第32話 歌う蛙、走る俺

 ざあざあと降りしきる雨音の向こう側から鈴のような音色が届いた。

 リリコロ、リリコロ、という音が独特の律動で繰り返される。

 楽器のようにも鳥の鳴き声のようにも感じられた。


 だが、こんな風雨の吹き荒れる中で鳴き交わす鳥は居ないはずだ。


 その正体は大型の蛙――そして、魔物だった。


「……近ェな」


 ジェラニが耳を澄ませながら呟く。

 マティアスとカミルは肯き、俺の方を向いた。


「思っていたよりも魔物の到来が早いです。トマーシュさんも早めの避難を」


「いっそここにこもるのもアリじゃない? 雨も本降りになっているし、今から移動するのは危ういかも」


 どちらの言い分ももっともに思えた。


 ――リリコロ

 ――――リリコロ


 鳴き声の密度が増しつつある。

 ……そんな気がした。


 俺が「ううむ」と唸っていると、ミロスラフが剣を取り出して告げる。


「――まずは僕らでトマーシュを村へ送り届けよう」


「いいのか?」


「ああ。僕らも湖に行く前に村の人たちと連絡を取る方がいいと思う。蛙の数が思った以上に多い。向こうにも警告すべきだ」


「連絡係くらいなら俺にも担えるが……」


「今いる劇場跡から村の間まででも魔物の露払いができたらとも思ってさ。そうすれば、村の人たちの負担も減るだろ?」


 なるほど。

 その役目ばかりは俺には無理だ。


 ――リリコロ、リリリリ

 ――――リロリロ、リリコロ


 新たな、より低く深い音色が混じり始める。

 鳴き声はいまや二重奏だ。


 ともあれ俺がミロスラフの提案にありがたく乗っかろうとした、まさにその時。


 ぴたん! 


 石壁をくり抜いた採光窓から、何かが飛び込んで来た。


 大きさは俺の握りこぶし二つ分ほど。

 松明の灯りに照らされて、乳白色の肌がつやつやと光っていた。

 その背には燐光を発する美しいまだら模様が浮かんでいる。


 小さな蛙がかぱりと口を開け、緑青色の口腔を晒す。


「リリコロコロコロコロ!」


「――鐘楼蛙ベルフリー・フロッグ!」


 カミルが叫び、マティアスが盾を構え、突出したジェラニが咄嗟にベルフリー・フロッグを蹴り飛ばした。


「ジリリリッ!」


 断末魔の叫びを上げながら、ベルフリー・フロッグの身体が暗がりの向こうへ消えていく。


「……これはちょっと、まずいかも」


 声の方を見れば、ミロスラフは騒動の間いち早く窓へ飛び上がり、外の様子を確かめていたようだった。

 彼が呟くのと同時に、それは起こる。


 ――リリリリリリリリ!  

 ――――リリリリリリリリリ! 


 突如始まった蛙の大合唱で、石壁が震えた。


「外はもう蛙だらけだ。十や二十じゃ効かない数の――下手したら百匹に迫るかも」


 採光窓の縁から手を放して着地したミロスラフが告げた。

 俺はつい、劇場の壁面にびっしりと取りつく蛙の群れを想像してしまう。


 身の毛のよだつ光景だ。

 一匹一匹が魔物となれば尚更だった。


 魔物もしくはモンスター。

 様々な事象の淀みから来たる怪物の総称だ。


 同じ土地で発生した魔物同士には謎の協調が見られる。

 いっぽうで奴らは他の生物――それには人類も含まれる――に明確な害意をもって襲いかかった。

 捕食行為や縄張り争いだけでは説明のつかない、『殺すために殺す』としか言いようのない挙動。

 これこそが、人類をして魔物と言わしめる理由である。


 カミルは急ぎ荷物を背負いながら、泡を食った様子でまくし立てた。


「どうする!? こんな隙間だらけの廃劇場、どこに蛙が潜り込んでいるかわかりゃしないぞ!」


「そもそも、こんな速度で蛙が湧くのがおかしくねェか? ……カミル、――――――?」


 ジェラニが曲刀を抜き放ち、カミルになにやら異国語で話しかける。

 肯いたカミルは、聞けるが喋れない言語を書いて見せる時間を惜しんだためだろう、王国語で答えた。


「ジェラニが言う通りだ。発生源である湖でいつもと違う何かが起こっているに違いない」


「例のA級冒険者一行の介入ですか?」


 マティアスの問いかけに、カミルは「確度が高いのはその説だろうね」と同意した。


「仕方ない、押し通ろう。を思えばあまり刺激したくなかったが……」


 ミロスラフが決断する。

 それを受けて、カミルが肩をそびやかせた。


「ジェラニが蹴り飛ばした時点で今さらじゃない?」


「しかし鐘楼蛙ベルフリー・フロッグは毒液を噴射します。ああする他ありませんでした」


 マティアスの取りなしを受け、カミルも気を取り直した様子で同意する。


「そうだね、違いない。――仕方ない、蹴散らして進むか! 一帯が水の下になる前にね」


 俺も彼らにならい、その場から立ち上がろうと椅子を引く。


 カラン、と場違いなほど軽やかな物音がした。

 うるさいほどの蛙の鳴き声を縫って俺の耳に届いたのは、椅子の足にぶつかった手ごたえで注意が向いたためだ。


 何の気なしに、足元を見る。

 転がっていたのは鼠の頭骨だ。


 その瞬間、ある可能性に思い至って血の気が引いた。


「――待ってくれ!」


 撤退準備を迅速に進めていた勇者パーティーが、手を止めて一斉に俺を見る。

 俺はだくだくと流れ始めた額の汗を拭い、ミロスラフへ話しかける。


「シュカが、ここに居るかもしれない」


「……シュカって、孤児のことかい? この劇場に住みついているっていう」


「そうだ! あの子のままごと道具がここにあった! 遊び終えたら必ず箱にしまっているはずなのに」




「シュカー! 居るか~!?」


「安全な場所に居るならその場でじっとしていなさいね!」


 孤児を探すため、一行は三方に分かれて出入口に向かう。

 割り振りはミロスラフ、カミルとジェラニ、そしてマティアスと俺だ。


 俺は大声でシュカに呼びかける係。

 マティアスは呼びかけと同時にあらゆる隙間を覗き込んでいる。

 今のところ成果は空振りで、起こる出来事と言えば時おり飛び出してきた蛙がマティアスの戦鎚に叩き潰されるばかりだ。


 その時、不意にマティアスの襟元の冒険者徽章がちかりと光った。

 次いで音声が発される。


《――居た!》


 カミルの声だ。


《シュカを見つけた、衣裳部屋の箪笥に隠れていたんだ! 無事に保護したから、これから出入口に直行するよ》


《了解! ありがとうカミル!》


 徽章は次いで、ミロスラフの応答をキャッチする。


 マティアスが「了解しました。我々も出口へ」と端的に告げると、徽章は元の通り沈黙する。


「……通信機能なんてあるんだ」


「便利ですよね」


 マティアスは返事と同時に先ほどよりも一回り大きな鐘楼蛙ベルフリー・フロッグを叩きのめした。

 戦鎚にこびり付いた体液を振り払い、マティアスは薄っすらと微笑む。

 彼なりに子供が保護できた結果に安堵しているようだった。


「――シュカ!」


 舞台袖に繋がる出入口に集合すると、カミルと手を繋いだ小さな子供、シュカが居た。


「まったくもう。駄目じゃないか、こんな危ない所に来ちゃあ」


「だって」


 あきれ顔のカミルに、ぶーたれているシュカ。

 しかし、手を引かれるままに歩いているので嫌がっている訳ではなさそうだ。


「こうして無事に見つかったことだし、まずは帰ることを考えようぜ」


 そう告げて、俺はシュカの前に屈みこんで「久しぶり」と声をかける。

 幸いにもシュカは俺のことも覚えてくれていたらしい。

 空いた方の手を小さく振って応えてくれる。


「それじゃ、俺とシュカが村へ向かう。ミロスラフ達は補助に回ってくれる手はずだったよな」


「ああ。ここで蛙の突出を防ぐのに集中するよ。――申し訳ないけどトマーシュ、君の力でシュカを村まで連れていってくれ」


「念のための確認だが、俺に戦闘の心得は何もないぞ」


「そうだね。だから」


 ミロスラフはそこで言葉を切ると俺の顔を真っすぐ見据え、こう言った。


「走ってくれ」

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