第43話 過去よりの収奪者と、その顛末

 去っていく背中を眺め、俺は呆然としている。

 ……こんなことになるだなんて、夢にも思っていなかった。


◇◇◇


 【遡ること一か月前】


 水音と、木の器の転がる音で我に返る。

 いつの間にかカップが手から滑り落ちていた。


 慌てて器を拾い上げようとするが、指先が冷え切ったように上手く動かない。


 俺はどうにか後片付けを終えると、のろのろと立ち上がり、床を拭き清める物を探しに向かう。


 ついでに床のモップ掛けもしてしまおうか。

 清掃の手伝いが入らないようになって数日経つ。

 そろそろ床の砂埃が目立ち始めていたから、誰かが手をつけるべきだった。




 王城と勇者ギルドの仲介者として現れたスヴェト。

 彼は手腕を遺憾なく発揮した。


 最初に、ギルドの運営の効率化に関する様々な提案が行われる。


「無駄な出費が多くありません?」


 と、スヴェトは告げた。

 拠点は劇場も兼ねている。

 日々の維持管理はポハードカ村の人々に頼んでいた。


 掃除や洗濯、調理に中庭の手入れ。

 その他、名前の付かないような細々とした雑務たちだ。


 手間賃は相場よりもほんの少しだが金額を上乗せしてあった。

 といっても、仕事の報酬として考えればささやかなものだ。

 誰もが他に本業のある中で手を貸してくれているのだから、それが当然だろうとも考えていた。


 の、だが。

 スヴェトに言わせればそれは無駄な行いだという。


 俺にしてみれば問題なく回っていた物事に敢えて手を入れる意味がわからない。

 財政状況が逼迫しているという訳でもないのだ。

 しかし俺の抗弁をスヴェトは一顧だにしなかった。


「トマーシュ、君は財務の専門家じゃないだろう?」


 それを言われると弱い。

 俺はただの事務方で、実際の所さしたる決定権のない使い走りだ。

 王都の中枢からやってきた腹違いの兄は、そこのところをよくよく承知していた。


 結局、スヴェトの提案を受け入れ、俺は村の人たちへ通告をせねばならなくなった。


「――ありゃ! それじゃあ掃除には入らんで良くなったと」


「はい……使った者が都度都度後片付けをするというルールに変わりまして」


「いやあ~、そうかい。床を掃き清めるだけじゃ溜まっていく汚れもあるとは思うが……まあ、決まったことに後から口を出す訳にもいかんか」


 この元職人のご老人には天井のすす払いから床のワックスがけ、果ては家具の軽い修繕までこなしてもらってきている。

 俺の通告は、そんな彼のこれまでの仕事は無為だったとでも言わんばかりのものだ。


「爺さんにはいい小遣い稼ぎだったんだけどなあ……」


「本当にすみません」


「いやいや! そんな顔をしないどくれよトマーシュさん。また用ができたら声をかけてくれ。アンタの頼みならいつでも大歓迎だから」


 今まさに切り捨てた人物から慰められ、俺はいよいよ身の縮こまる思いだった。


 以降、俺は同様のことを幾人かの手伝いの人々に伝えて回った。

 皆はどんな顔でそれを聞き届けたのだろう。

 記憶がない……まともに顔が見られなかったためだ。


 なんにせよ、ギルドマスターとして俺がこの二年で培ってきた村民との信頼関係は崩れてしまったに違いなかった。


 久しく忘れていた。

 これが、居場所を奪われる恐怖だ。


 ――ひとまず、会議室の床は履き終えた。

 俺は掃除道具の後片付けをすべく廊下に出る。

 いくらも歩かないうちに、窓際に立つミロスラフと出くわした。


「よう、遠征準備はどうだ? 糧食が足りてないようなら――」


「ひどい顔をしてる」


 ……そうなのか。

 こちらの軽口を遮るように発せられたミロスラフの一言が重い。


「なあトマーシュ、ちゃんと寝れているかい? 一昨年散々心配かけた僕が言うのもなんだけど……」


 俺は曖昧な返事でごまかす。

 現に、寝酒の量が増えていた。

 そんな現状を知られたら、勇者パーティーの彼らにまで失望されてしまうだろう。


「――トマーシュ」


 ミロスラフが歩み寄り、俺と相対する。


「きっと今、君は手ごわい敵に立ち向かっている」


「……いや、俺の周囲に敵なんて」


「そうだね。スヴェト氏も今のところ明確な敵対行為をしてる訳じゃない」


 俺は反射的に周囲を見回した。

 ……幸い、人気ひとけはない。


「ああ大丈夫。人払いしてあるし、念のためシュカにも頼んで、ここいらの会話は漏れないようにしているから」


 あの、そんな器用なことまでできるようになったのか! 

 なんとも末恐ろしいことだ……。


「それで、僕が言いたかったのは、トマーシュ。君の最大の敵が誰なのかって話なんだけど」


「あ、ああ。戦いの専門家の意見だもんな。ちゃんと聞くよ」


 ミロスラフは「ありがとう」と告げて相好を崩す。

 そうして、ふたたび表情を引き締めて、こう言った。


「君の敵は、君自身だ」


「う、うん? ……自分で自分の頭でも叩いてみたら良いのかね……」


 それはそれでスッキリしそうだ。

 しかしミロスラフは慌てたように「違う違う!」と両手を横に振った。


「正確には……ええと、君の過去、かな」


「……俺の、過去か」


「君を酷い目に遭わせてきた人物がもう一度関わり合いになってくるんだ、辛いに決まってるよ。……よく我慢していると思っている。それだけに、今すぐ彼を遠ざけるのだって決して大げさな対処じゃない」


 過去。

 過ぎ去りし日々。

 確かに俺の日常と、そうあれかしと定められた未来はスヴェトによって一度打ち砕かれている。


 しかし、改めて俯瞰してみると、俺の鈍った頭にもわかることがあった。


「――だが、それはもう終わった話だ」


「そうかい?」


「ああ。……強がりじゃない、本当に整理はついているんだ。だって九年も経つんだぜ?」


 ミロスラフは肯いた。

 俺もまた、彼へ肯き返す。


「何も、無為に過ごしてきた訳じゃない。――それに」


「それに?」


「もう無力な子供じゃない。ありがとう、それを思い出せた」


 ミロスラフは笑って俺の肩をポンと叩く。

 そして、そのままこちらが両手に抱えていたモップとバケツを奪い取った。


「あっ!」


「このくらい、僕が片づけておくよ! トマーシュは、できそうならちょっと休んで……そして、君のための戦いの準備をしてくれ」


 そして一か月が経過する。


 その間にもスヴェトは様々な『改革案』を提示していたが、俺はその提案の大半を棄却していた。

 何よりも実効性に欠けていたからだ。


 しかし、それ以外。

 他者にさしたる害のない行動は彼のしたいようにさせていた。


 例えば、ギルドマスターのための執務室を自分のために明け渡せという要求など。

 拠点が出来る前の、自宅に紙束が舞い散っていた頃を思えば部屋を失くすことくらいどうということはない。

 俺はキャビネットの中身を木箱に詰めて、食堂の空き時間や会議室を点々と渡り歩いて執務を続ける。


 また、スヴェトはなにかと遠回しに俺の地位の低さを詰ってきたが、もはやその言葉をまともに受け取ることもやめていた。


 調査結果にある通り、彼の現在の立場も決して盤石なものではなかった。

 現金ではあるが、そうと知ってしまえば彼の言葉はネズミの鳴き声ほどにも気にならなくなっている。


 なんにしても、準備は整った。

 そろそろこの茶番に蹴りをつけるべき頃合いだろう。


「――どうやら、随分と強引な手段で今の立場に収まったようですね」


 俺は執務机越しに、スヴェトへ告げた。


「急に押しかけて来たと思ったら、なんなんだい? トマーシュ、君は他人にとやかく言うより、もう少しまともな仕事を……」


「ほう、まとも。まともとおっしゃいましたか」


 俺はつかつかとデスクへ近付くと、スヴェトの眼前に書類を放って寄こす。


「賄賂、脅迫、それに流言飛語と……なるほど、俺の家を台無しにした時と基本的な手管は変わっていないらしい」


「な、なにを……」


「勇者一行の係累達への裏工作ですよ。カミルの実家である富裕市民のノヴォトニー家、マティアス属する聖堂騎士団の本部、ジェラニの古巣である傭兵団――皆一様に困惑していましたよ『こいつはどこの何に尻尾を振っているんだ?』ってね」


「なッ」


 そもそも彼らは、古巣の者たちからすれば勇者のパーティーメンバーとして送り出して数年が経つ。

 今となっては籍は置いていてもさほどの緊密な繋がりはない。


 カミルの実家は厄介ごとをことのほか嫌う家風だったようで、その怒りっぷりも凄かった。

 この気質はカミル当人にも受け継がれているのは明白だ。


 閑話休題。


 聖堂騎士団にしても清廉潔白を旨とする立場であるし――それは政治的に常に微妙なバランス感覚を要求されるということを意味する訳で、これまた素性不明の貴族の接触には神経を尖らせていた。


 ジェラニが所属する傭兵団は……『覚えがない』の一点張りだった。

 しかしジェラニが既に脱退済みであることも敢えて伝えなかった様子だ。



「さしずめ、当人たちに鼻薬が利かなかったからの次善の策だったのでしょうが……俺が頭を下げて裏金の回収を持ち掛けたら、皆せいせいした様子で応じてくれました。ああ、傭兵団だけは『知らない話だ』ということで、全部呑み代になっちまったようですが」


「――陰謀だ。お前は逆恨みから私を貶めようとしているんだろう!」


「はいはい、証拠と裏金の流れと実行犯とあなたの繋がりについてはお手元の資料をどうぞ」


 スヴェトの行動は早かった。

 即座に呪文を唱え、書類を焼き捨てにかかる。


「机が焦げたらどうしてくれるんです。それは村一番の指物師の親方が張り切ってこさえてくれたんですよ」


「うるさい! 知ったことか!」


「あのねえ、スヴェト兄さん。お互いもうガキじゃないんだ」


「――はァ?」


「妨害される可能性が少しでもあるなら、手の内を明かすと思うか? それは写しだ。元本は王太子に送付済みだよ――もう三日前になるかな」


 スヴェトの表情が呆ける。

 てっきり、致死的な呪文のひとつも掛けてくるかと思ったが、そこまでの機転は利かなかったらしい。


 俺はヴィンチェスラフに無理言って貸してもらった護符の出番がなかったことに内心安堵しつつ、言葉を続ける。


「で、これが今朝がた届いた通信使の解任通知。で、こっちは君宛の封書だが、まず間違いなく王城への呼び出しだろうね。なるべくお早い開封をお勧めするよ」


 二通の手紙をひったくると、スヴェトは色を失って執務室から飛び出していく。


「――まったく、どうでもいい仕事ばかり増やしてくれましたね!」


 去っていく背中へ、俺はそう言ってやった。

 いささか調子に乗った発言だったかもしれないが。


 ……まあ、扉の裏に控えていたミロスラフが大ウケしてくれたのでひとまず良しとしよう。


◇◇◇


 そして話は現在に至る。


 悄然とした様子でポハードカ村を後にするスヴェトの背中を眺めながら、俺は呆然としていた。

 子供時代の悪夢の象徴も、いざ相対してみたら取るに足らない人物に過ぎなかったのだから。


 ――調べてみてわかったことがある。

 クラシンスキー家の破滅と成り上がりは、スヴェトの人生でほとんど唯一の成功体験だったらしい。


 金を積み、口先一本で王太子献酌官という有名無実な地位を得、俺の実績を奪おうとしたのは、その再現だったのだろう。


 しかし、彼と俺はお互いに忘れていたことがあった。

 もはや自分たちは可愛い盛りの無力な子供ではなく……いい大人だったってことを。


 去っていく背中を眺める俺(なんかしでかしそうで怖いのもあった)の隣で、マティアスがつぶやいた。


「……その、甘えられるのは慣れていたつもりでしたが、年上の男性からというのは初めての体験でした」


「なんか、ごめんな……半分とはいえ血の繋がった兄貴が……」


「いいえ。トマーシュさんが謝ることではありません。彼と、あなたは一切無関係の人物なんですから」


 マティアスの言葉に、カミルも、ジェラニも、深々と肯いている。


「さ、村の人たちにもう一度仕事を頼みに行こう! 今度は僕ら全員で挨拶に行かないとね」


 ミロスラフの号令に応と返し、俺たちはそれぞれの仕事へ取り掛かった。



---

 いつも応援ありがとうございます!


 ここまでお読みいただきありがとうございました。

 これまで二か月間の連載(途中からは週三回更新でしたが)を駆け抜けてまいりましたが、今作品はこの話をもって一旦お休みに入らせていただきます。


 理由としましては、著者にとって初めてのリアルタイム連載だったためいささか疲れが溜まったこと、また、長らくお待たせしている前作『悪役貴族の中間管理職は生存IFを目指す』の最終章を書ききるための執筆時間の確保などがございました。


 今作も構想の練り直しであったり、リフレッシュなどを経て、よりパワーアップして帰って来る予定です。

 具体的な再開時期は七月頃を予定しております。ある程度の目鼻がつき次第、近況ノートの方でアナウンスいたします。


 作品や作者フォローをしていただけますと通知が届きますので情報もキャッチしやすいかと存じます。

 また、勝手なるお願いですが、フォローに加えてご感想や星評価などいただけますと今後の大きなモチベーションとなります!

 ご検討のほどよろしくお願いします。


 それでは、また近々お会いいたしましょう!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る