番外編SS集

閑話01:天文学者カミルと居心地のいい隅っこ・前編

「おやまあカミル! あんたったら本当に猫みたいなんだから!」


 食器棚を漁っていたぼくは、手ごろな小鍋とできるだけでかいポットを探し当てる。

 お決まりの小言を聞き流され、マルカ姉さんは大げさに目をむいてみせた。

 次いで、眉間を押さえた子に目じりにぎゅっと皺が寄る。

 姉弟とはいえ、一番上の彼女とぼくとではちょっとした親子くらいは歳が離れている。


「マルカ姉さんさあ、根詰め過ぎなんじゃないの」


「この程度の差配、どうってことないさ」


 今や我が家の表側、つまりはノヴォトニー商会を掌握しつつある長女へ、ぼくは軽口を叩く。

 学者なんてやくざな稼業をしているものの、ぼくに対する老いた両親や姉たちからの愛情を疑ったことは無い。

 遅くに産まれた末っ子長男という立場は、ぼくに重圧よりも気楽さをより多く与えてくれていた。


「――それよりもヴェトカ、無理をしすぎるんじゃないよ」


 マルカ姉さんに呼びかけられて、三番目の姉ヴェトカがゆっくりと振り向く。

 優雅な所作とは裏腹に、右手にはナイフ、左手には細工しかけの果物が握られていた。


 マルカが表の主なら、彼女は裏、つまりは家庭において隠然たる影響力を発している。


「大丈夫よ、産後ったってもう三人目よ!」


「でもねえ、乳母の手配はしてないんだろ? その分しっかり休んで精もつけないと。あの婿殿は何してるんだい? こんな時くらいしっかり働いてもらわなくっちゃ」


「あの人だって頑張っているわ。今日は遠方のお客様たちを迎えに行ってもらったし、後は子供の世話も――」


 姉らのやり取りを背に、ぼくは湯気の立ち込める台所を後にした。

 貴族風の――本来は召使いを住人の目に触れさせないための――半地下の通路を抜けて扉を開く。


 来客用のダイニングには親類たちがちらほらと現れ始めていた。

 主には気の早い年寄りたち(誓って言うが、宴会が始まるのは明後日だ!)そして一部は悪天候に備えて前乗りしてきた遠方の縁者たちである。


 客あしらいを担うのは二番目の姉、フィーナだった。

 彼女は如才ない様子で談笑し、お客たちが身体を冷やしたり手持ち無沙汰になったりしないよう目を光らせる。

 気遣いの果てに援助や口添えを引き出せるならば、新規事業立ち上げを担う支店長としてはお安い投資だろう。


 ぼくはなるべく広間の端を通ろうと努力したが、彼女のだだっ広い視界から逃れられるはずもなかった。

 フィーナと目が合う。

 その途端、さも愉快気な様子で片目を瞑られてしまった。


 ぼくは肩をこごめてその場から退散する。


 冬至祭を控えた邸宅は廊下に至るまでが最新式の暖房装置で温められ、あらゆる窓は曇っていた。

 結露に逆さに映り込む空は暗く、地面近くの雲はかすかなばら色だ。


 通路や渡り廊下を隔てる毎に、邸宅の様式は古びていく。

 どこも建てた当初の最新流行に則っているものだから、かえって時代の隔たりを感じさせた。

 商会の拡大に伴って、我が家もまた周囲の土地を買い上げては増改築してむくむくと育っていった、その過程をぼくは逆順に辿っていることになる。


 メインハウスの中心部から離れるほどに暖房の恩恵は失われ、寒さが増していった。

 やがて、ほとんど外気と変わらなくなったんじゃないか? と思わされる頃合いに、その扉へ辿り着く。


 板材を切妻に組み合わせた様式はあまりに過去の流行すぎて、もはや古さがどうかといった域を越えている。

 成金向けの流行モードを研究する者がもしあれば、そいつの博物誌には是非掲載するべき逸品だろうね。


 ま、ぼくが感じている親しみと懐かしさの前では流行りがどうとかは何の関係もないけれど! 


 ぼくは意気揚々とドアを開け、小さな屋敷――曾祖父だかが最初に建てた我が家の奥の間へさっさと駆け込んだ。


 暖炉に火かき棒を突っ込み、燃え残りを突き崩して火を均す。

 温まったミルクをポットに移し、覆いをかけて砂時計をひっくり返す。


 暖炉よし、ひざ掛けよし、クッションよし、暇つぶしの本はとりあえず三冊あって、砂糖壺の隣ではティーポットが茶葉を抽出中。

 籠城の準備は万全だ。

 ぼくはようやっと人心地をつけて本を開いた。

 大衆小説を読むのは休暇中に限ることにしているのだ。


 冬至祭の時期は家族全員で食事をすること。

 多くの人々と同様、ノヴォトニー家の絶対の習慣だった。

 学者という立場を一時(あくまで一時だ!)離れ、勇者一行に属してからも、問答無用で引っ張って来られるくらいには重要視されている行事だ。


 それにつけても、姉さんや父さん母さんは今のぼくの立場をどう思っているのやら。

 危険の多い稼業であるのは一応は認識しつつも、勇者ミロスラフの仲間であるという事実に、栄誉と、一種の安心感を抱いている節がある。

 商売人からすれば、天文学なるに比べれば、よほど確かな立ち位置に思えるのだろうか。


 やがて砂時計の砂も落ちきり、ぼくはいそいそと茶器にミルクティーを注ぎ始めた。


「あ」


 ドアがだしぬけに開いたのは、ちょうどその時だった。


「……っとと」


 ドアの隙間から覗いた顔を確かめると、ぼくはひとまず傾けていたポットを戻す。

 気を取られていた間に、カップにはミルクティーがなみなみと注がれてしまっている。

 こぼさず飲めるかな、これ。


「ひとまず入って来てくださいよ。部屋に冷気が入り込むんで」


 いったんカップを持ち上げるのを諦めたぼくは、ドアノブを手にしたまま立ち尽くす人物へ声をかけた。

 慌てた様子でせかせかとやってきたのは三番目の姉、ヴェトカの夫だ。

 名前はなんて言ったかな、『婿どの』とか『ヴェトカのところの婿』とばかり呼ばれているものだから印象が薄い。


 痩せ型の体格に細面と、それに似合いの物憂げな表情。

 見るからに大人しそうな青年だから、同じくおっとりした雰囲気のヴェトカ姉さんと並ぶとままごと人形のような夫婦だった。

 彼は戸口の前で所在なく立ち尽くしたまま、胸元に抱えた布の塊をしきりに揺すっている。


「あれ、お子さん連れ?」


「ええ……先ごろ生まれた三番目の子です。朝からむずがってしまって」


 察するに、やたらと行きかう来客たちやいつもと異なる家の雰囲気にあてられたんだろう。

 そっと覗き込むと、おくるみの中で小さな赤ん坊がすやすやと寝息を立てていた。


「できるだけ静かな所を探していたら、ここに辿り着きまして」


「悪いね、やっと見つけた薄暗い隅っこに先客がいてさ」


「いえ、そんな……!」


「まあまあ、とりあえず座ったら?」


 恐縮する婿殿を制し、ぼくは慎重にティーカップを持ち上げるとやや離れた位置のスツールに腰かける。

 仕方ない、暖炉に一番近い揺り椅子と毛布は彼らに譲ってやろう。

 多数決ってやつだ。

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