第三章 結成、勇者ギルド

第26話 金貨の山と水鏡の群れ

 里山の八合目あたりに差し掛り、開けた場所に出る。

 休憩がてら足を止めて眼下の風景を眺めた。


 そこからは目的地――山あいの平地が一望できる。


 三角州型の土地には村落があった。

 こちらから見て手前側の山裾には人の手が入っている。


「雑穀畑と……後は果樹も植わっているね」


 眼下の風景をじっと眺めていたカミルが言う。

 流石に目が良いな。


 いっぽうで、三角形の土地の中でも、もっとも遠い角地の様子は俺の目にも明らかだ。

 おおきな湖と、それを取り囲む大小の水鏡が陽光にきらめいている。

 見事な湖沼地帯だった。


 村落と沼地に明確な境界はない。

 というより、沼地が村を侵食しつつあるように見えた。


 俺とカミルが目くばせし合っていると、案内役を買って出てくれた青年がぼそりとつぶやいた。


「村境はちっとでも長雨があると、あっという間に水に沈んじまうんですわ」


「そんなことだろうとは思ったけど」


 カミルが青年に負けず劣らず、うっそりとした様子で言う。

 俺はカミルをいさめる素振りをしつつ、内心で「同感だ」と呟いた。




 商業ギルドは、金貨五千枚を即金で融資しただけでなく、物件の融通もしてくれた。

 立地も申し分ない。

 大きな通商路からもほど近く、王都や商業都市からもさほど離れていない。


 拠点を構えるには理想的な立地だ。

 ――地図で見るだけなら、だが。


「いいや、地図にしたって軍用の精緻な奴ならどんな土地かは一目瞭然だろうよ。ここいらがどんだけ等高線の間隔が狭いものだか、いっぺん拝んでみたいね!」


 上がり下がりの激しい山道を行きながらカミルが毒づく。

 俺はといえばすっかり息が上がってしまって、返事する余裕もない。


 何が悲しくて、学者と事務方の二人で現地の視察に行かねばならんのか。


「せめてジェラニが付いてきてくれれば……」


「仕方ないだろ、遠征仕事が入っちゃったんだから!」


 俺のぼやきをカミルは一刀両断する。

 そして小声でこう続けた。


「それに、初手はこの国の人間が顔を出す方が無難なのは確かだよ」


「……まあ理屈はわからないでもないが」


「ぼくらからしたらジェラニはジェラニだから、まあちょっとな感じはするけどさ」


 今から向かう村において、俺たちは余所者だ。

 ましてジェラニは異郷の傭兵で、よそ者の倍掛けとなってしまう。

 ある程度顔を繋いでから訪れた方が無難である……と、いうのがジェラニ本人の言である。


「実際、言葉は荒いしな。こっちの言語だと」


「まあ面食らうよ、初対面だと」


 先導してくれている青年の背中を眺めながら、俺たちは肯きあう。


◇◇◇


「――」


 あの日、商業ギルドの執務室で勝負に打って出ようとした瞬間に時間は戻る。


 整然と箱詰めされた五千枚の金貨を前に、俺は完璧に虚を突かれていた。

 その時点で勝負は決していたのだろう。


 商業ギルドの金融部門長は、あくまで穏やかな態度を崩さないまま『どうぞ』と手振りで示して見せる。


 文字通り死ぬような思いをして得られる褒賞と同じ額面。

 それがいとも容易く目の前に現れた。


 こいつを引き出すための手管を様々に用意していたこちらとしては願ったりかなったりの展開だった。

 けれど、それだけに警戒せざるを得ない。


 金貨と契約を至上とする商人たち、その大元締めがこんなにあっさりと大金を出したのだ。

 まったくの善意と思ったらとんでもない報いを受けるだろう。

 狙いをきちんと見定めなければならない。


 勇者、いやミロスラフの助けとなるなら尚の事――。


 ふいに俺の隣からするりと手が伸びた。

 白く、整った、けれども貴公子などとはかけ離れた、戦うための手が。


 それが箱の蓋をぱたりと閉める。


「僕は何をしたらいいんですか?」


 勇者ミロスラフは金融部門長の顔を真っすぐ見据えて問いかけた。

 品のいい初老の男はあくまで柔らかな口調で応じる。


「ミロスラフ様、今は交渉の段階です。私どもの要求をただ聞くだけでよろしいのですか?」


「僕は斬るべきものを斬り、倒すべきものを倒すことしかできません。勇者とはそういうものですし、斬ってはいけないものはどんな理由があっても斬りません。でなければ、この称号を名乗る資格がない」


 ミロスラフは一度口をつぐみ、慎重に言葉を選びながら続ける。


「なので、すみません。交渉の余地がないのはこちらの方なのかも……でも、金融部門長である貴方は、僕らになにかして欲しいことがあるんですよね? だから、こうして魔王討伐の報奨金と同額を示してみせた。――ですよね?」


「やはりミロスラフ様は清廉潔白でいらっしゃる。ならば私も胸襟を開いてお話いたしましょう!」


 金融部門長が僅かに身を乗り出した。

 きらりと瞳が光り、いたずらっぽい笑みを浮かべる。

 まるで親切な親類の小父おじさんかのような雰囲気を漂わせながら、彼は話し始めた。


「実は、ご紹介したい物件があるんです! それも、私どもでは少し持て余していましてね……」


 俺はミロスラフの隣で金融部門長の言葉を聴きもらすまいと最大限の注意を払っている。

 金融部門長はこちらをちらりと見やると、ふっと笑みを漏らした。


「トマーシュさんも、そんなに警戒なさらないでください! ――なにも危険な場所や僻地という訳ではないのです。ただ、商人が扱うにはなんとも半端な立地というだけでしてね。広さは申し分ありませんし、改修費も私どもが持ちましょう」


「それはまた……随分と大盤振る舞いですね」


「ええ。というのも、私どもとしましては、勇者様とお仲間たちが拠点を置くことそのものに価値が産まれると考えています。保安上、これより心強いことはありませんからね」


「場所の指定をする代わりに、手入れのための費用も持ってくださる、と?」


 金融部門長は鷹揚に肯いて見せた。

 背筋を伸ばし、両の手を組んで、神像のような微笑みを浮かべたまま。


 ――終始一貫して、目の奥は笑っていないのだが。


 しかし。


 俺たちに選択の余地がないのも確かだった。

 ならば拠点をすっぱり諦めるのか? 

 と、決断するにも商業ギルド側の提案には不審さが足りなかった。


 結局、その場で詰められる条件は詰めた上で、俺とミロスラフは提案を受け入れる。


 帰路につく途中、ミロスラフは言った。


「最終的な責任を持つのは僕だ。今日の交渉に肯と返したのも。どんな形に収まっても、トマーシュには気に病まないで欲しいな」


 ……こう言われてしまってはなあ。

 俺は件の土地の下見を買って出る。

 自分なりにけじめをつけたかったからだ。


 そんなわけで、俺は今、曲がりくねった山道を歩いているのだった。

 カミル? カミルは彼の測量の技能をあてにして同行を頼み込んだ形だ。


「ひとつ貸しだからな!」


 手ごろな枝を杖代わりにしたカミルが、ぎろりと俺をねめつける。


 わかっておりますとも。

 俺は無言で片手をあげて応える。

 息切れがまだ収まらないのでこれが精一杯だ。


 俺の体たらくを目の当たりにしたカミルは、毒気を抜かれた様子で進行方向へ向きなおる。


 なんにせよ、村は目前だ。

 ここまで来れば例の物件――村はずれの廃劇場まではもうすぐだった。


 恐らくは沼地のほとりに建っていた円形の建造物のことだろう。

 鏡のようにしずかに光る沼地に半ば侵食された様子は、巨大な獣の歯列にも見えた。

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