第40話 北方の守護者、辺境伯との会食
舞踏会も無事にお開きとなった。
この後に控えている晩餐会に招かれている者がしずしずと移動を始めている。
来客によっては帰宅の徒につくものもあった。
当然ながら、ミロスラフは晩餐会に呼ばれている側だ。
どうやらヴィンチェスラフも出席するクチらしい。
俺としてもミロスラフに同行する気積もりでいた。
王太子との間で勇者ギルドに関する対話が行われる可能性が高い。
の、だが。
「トマーシュ様ですね?」
奥の間へ向かおうとした俺の進路に、一人の青年がするりと割り込んだ。
「我が主コンヴァリンカの命によりお伺いいたしました。もしトマーシュ様さえよろしければ、私邸にて会食を是非に、と」
……いまコンヴァリンカって言ったか?
あの、コンヴァリンカ辺境伯が俺を呼んでいるのだと?
建国以来、辺境守護を担っている大貴族だ。
誘いを断る胆力はない。
俺は咄嗟に手近な召使に晩餐会の欠席を伝える。
「良ければミロスラフへも、その旨を伝えておいてくれますか?」
詫び半分、布石半分だ。
今まで懇意にしていた訳でもない貴族の邸宅に招かれたのだ。
誰にも知らせないまま向かうのはいささか恐ろしすぎる。
俺は氷のような薄
清水のように澄み渡り、微細な泡が立ち昇る上等な酒。
あるいはガス入りの水。
……味がわからん。
白状しよう、俺は完全に委縮していた。
いま飲んだものが酒だか水だかもわからない始末だ。
今いる場所は宮廷からほど近くの、コンヴァリンカ伯の別邸だ。
卓を囲む人々は性別も年代も様々だったが、皆一様にびしりと背筋を伸ばした座り姿である。
鍛えた肉体に特有の居住まいの良さを誰もが有していた。
そのうちのひとりと目が合う。
俺とさほど歳の変わらない青年だ。
頬に凄絶な向こう傷がある。
こちらへ向ける人懐っこい笑顔までがどこか獰猛だ。
笑い返す頬がひきつっているのが、自分でも良くわかる。
給仕が食前酒をサーブする動作すら『きびきび』を越えて刃のように鋭い。
多分、召使と言うよりは従騎士や護衛の類が担っているのだろう。
恐らくはこの場の全員が辺境伯に付き従う従士団の、それも将校格だった。
辺境伯率いる従士団といえば、北部国境線で魔王の侵攻を食い止めている国防の要である。
この国の北端、国境の先には広範な魔王領が横たわっていた。
それがために他国の侵攻を防げてもいるが、常に魔物の脅威にさらされている過酷な土地でもある。
りん、と澄んだ鈴の音がした。
その途端、テーブルを囲んでいた面々は杯を置き、即座にその場から立ち上がって出入口へと身体を向けた。
「――やあやあ、遅れてすまない! 馬車がつかえて中々通りに出てゆかれなくてねえ」
ややあって現れたのは、快活な声音をした壮年の男である。
彼こそが当代のコンヴァリンカ辺境伯だった。
コンヴァリンカ伯の血筋は、その勇猛さに比して細身の者が多い。
王族を巌に例えるならば、川とも称される優美さが特徴だ。
彼もその例に漏れず、うりざね顔にたれ目の柔和な顔立ちをしていた。
「ああ、ああ、かしこまらなくていい!」
彼が手振りで『戻れ』と示した途端に、出席者たちは即座に姿勢を崩してふたたび飲食に取り掛かる。
……大人しげな人物が猛々しい面々を従えていると、かえって迫力が増すものらしい。
「トマーシュ君も、よく来てくれたね」
そうそう、こういう笑い方の人だった。
本人の姿を目にした途端、子供時代のおぼろげな記憶が蘇ってきた。
俺は幼少期に、彼と会ったことがある。
クラシンスキー家もまた建国時代の豪族がルーツの古豪の一つだったからだ。
亡き父にとってはどんな関係だったのだろう?
親類ほど気安い間柄ではないが、下手な親類縁者よりも強い共感があったのは確からしい。
そこから、コンヴァリンカ伯と俺はしばし思い出話に興じた。
没落貴族の小僧の緊張をほぐしてくれようという心遣いだったのだろう。
「そうそう、君に是非聞きたいことがあった」
そして、コースが魚料理に及ぶあたりで、コンヴァリンカ伯はこう切り出した。
「――勇者ギルドとは、何をする集団なんだい?」
俺は一瞬だけ手元のナイフに視線を落とす。
きらめく銀の刃物を置き、ふたたびコンヴァリンカ伯の顔を見る。
「勇者という名の冒険者を補佐するものです」
答えに迷うことはなかった。
「では、勇者とは何をする人物なのかな? 君の見解を聞かせてほしい」
「広く、民衆のために戦う者です。……少なくともミロスラフは自分自身をそう定義づけています。ならば、俺も仲間たちもそれに報いるまでです」
「民衆のためにかあ……それは君の本業でもできることじゃないかな」
……定義上は、確かにそのはずだ。
下級とはいえ、俺の稼業は役人で、国に仕える立場だ。
だが、しかし。
「庶民もまた臣民たる存在です。が、領主の財産として実質的に扱われている場面がまだまだ多い。額面上は移動の自由も職業選択の自由も保証されているのに」
「じゃあ君は、そんな国の在り方を変えたいのかな?」
「……それ、は」
言葉をつかえさせた様子には敢えて触れず、辺境伯は言葉を続ける。
「どちらにしても、君の本業と勇者ギルドとは協同する価値がある。よければ私の方で便宜を図ろう。これからは陳情の内容のうち、問題ないものは勇者ギルドとも共有して協力してことにあたるといい」
「それは……! ええ、本当に助かります」
「君の立場だと、必要を感じていても中々話が通らなかっただろう。良く頑張ったね」
まさに歯がゆい思いをしてきた懸案そのものだった。
この申し出は、正に思いがけない助けである。
「あのねえトマーシュ君」
「はい」
「辺境伯なんてやっているとさあ、どうしても偉そうな奴になっちゃうんだよ」
「は、はあ」
事実、めちゃくちゃ偉い御人では?
と横やりを入れる勇気は俺にはない。
「だから痛くもない腹を探られることも多くてねえ。……私はこの国のためにこうして汗と血を流しているんだよ? 全ては建国王に連なる王への忠心からだってのに」
ああー……なるほどね。
話の展開が徐々に読めてきた。
「少なくとも俺は、コンヴァリンカ伯の御心を疑うことなどありません」
「嬉しいよ。……私たちは民と国の味方だ。そうだね?」
「ええ、もちろん」
つまりこういうことだ。
俺は叛意の有無を慎重に探られていたという訳だ。
実際、俺にしても別に国を敵に回す意図は一切ない。
辺境伯の申し出を受けるならば忠誠心のアピールとなる。
勇者ギルドも、王族との関係の落としどころとして有難い申し出である。
お互いにとって損のない約定だった。
いつしかコースはデザートに差し掛かっている。
そんな時、ふたたび来客を告げる鈴が鳴った。
現れたのはミロスラフだ。
「やあ、君も来てくれたとは!」
「トマーシュからの言伝を聞きまして」
コンヴァリンカ伯は立ち上がってミロスラフを出迎えた。
彼のことは一目で気に入ったらしい。
いくら外見が穏やかであれ、彼もまた荒くれたちを束ねる豪族の末裔なのだ。
勇敢で、かつ、実力も伴う彼のような若者のおぼえがよいのも当然のことだった。
一息ついた俺は、ようやっと酒の味がわかるようになってきた。
喉を潤し、そしてふと、数時間前のとある情景を思い出す。
着飾った姉が、年嵩の男とホールの外へ消えて行った場面を。
そういえばヴィンチェスラフは、あの男を王の側近と呼んでいた。
(……もしかして)
姉上もまた、このような会談の場に招かれていたのか?
ただの空想かもしれない。
単に狒々親父の愛人に収まっているという真相に過ぎないのかも。
しかし、俺の知る姉は没落以前から研究にしか関心のない女で……そして、せっせと働いた甲斐も有って最近出世したとも聞かされているのだ。
魔導研究所の、たしか主任となったとか。
そして研究内容は、身内の俺にすら明かすことはなかった。
この国の裏側で、何やら大きな物事が蠢きだしている。
どうにもそんな予感がしてならなかった。
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