第31話 雨降る魔来る、火花散る
勇者一行の金庫番という立場を得たとはいえ、俺の本業が下っ端役人なことに変わりない。
そんなわけで王都に戻った俺は今日も今日とて書類に埋もれていた。
各地方から押し寄せる雑把な情報をさばき、整理・分類を執り行う作業に邁進する。
ああ目が痛い。
肩も張っている。
腰の具合は怪しげだ。
そんな時、後輩が息せききってデスクの前に飛び出してきた。
「トマーシュ先輩!」
「なんだい!?」
書類の山越しに声をかける。
「よ、呼び出しです」
「ええ……どの部署?」
「いえ、王城の……というか、宮廷魔導士次席のヴィンチェスラフ様が」
あやうく出しかけたうめき声をすんでのところで堪える。
「……あー、じゃあなんとか明日には時間を作るようにするんで」
「それが……もういらっしゃっています……」
「げえっ」
流石に声に出た。
「
あの野郎このクソ忙しい最中に!
俺が立ち上がるのと同時に出入口のドアが開け放たれる。
宮廷魔導士の正装である暗色のローブ。
黒髪を撫でつけ、色付き眼鏡の下で不機嫌さを隠そうともしない紅い瞳が燃えている。
そこにはヴィンチェスラフが立っていた。
残念ながら、間違いなく、宮廷魔導士次席の、嫌味な男ヴィンチェスラフが、居た。
「それじゃ、そこのを借りてくから」
奴は周囲の者へ有無を言わさぬ態度で言い放ち、踵を返してとっとと歩き去る。
一瞬すべて見なかったことにして仕事に戻ろうかと魔が差した。
済ませるべき業務は文字通り山積みだ。
が、後輩がその童顔に見合わぬしかめっ面で促す。
……やっぱ着いて行かないと駄目か、そうか。
俺は慌ててジャケットを掴み、不承不承ヴィンチェスラフの後を追ったのだった。
お陰で残業確定だ。
こっちは休暇を取るために少しでも作業を前倒しにしたかったんだが!
「――君さあ、随分と勝手な真似をしてくれるじゃないか」
運河沿いの道をずかずかと歩きながら、ヴィンチェスラフが言った。
俺は不本意ながら彼に歩調を合わせて「なんのことだ」と返す。
「何? 勇者一行の拠点作りって。そんなこと、この大魔法使い様のコネクションでどうとでもできるのに」
「見栄を張るのは止せよ」
ヴィンチェスラフの目元がピクリと痙攣する。
「はァ? ……レストランであんな体たらくを晒しておいて随分と強気だね」
「俺としても思う所があってね」
「へえ。で?」
「ことがただの物件問題なら、宮廷魔導士であるお前の介入で全て片付く話だろ?」
ヴィンチェスラフはそっぽを向いて、きらめく川面を眺めている。
横顔からうかがえる表情は苦々しいものだ。
「……あーあ、嫌な奴」
「整理整頓は俺の本領だからな」
この程度の話は出揃った情報から自明のことだ。
俺は双方にとってわかりきった話を続ける。
「王城の内情なんざ知る由もない。だが、あれほどミロスラフに肩入れしているお前が手をこまねいているんだ、何かの不都合があるんだろ?」
「答える義理はないね」
消極的な肯定。
返答としては十分だ。
「俺は勇者一行の……いや、ミロスラフ達の友人として、彼らが一方的に忍従させられている現状に思う所がある」
「で、首を突っ込んだと。金庫番なんて立場で食い込んでまで?」
「そうなる」
「けっ」
いまコイツ「けっ」と吐き捨てたか?
吐き捨てたな。
俺はヴィンチェスラフを横目で睨みつつ喋りかけた。
「お前の、ミロスラフへの真心を否定するものではないさ」
「なんだいその言い回しは」
「ここから先は俺の領分って言いたいだけだ」
ヴィンチェスラフが鼻で笑う。
「へえ、たかが小役人の領分がなんだって?」
「いいや? 利害関係がない、有象無象の領分ってことさ」
彼はふいに黙り込んだ。
あれほどやかましかった男がいざ口をつぐむと、一種怪しげな迫力がいや増して見える。
「これなら、いざという時には俺が責任という名の咎を受けりゃ済む」
「わざわざ面倒ごとを背負ってさあ、馬鹿なの?」
「答える義理は無いな」
でっけえ舌打ちが返って来た。
それにしても、こんな真っすぐな苛立ちをぶつけて来られるのはいささか意外だった。
実はもっと持って回った妨害でもされる可能性も加味して警戒していたのだが。
「……お前も大変だな」
ふと俺は、彼にそんな声をかけたくなった。
さぞかし小馬鹿にしてくるのだろうと思われたヴィンチェスラフは、意外なことに肯いて返した。
「ポハードカの湖、山際の岸辺」
「なんて?」
「こっちは王都の出入りにも面倒極まりない手続きが居る身だ。だから、そっちで調べてどうにかしろ」
ヴィンチェスラフはそう言い放つと、用事は済んだとばかりに再び黙り込む。
無言でしばし歩き続けると、やがて分かれ道に差し掛かった。
右手には運河を渡って王城の方角へ向かう橋がかかっている。
左手側の道は大きくカーブし、道沿いに歩めば俺の職場に戻ることができる。
ま、ここいらが潮時だろう。
俺は何も言わずに左側の道を選ぶ。
ヴィンチェスラフは案の定、ずかずかと橋を渡ってやがて雑踏に紛れて姿を消した。
相も変わらずいけ好かない奴だ。
しかし、敵ではない。
◇◇◇
明り取り兼空気穴として壁に穿たれた隙間ごしに、ぼうぼうと地を這うような音が聞こえる。
沼蛙は今日も元気に鳴き交わしているようだ。
廃劇場の舞台裏には無数の部屋がある。
なかでも比較的広い一室を片づけて、急ごしらえの拠点としていた。
大道具部屋で引っくり返っていた長机を持ち込み、俺たち――つまりミロスラフ、カミル、マティアス、ジェラニそして俺の五名が集結していた。
「――よって、こちらの当座の敵対者は冒険者ギルドになる訳だ」
俺の結びの言葉に、勇者一行は真剣な表情で肯いて返した。
「ヴィンチェスラフが寄こしたヒントのお陰で、あちらさんの狙いも概ね読めた。ポハードカ村に勢ぞろいしてもらった第一の理由がそれだ」
ミロスラフが肯き、言葉を続ける。
「第二の理由は……」
「そう。村長への交渉と、後は例の件の許可取りだな」
俺はふと窓の外に視線を向ける。
「そっちは目の前の案件を片づけた後になるだろうが。なんせ、これからひと暴れすることになるかもしれない」
「まずそうなるでしょ」
カミルが呆れ半分で口を挟んで来た。
廃劇場の開口部から差し込む陽光は弱弱しく、垣間見える上空で灰色の雲が渦を巻きつつある。
雨が近付いて来ていた。
自然現象では、ない。
「また長雨が来るッて訳だな」
黙々と曲刀の手入れをしていたジェラニがうっそりと呟く。
俺はジェラニに肯いて返した。
「ああ。魔獣・
カミルがため息をつく。
「まさかこんな人里にモンスターが湧くなんてねえ」
マティアスは独白する。
「……それも、放置していれば魔王級に届きかねない」
大剣を携えたミロスラフがすっくと立ち上がり、言った。
「そんなことはさせられない。――阻止するんだ、僕らの手で」
しかしいっぽうで、冒険者ギルドから見ればこの事態は全く別の意味を持つ。
瘴気溜りならびにモンスターの発生源はあちらにとっては重要な狩場だ。
スナーフ率いるA級冒険者一行も、向こうの思惑に従って動くことが予想された。
両者の衝突は必至だ。
――ぽつり
水滴が落ちる音が石室に響く。
雨音は勢いを増していき、ざあざあと響き渡るのにいくらもかからなかった。
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