第42話 ありがちな没落貴族の、ありがちな思い出話

 わずかながら自己弁護をさせてもらうと、十歳当時の俺は怯えていた。

 家督を継ぐにあたるプレッシャー、母の焦り混じりの溺愛、父の薄っすらとした失望。


 ついでに、才色兼備のおっかない姉上に。


 ありがちなボンボンの、ありがちな話だ。

 そして当然のように斜に構えたクソガキが仕上がったという寸法だ。


 自分が不出来なことは思い知っていた。

 だからこそ、かけられてきた手と目に恥じないだけの努力はしてきた。

 いつかは家族に恥じないだけの何かに成れると信じて。


 そんな『いつか』が訪れる日はなかったは、ご存じの通り。




(可哀想に)


 スヴェトと名乗った少年を一目見てそう思った。

 細い手足に、異常なまでに綺麗な顔。

 宛がわれた服の中で、痩せ衰えた身体が泳いでいた。


 彼は周囲をきょろきょろと見回し、全てに圧倒されている様子だった。

 引き合わされた先は別荘地の邸宅だったから、応接室もさほどのグレードではなかったのだが。

(――と、当時の俺は嫌味の自覚すらなく思い込んでいた訳だ)


 十歳そこそこのクソガキが、年上の同性に抱くにはいささか不自然な感想だった。

 その意味するところを、俺は早晩思い知る。


 彼は、他人の懐に入り込むことにかけては天才的な手腕を発揮した。

 誰もが彼に同情し、親身に接してしまう。

 そんな不可思議な磁場の持ち主だった。


 最初に篭絡されたのはわが父である。


 どうやら、スヴェトの母と父上は、かつて熱烈な恋愛関係にあったらしい。

 どころか、父上がスヴェトの実の父親である可能性があった。

 少なくとも父上はスヴェトを実の息子だと信じていたフシがある。


 母上も、その点については割り切ってスヴェトに接していたが、次第に彼へ信頼を寄せるようになる。

 当時の彼女が抱えた孤独に寄り添ったのはスヴェトだけだったからだ。


 召使たちですら、スヴェトに影に日向に肩入れを始める。


 姉上だけが現状にぷりぷり怒って、家中かちゅうのゴタゴタから距離を置こうとした。

 そして彼女が唯一関心を抱く、魔法の研究へ傾倒していく。


 ……大人の分別をつけた今なら、異常な事態だとわかる。

 曲がりなりにも高位貴族の一家が丸ごと、十代の少年に手玉に取られていたのだから。


 家長たる父はスヴェトの最大の支援者となった。

 彼のほのめかし程度の望みに敏感に反応しては、父はその全てを叶えた。


 中には俺の領分を少しずつ削り取るようなものもあった。

 俺が家庭教師に教わる場に同席するところから始まったのだったか。

 教師が打てば響くようなスヴェトにばかり構うようになるまでにはいくらもかからなかった。


 馬も、剣も、そのうち婚約するかと見込まれていたご令嬢の恋心も。

 満ち足りていた当時の俺にとって、さして惜しむものではなかった、……と、自分に言い聞かせていた。


 彼はその人生の前半であまりに与えられてこなかったのだから。

 自分が少しは譲ってやるのは当然だ、と。

 大人しく従う俺へ、それでも噛んで含めるように言って聞かせて来たのは母だったか、父だったか。

 今となっては定かではない。


 そんな矢先のことである。

 俺は嘔吐と発熱で倒れ、数日間生死の境をさまよったのは。


 明らかに致死毒によるものである、と主治医は言った。

 継続的な服毒がなければこのような劇症化はしないとも。


 が、父上はおざなりな犯人探しでコックの一人を実行犯として突き出し、一族郎党を死罪とすることで話を終わらせた。

 裏で糸を引いている者の有無を探ろうとはしなかった。


 予感があったのだろう。

 スヴェトが関わっているのだと。


 その現実に向き合う代わりに、父上は俺を王立学院に隔離して事態の解決を図った。


 俺はひとまず命拾いした訳だ。

 そして、その時点で我が家の運命は決まったのだろう。


◇◇◇


「――そんなことがあったなんて」


 俺の思い出話を聞き、ミロスラフはつぶやく。


「わざわざ聞かせるような話でもなかったからな。こんな事態が起こるのでもなければ」


 俺とミロスラフはベンチ式の観覧席に並んで座っていた。

 二人の間を夜半の風が吹き抜けていく。

 すり鉢状の地形のためか、それとも風向きの関係か、沼蛙の鳴き声は届いてこない。


 俺は持参したレモン水を傍らに置き、大きく伸びをする。


「続きもあるが、聞くか?」


「……うん。トマーシュが辛くなければ」


「なに、次は王立学院に入ってからの話だ。お前ともそこで出会ったんだもんな」


「ああ。あの頃は楽しかったなあ!」


「ああ……本当にそうだ」


 俺はレモン水の瓶を開け、のどを潤してから続きを語る。


◇◇◇


 そもそも王立学院は大貴族の子女が通うような場所ではない。

 人脈形成ならば士官先を探す次男坊三男坊、あるいは婚約相手の居ない娘にとってこそ有用な場だ。


 もしくは、才気に溢れる平民たちか。


 本来は交わらないそうした人物との交流を楽しむ余地もなく、俺は完全にやさぐれていた。

 生命の危機に陥ったためだったが、それにしても酷かった。


「ここは自分の居場所じゃない」


 そう公言してはばからなかったのだ。

 友人なんてできるはずもなかった。


 そんな俺にとって、ミロスラフと友人になれたのは、冗談抜きに人生の分かれ目だった。

 生まれも身分も関係なく接する彼に引きずられる形で、俺の嫌味っぽさはいささか姿を変えた。


 お節介や小言の形ではあったが、他人の失敗や弱点をあげつらうよりも、手助けする方がずっとマシな気分になることも知った。


 市井程ではなくとも、様々な背景を持つ同世代の間で揉まれた経験は俺にとっては財産だ。


 そして十七歳の夏、運命が追い縋ってきた。


 報せが入ったのは、通常は学生には開放されていない、緊急の通信魔術によってだった。

 硬い表情の教師に呼び出され、俺は実家の状況を聞かされた。


 クラシンスキー家に謀反の疑いがあり、という内容だった。

 王に仇なすために、禁忌魔術に手を染めたのだと。


 教師や職員は一様にここに留まるように言ってくれた。

 学院の中なら俺の身を全力で守ってやれると。


 けれど俺はその足で実家へ帰参することを決め、そのまま二度と戻ることはなかった。

 俺はクラシンスキー家の跡取りで、ならばこそ責任から逃れるつもりはなかった。

 学院での日々によって変わった俺は、ぬくぬくと守られることを自分に許さなかった。




 告発はスヴェトの手によって行われていた。

 証拠の数々も揃い、証言者だって居た。


 しかし、まったくの虚偽だった。


 姉上、リブシェは確かに魔導技術の才覚でのしていたが、あくまでも規制の範囲内の事柄にしか触れていない。

 そもそも、父にも母にも魔術の心得なんてない。


 遠い親類に魔女――古い魔法を使う、元冒険者――が居たという言いがかりまで発生した。


 最終的には証拠不十分で嫌疑は灰色のまま、一応の決着を見た。


 しかし憶測が憶測を呼ぶなかでクラシンスキー家の信用は失墜した。

 少なくとも、外務大臣の職を続ける訳にはいかない程度には。

 様々な思惑が「ここを削ぎ取れば丸く収まるな」と判断し、ことは動いて行った。


 最終的に、王はクラシンスキーへ莫大な賠償金を請求することで手打ちにした。

 領地のほとんど全てを売り払うことで賄わねばならない額だった。

 程なくして父は心労で身罷り、母も後を追うように亡くなる。


 その死に不自然な部分があったかどうか? 

 そんなこと、誰も知らない。

 もはや関心を抱くものは誰もいなかった。


 その時点でスヴェトは下級ながら貴族の正当な息子としての立場を得ていた。

 何故か? 告発直前の父が手引きして、適当な貴族の養子にしていたのだ。

 恐らくは、義妹――俺から見ての姉上――への道ならぬ恋情でも理由にしたのだろう。


 スヴェトは、クラシンスキー家を襲った苦難を全くの無風で乗り越えることに成功した訳だ。

 そして不明確な告発の責を特に問われることもなかった。


 復讐心なんぞとっくに摘まれて、俺は今の今まで自分の身の丈に合わせて生きてきた。


◇◇◇


 長い長い思い出話が終わる。

 ふと隣席を見て驚いた。

 ミロスラフの更に隣にはヴィンチェスラフの姿があったからだ。


「お前、いつから居たんだ」


「君の楽しい学院生活と、実家が没落したあたりから。――しっかし、厄介な奴に絡まれたようだね」


 珍しいことに、ヴィンチェスラフも俺の意見に同調してくれたらしい。


「そもそも、彼はなかなか黒い噂も多い。その時その時の、一番力の強い男に取り入るのが異常に上手いんだ。――別に色恋営業をかけているって訳でもないんだろうけど、当意即妙なやり取りだとか、後は才覚のある若いのにすり寄られるとその気がなくてもクラっとするかもね?」


「まあ、そこら辺の親父心はわからんが……」


「君の実の親父さんが第一号だもんな」


 否定のしようがない。

 俺がヴィンチェスラフのどぎつい冗談に力なく笑って返すと、彼は肩をすくめた。


「まあとりあえず、善後策を考えようよ。スヴェトにとって勇者ギルドが次の狩場なのは明白だ」


「しかも、下手な追い出し方をすれば王太子の覚えが悪くなるオマケつきだ」


 俺の切り返しに表情を曇らせたのはミロスラフだった。


「そうか、立ち回りを気を付けないといけないんだ。……でも、うーん……?」


 そんな彼は、何故か腕組みをしたまま首をかしげている。


「どうしたんだミロスラフ」


「……いや、まだ確証のない話なんだけど、トマーシュが心配するようなことは起こらないんじゃないかな」


 それはアイツの怖さを知らないからだろう! 

 危うく声を荒げそうになったが、寸前で押しとどめる。

 ここで不和を招くなら、それこそ奴の思う壺だろう。


「大丈夫」


 俺の心配を見透かしたのだろう。

 ミロスラフはこちらの目をしっかりと見ながら断言した。


「トマーシュが心配するようなことには、絶対にしないって約束する。僕は君の味方だ」


「ま、このヴィンチェスラフもあんなニヤニヤ野郎の味方になってやる義理はないね」


 彼らの言葉を心強く思う一方で、苦い不安が胸の内に広がる。

 栗毛の愛馬や、大好きだった乳母ナニーのように俺の元から去っていくんじゃないか? 


 年甲斐もなく、そんな弱気にかられてしまった。

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