閑話01:天文学者カミルと居心地のいい隅っこ・中編

 三番目の姉ヴェトカの入り婿と、何故だかぼくはお茶をしていた。


 彼が抱きかかえて来た赤ん坊は持ち手つきの籠クーハンの中でぐっすり眠っている。

 籠も、中に敷き詰めた毛布も、そこいらの部屋から拾って来たものだ。

 幸いにして寝心地は悪くないらしい。


「ここって、なんでも有りますね」


 感心した様子であたりを見回す婿殿へ、ぼくは肩をすくめて返す。


「そりゃそうさ。爺さんの代まではここがたった一つの住処で、家族がぎゅう詰めで暮らしていたんだもの」


「あ、ああ~、なるほど~!」


 うん、そうだよね、物置や離れの書斎あたりに見えたろうね。

 彼の実家といったらウチじゃ比較にならないくらい古くからの大店――というか源流をたどると爵位返上した貴族の血縁者だもんな。

 当然、我が家のようなオモシロ増改築なんてやらずに、屋敷は格に応じて適時住み替えをなさっている。

 そんな毛並みのいい一族の出なのである。


「ここの屋根裏に行ったことはある?」


 ぼくが問いかけると、婿殿は否の身振りで返してきた。

 大の大人が、しかも婚家を探検することもないか。


「天窓から空が見えるんだ。建物に押し包まれていても、鉛直方向には開けてるから。月のない夜とか結構いいよ。額縁の中で銀の粒が天鵞絨びろうどに撒かれたようで、でもその輝く粒はゆっくりと動いてる」


 ぼくが天上を指し示すと婿殿もまたぼくが指さす先を見上げた。

 漠然とした表情のまま天井を眺め、やがて彼は首を振って姿勢を戻してしまう。


「カミルさんはすごいです。ご自身をきちんと保っているというか、自分の世界を持っているというか……」


「そう? みんなそんなもんなんじゃないの?」


 ぼくが首をかしげている向かいで、婿殿は静かに笑っている。


「少なくとも、僕には……」


「やりたい事とかないの?」


「うーん」


 煮え切らないな! 


「夢想家だとかなんとかそしられるにしたってさ、まず声に出してみないことには始まらないよ」


「そうやって誰も彼も好き勝手できるわけないでしょう! ――あ」


 ぼくらは咄嗟に籠の中の赤ん坊を見る。

 幸いにして、もにょもにょと口元を動かすくらいで寝入り続けてくれていた。


 いつもこうなのだ。

 ぼくはどうも、人間の感情だとかいう代物を読むことが不得手だ。

 山の天気の方がよほど予測を立てやすい。


「……したいこと、あったんだ?」


 ぼくが水を向けると、婿殿は皮肉気に笑って返す。


「ええ。ですけど、勉学も社交もぱっとしなかった僕に何の機会が巡って来るというんです?」


「それで業務提携の一環として婿入りした感じ?」


 非常にやりづらそうな顔をしつつ、しかし、婿殿はしっかりと肯いた。


「でもさ、それも自分で決めた生き方ではあるんじゃないの?」


「……まあ……そうですね」


 あ、やべ。

 婿殿の声がどんどん低くなっていっているのに気づき、ぼくは慌てて取りなす。


「いや、あのさ、なにも嫌味をかましたいわけじゃなくて! 『やめる』『しない』と決めるのも選択のうちじゃないか」


「は?」


「大体、それを言い出したらぼくだって……。そうさ、何の巡り合わせなんだか勇者一行に加わって魔王討伐なんてものに参加してるけど、それって要するに大学を辞めた結果な訳だよ! 辞めたきっかけも正直外聞のいいものじゃない」


 ぼくが弱音を吐いたのか、あるいはその内容が意外だったためか、婿殿はぽかんとした顔で聴き入っていた。


「やあやあ、箱入り息子たちが談合かい?」


 そんな時である。

 招かざる客がもう一人増えたのは。


 ノックもせずにドアを開けたのは、洒落た服を小粋に着こなした青年だった。

 二女フィーナの腐れ縁の男友達ボーイフレンドである。


「悪いけど匿ってくれないかい? フィーナとちょっと喧嘩しちゃってさあ」


 聞き捨てならないことを抜かしながら、彼はスタスタと上がり込んだ。

 暖炉の前に屈みこんで手をかざしている所作は自然でわざとらしさはない。

 それはそうか、彼は庶民階級の出だ。

 天涯孤独の身から巨額の遺産を相続し、一夜で財を成した若き富豪である。


「いやあ冷えるねしかし」


 僕はヴェトカの婿殿を見、フィーナのボーイフレンドを見、そして諦めた。


「椅子は隣部屋から自分で取って来ること。あとティーカップも!」


 どうも今日は、そういう日らしい。

 占星術師どもなら『星の巡り』だとか抜かすんだろうな。


「――しかしフィーナ姉さんと喧嘩をしたって、どうしてまた」


「言い合い自体はいつものことなんだけどね。ただ今日ばかりはちょっと時機が」


「冬至祭の休暇に女友達の実家に招かれているのに、当の手引きをしてくれた彼女と揉めたら気まずくもなるか」


「ははは! ご明察! ――おっと失礼」


 婿殿とぼくが慌てて『静かに』のジェスチャーをする。

 赤ん坊は……ああ、ちょっとむずがった。


 婿殿は慌てて椅子を立つと赤ん坊をあやし始める。

 ボーイフレンドは彼へ無言で詫びを入れると、ぼくへ向きなおって小声で言い添えた。


「……本当に、カミル君の言う通りさ。御宅じゃボクはちょっと警戒されちゃってるしね」


「いやまあ、いつまでたっても身を固めないのはフィーナ姉さんの意向もあるんだろうし?」


「仰る通り。ボクらは、まあ、それなりの仲である一方で仕事仲間でもあるからね。これ以上くっつくのも離れるのも具合が悪くてさ」


「――あまり誠実な態度には思えませんけど」


 赤ん坊を寝かしつけた婿殿が戻って来る。

 彼はボーイフレンドをじとりと一瞥して、揺り椅子に腰かける。


「済まないね、君みたいな血統書付きの立場じゃないものだからすることもどうも俗っぽくてさ」


「……なんです? 人のことを犬か何かみたいに」


 空気が悪いなあ! 

 ぼくは婿殿とボーイフレンドの両名をねめつけながら「言い合いをする気なら出てってくれない?」と告げる。


 両名は慌てて居住まいを正した。

 ならばよし。


「にしてもよくここを探り当てたね?」


「やけに奥まった位置から煙が出ていたから、煙突の場所を辿ってみたのさ。誰かしらかがサボって……もとい、休憩中だったら混ぜてもらおうと思ってさ」


 なんとも目ざとい……。


「あ、ちゃんとお土産も持ってきたよ」


 紙袋から取り出し、めいめいに手渡されたのはショウガ入りの焼き菓子だ。

 人型をしているうえに、ご丁寧にアイシングとナッツで顔が描いてある。


「……初めて見るタイプだな。どっからくすねて来たんだい?」


「なに、お年を召したご婦人が馬車の乗り降りに難渋してたから手伝って差し上げたのさ。王都のパティスリーの新作だそうだよ。少ししかないからここで食べてしまおう」


 まあそういうことなら居てもらってもいいかな、という気持ちになる。

 婿殿の方も毒気を抜かれた様子で、坊や型のクッキーを眺めている。


 ため息交じりにかじったジンジャーブレッドは、スパイスが効いていてなかなかの味だった。

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