは――。


 それは何かの予感だったのかもしれない。


 程なくして、朝から来客の応対をしていた伯父が食堂に姿を現した。

 その傍らに立っていたのが、今や見違えるように成長した件の少年だったのだから。


「マティアス! 評判は俺の耳にも聞こえているよ」


「お久しぶりですユリウス。お元気でしたか?」


「ああ、お陰様でな。そっちこそ壮健なようで何よりだ!」


 あの子の面影は確かにあった。

 しかし話し言葉のアクセントは貴族風で、身なりも立派なものだ。

 それだけでも彼の苦労と努力が偲ばれるというものだった……自らを丸ごと作り変えるような作業だったに違いない。


 歩み出たユリウスが差し出した手を握る。

 彼はもう一方の手を押し包むように重ねてきた。


「今は何を?」


 手の熱を感じながら、私は彼へ問いかける。


「ああ……さる貴族の秘書として働かせてもらっている。今日は主人の名代として来ているんだ。なんでも、この寺院に寄進を考えているそうでな」


「それは……願っても居ない申し出ですね」


 私は思わず伯父の顔を見た。

 肯き返す彼もまた、表情から若干の驚きをにじませている。


 保存食づくりをしていた子供たちが手を止めて、わっと物珍しい来客の周りを取り囲む。

 私と伯父の反応から、ある程度気安く振る舞って構わない場だと目ざとく判断したのだろう。


 ユリウスもまた、お仕着せが汚れるのも構わずに彼ら彼女らに目線を合わせて応対してやっていた。

 話の中で、いわば彼が独立済みのかつての孤児であると知ると、口々に今の暮らしについて聞きたがる。


 いよいよ収集が付かなくなり始めた頃合いに、伯父は「まずは務めを果たしなさい」と号令をかける。

 けれども子供たちの興奮は覚めない。

 これでは指を切ったりする者も出かねない、と私が危惧していると、ユリウスが声を張り上げる。


「それなら、良ければ食事を共にさせてくれないか? 昼飯時までは時間が作れているんだ、話ならその時にたっぷりさせてもらうよ!」


 彼の取り成しによって場が収まってから、しばらく経ってそれは起こった。


「――ない! ない! ない!」


 当惑した叫び声が挙がる。

 叫びは次第に涙声になり、今にも泣き出しそうな調子を帯びている。


「どうしましたか、ヤン」


「マティアス兄ちゃん、どうしよう、ないんだ、お守りがどこにも」


 騒ぎの中心に赴き、身をかがめて問いかける。

 その少年、ヤンはそばかすの浮かぶ頬を青ざめさせ、目元を真っ赤に腫らして訴えた。


 確かに彼は、親元から預けられる時に一つの護符を渡されている。

 以来、肌身離さず身に付けているのは皆の知るところだ。

 しかしついさっき、ふと気づいたら首元にはちぎれた紐だけが引っかかっていたのだという。


 周囲を見回すと、子供たちが不安げにこちらの様子をうかがっていた。


「――ヤンの護符の形は知っていますね?」


「うん」「黒っぽい金物だよね」「表には半分だけの聖句が彫ってある」

「下半分がギザギザなんだよね?」「あれって割符って言うんでしょ?」


 口々に答える子供たちに肯き返す。


「作業を進めてください。護符がどこかに紛れ込んでいないか、気を付けてあげてください」


 なんにしても一度気持ちを落ち着かせた方がいいだろう。

 そう思ってヤンの肩に手を添え、隅に片づけていた椅子の一つを出して座らせた。


 そこへ、ユリウスがやって来た。

 私があの子にどう声をかけたものか考えをまとめるより先に。


「ヤンと言ったかい?」


「……うん」


「最後にお守りを見たのはいつだ? ここで作業を始めてからか?」


「うん」


「なら、大丈夫。きっとこの部屋のどこかにあるはずだ」


「そうかな……」


「ああ、そうとも」


 ユリウスが力強く言い切ったことで、ヤンもぱっと笑顔を浮かべる。

 けれども彼の言葉はそこで終わってはいなかった。

 最後にこう言い添えたのだ。


「……ここには盗みをするような者なんて居るはずないものな」


 私は顔を上げ、隣で屈みこむ男を見る。

 凍り付いた手で背を撫でられたような心地がしたのは、そこに浮かぶ貼り付いたような薄笑いのためだ。


 昼餉ひるげの後、馬車を待たせているという彼を送るのは私の役回りになった。

 祭司に後を任せて、私はユリウスと並び立って回廊を歩いていく。


「あのリンゴの木はまだあるのかい?」


「ええ」


 聖堂まであと少し、という段になって、ユリウスが不意に問いかけた。

 私は肯く。

 彼がまだ寺院に身を寄せていた頃、あの木はまだ苗木だったのを思い返しながら。


「あれに実るリンゴはさぞかし甘いんだろうな」


 何故そう思ったのだろう、その疑問を口にする前に、私たちは聖堂に着く。

 所帯じみた問答を続けるべき場所ではない。


 私たちはそこで別れる。


「あのリンゴが熟する頃にまた来るよ」


 と、ユリウスは告げて馬車に乗り込んでいった。

 リンゴの実が赤く染まるのは来月も半ばの頃だろう。

 その頃には私は勇者ギルドの一員としてまた旅立っている。


 ふと、そのことを彼に伝えそびれたな、と私は思った。

 彼の関心が寺院とリンゴの木にあるならば、こちらの予定にさしたる意味もないだろうに。

 けれどもそのことが、何故か気にかかった。


 ――その日、どれだけ食堂をしらみつぶしに探してもヤンの護符が見つかることはなかった。


「誰かが盗んだんだ」


 ヤンの目に暗いものが宿る。

 ユリウスがかつて――そして今もって変わらず浮かべているのとそっくり同じ形の疑念が。

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