第15話 俺と姉と家の話
なんだかんだあったが、たらふく飲んで食って帰って来た。
俺はほろ酔い気分で曇ったドアノブを握って居間に通じるドアを開く。
そして、「げっ」と呻いてその場に立ち尽くした。
「平日の夜よ? 酔っぱらって帰宅とは良いご身分ね」
姉貴が居たからだ。
長椅子に脚を組んで腰かけ、腕組みしての出迎えだった。
こうした態度からも察せられるとおりの威風堂々、傲岸不遜、キツい性格の人物だ。
「研究所に泊まり込んでいたはずじゃ?」
「一旦切り上げ。着替えも取りに戻らないといけなかったし」
「お疲れ様です……」
「いつまで経ってもお前が帰ってこないからお腹が空いたわ。遅くなると知っていれば食事を済ませてから来たのに」
アポなし帰宅でむちゃくちゃ言ってらあ!
「……ここに店で包んでもらった多少の料理がありますが……」
「それでいいわ。温めて頂戴」
御意。
俺はジャケットを脱ぐと、腕まくりをして台所へ向かった。
こんなんですが、我が家が貴族として盤石だった時代は社交界の華とか呼ばれていたんです。
まあ性格は当時から小指の先ほどもブレていないのであったが。
台所兼食堂にて。
温め直した煮込み料理と、蒸気に当てたパンを配膳して姉を呼ぶ。
俺は酔い覚ましの水をカップに注ぐと、いつもの定位置――姉の向かい側の席――につく。
別に食事を用意したらそのまま寝に行っても構わなかったのだが。
しかし姉に後片付けと洗い物を任せるのは色々な意味で怖い。
この辺りは学生時代に行軍訓練の一環で野外炊飯を仕込まれている俺の方がなんぼもマシだった。
姉は匙を手に取ると静かにキノコと獣のスネ肉の煮込みを食べ始める。
人心地つくのを見計らい、俺は彼女に話しかけた。
「姉上さあ」
「なによ」
「俺ん家って没落した訳じゃん?」
「そうね? 所属派閥のやらかしで旗印たる父上もろとも沈没したわね」
「アレがなかったら、俺らってどうなってたと思う?」
どうも今夜の一件で内省的な気分になっていたらしい。
気付けば姉を交えて過去の話を始めてしまっていた。
そうした機微を姉が察したかどうかはともかく、彼女は片眉を跳ね上げると即答した。
「私はどこかの高位貴族の嫁に収まっていたんじゃないかしら」
「あーね、許嫁もいたもんな」
「それも、双方の風向き次第じゃ解消してたでしょうね。なんせ当時の私はそれなりに値打ちのある手札だったもの」
二度目になりますが、この人はかつて社交界の華とも呼ばれるようなバッチバチのご令嬢でした。
「まああの薄らぼんくらクレメンスのことは良いとして……」
「あの人この間結婚しましたよ」
「あっそう」
未練はなさそうだった。
何よりだ。
「しかし改めて考えると惜しいわ。父上がやらかさなければ、どこぞの嫁に収まって、姫様学者として予算使い放題〆切破り放題の安穏たる研究生活を送る道もあったのね」
「割と楽観的な未来予想図だとは思うけど……。どうするんだよ、『貴族の女たるもの華であれ』って飾り棚に仕舞いこむタイプの男だったら」
「適当な裏工作で失脚させて、財産をせしめて出戻るかしら」
……はい! こういう家風でした。
だからこそブイブイ言わせていたし、没落しかけたらあっという間だった訳だ。
俺も俺で似たような調子だったから、毒抜きには苦労した。
まあ、姉上の一連の言動にしても彼女なりの冗談なのは明白だ。
当時の最悪貴族しぐさをジョークのネタにできる程度には、時間も経った。
「けれどトマーシュ、お前はどうなってたかしら」
「いちおう次期当主ではあったけど?」
「だけども、あの妾腹の兄が居たじゃない? 超有能バリッバリで野心ムンムン、ついでに産みの母に似た陰のあるド美形の」
「人となりの説明が含みありすぎじゃない? 俺はともかく姉上にはけっこう優しかったろうに」
「だってあれ下心込みの奴だったし」
「――半分血ィ繋がってんじゃん!!」
もうやだあの実家。
今はもうないからいいけど。
「あーでも、だから姉上は家の中でも張り詰めた顔をしていたのか。気付けなくてごめん」
「それだけが理由でもないわね。あと、気付かせないように立ち回ってたのよ。当時のお前にまでこの上気を遣われたんじゃ舌噛んで死んだ方がマシだったもの」
「そっかあ」
「実際、お前はどうなのよトマーシュ」
「正直すげえ気楽。当座の生命の危機もなくなったしね」
「毒は盛られるわ、侍従が暗殺者だったわ、とんでもない生活だったものね。あまりにアレだから王立学院の寮に送り込まれて、お前はぶーたれていたっけ」
「まあでも、今となっては進路に関してだけは感謝しているね。お陰で得られた縁もあるし」
「恩師?」
「いや、友人」
「それは何より」
そう言って姉は目元に笑みを浮かべる。
貴族令息たちをぞっこんにした面影が一瞬だけ浮かび、すぐに消えた。
「さて。私はそろそろ休ませてもらうわ。ひと眠りしたらまた研究所へ行かなきゃならないし」
「魔導研究所の仕事はどう?」
姉は肩をすくめた。
「お前の業務と大差ないわよ」
俺と違って、あの人けっこう職位が高かったはずだが……。
まあ、はぐらかされたんだろうな。
軍事研究の一種だから口外できないことも数多いのだろう。
夜半、中途半端に酒の残った俺の頭は変に冴えてしまって寝付けずにいた。
寝台に横たわったまま天井を眺め、考える。
何を? 今後の身の振り方についてだ。
といっても、別に仕事を辞めようなどと目論んでいるわけではない。
もっと漠然とした……どんな人間として在りたいかの指針とでもいうべきか。
俺に財産といえるものがまだあるならば、それはミロスラフのような友人だろう。
たぶんだが、カミル、マティアス、ジェラニも加えていいように思う。
改めて考えるべきだ。
何も持っていない俺が、彼らに報いるためにできることを。
いみじくもヴィンチェスラフと出会った一件で、俺はそう気付かされたのだった。
彼はこう言ったのだ、「期待を裏切るのが怖い」と。
現状、魔王討伐は彼一人の肩に負わされた難事業だ。
しかし、それって本当に正しいことなのだろうか?
かといって解決法はかけらも思いつかない。
が、それでも考え続けることは必要なのだろう。
これだけは言える。
ミロスラフを孤独にすべきではないと。
今はまだ、直感に過ぎないが。
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