第16話 勇者一行の万事順調な迷宮攻略(※勇者視点)

 砂色の壁に磨き上げられた黒曜石のレリーフがはめ込まれている。

 ざっと千年ほどは封印されていたはずのこの迷宮で、どうして曇らないままでいられたのだろう? 


 ――いけない、また気が散ってしまっている。


 僕は軽く頭を振ると、目の前のことに集中しようと努力した。

 剣を正眼に構え、眼前の敵、人面牛頭の悪鬼デーモンと相対する。


 悪鬼の身の丈は最低でも僕の倍ほどもある。

 そのうえ、三対の角が曲がりくねりながら前後左右に突き出ていて、だからだろう、天井につっかえないために常に身体を深く折り曲げている。


「ブオオオオオオオッ!」


 口角から泡を飛ばし、悪鬼が枷の付いた右腕を振るう。

 緑青の浮いた枷から伸びる朽ちかけた鎖が壁に衝突した拍子に砕ける。

 破片が僕と悪鬼の間にバラまかれ、僕はそいつを身体で押しのけながら巨大な拳を受け流し、深く踏み込んだ。


 回避行動の勢いをそのまま右腕に乗せて、振るう。


 ――ズパン! 


 悪鬼の黒ずんだ皮膚が切り裂かれた。

 手ごたえからして骨までには達していない――そして、出血が少ない。

 想定していたより、ずっと。


「――ミロスラフ! ――そのデーモンは……ゾンビ化を……!!」


 背後からカミルの声が飛んできた。

 強い集中によって伸長した僕の時間感覚のために、その声は少し間延びして聞こえる。


 なるほど、ゾンビね。


 悪鬼の足元を見れば、消えかけた魔法陣が床に刻まれていた。

 可哀想だな、と場違いな気持ちが湧きおこる。

 どこかから召喚されて、鎖に繋がれて、千年じゃきかない期間を閉じ込められてきた。

 周囲を満たす魔力によって、自然死すら許されず。


 残酷なことだと思う。

 そして僕にできるのは、この悪鬼を仕留めることで、せめて苦しみから解放してやったと自分に言い聞かせることくらいだ。


 その時。

 しらじらとした光が背後から迫り、僕の頭上を通り越して悪鬼の首元に炸裂した。


 瞬間、直撃した皮膚は沸騰したように泡立ち、鼻をつく臭いと煙が上がる。


 今のは……マティアスの唱える祝福呪文、『浄化の炎』か。

 悪魔属デーモン動く死体アンデッドと来たら、うってつけの攻撃手段だ! 


 こちらから指示をしなかったのに、彼自身の判断で詠唱してくれていたらしい。

 おかげでこちらも自分のすべきことに集中できる。


 さっきの『浄化の炎』は最短詠唱で放ったためか威力はさほどでもない。

 牽制程度の効果と考えるべきだろう……しかし、そのことによって産まれた隙がなにより有難かった。


 僕は地面を蹴った。悪鬼の膝から腿にかけて駆けあがり、悪鬼の頸へ大剣を振り下ろす。


「――ギギャッ!」


 ガギン! 


 刃が骨に阻まれる。

 まるで合金並みの強度だ。


 ならばもう一撃! 


 ――ぐらり


 着地からの追撃に備える僕の横で、悪鬼がその体勢を大きく崩した。

 ジェラニの手にした曲刀が悪鬼の右くるぶしごと腱を斬り飛ばしたためだ。


 刹那、僕はジェラニとアイコンタクトを取る。

 彼が退いたその位置に着地した僕は、剣を両手に構えて斬り上げた。


 刃は焼けただれた首を捉え、頸椎を断ち、向こう側へと振りぬけていく。


 宙を舞う牛頭人面の首が地面に落ち、跳ねて――。


「うわぁ!」


 カミルが慌てて足を引っ込めると、デーモンゾンビの首がガチガチと歯を鳴らしながら転がっていく。

 その物音が収まるころ、まるで示し合わせたかのように悪鬼の首無し死体がどうと倒れ伏す。

 死骸がブスブスと煙を上げながら崩れ去り、やがて塵となって消えた。


 ダンジョンが元の通りの不気味な静寂を取り戻す。


 僕が剣の汚れを払っていると、カミルが歩み寄ってくる。


「扉の向こうにあんな奴が封印されていたとはなあ」


謎かけリドルに失敗した訳ではないんだろ?」


「そうさ。これが正解のはず。……即死級のトラップって訳でもなかったしね。おっかなかったけどさ」


 僕の問いかけにカミルが肩をすくめて返した。


「この程度の奴にカマせねェようじゃ、この先やってけねェってこったろうな」


「召喚した悪鬼を鎖につないでアンデッドに仕立てるとは……冒涜的な行いです」


 曲刀を腰帯に差したジェラニと、戦鎚を携えたマティアスも合流する。


「それじゃあ先に進もうか――あ、そうだ。みんな怪我はない?」


「ない!」

「ねェ」

「ありません」


 三者三様の答えに勇気づけられ、僕は彼らへ笑い返す。

 そして前を向いて、ふたたびダンジョン探索を続けるべく歩みを進めた。


 やっぱり仲間っていいものだ。

 あの、最初の魔王討伐は……精神的にかなりキツかった。


 完璧な水平の取れた――と、測量・マッピング担当のカミルが言っていた――乾いた石造りの床を歩く。

 警戒を怠ることはない。


(あの夜の地面はぬかるんでいて、本当にしんどかったな)


 けれどそんな考えがよぎったせいで、僕の思考の一部は過去を反芻し始める。

 こんな僕が、勇者、だなんて呼ばれるきっかけになった夜のことを。


 ――故郷の貧しさの原因だった、あの魔王。

 悪疫の女王マドリガル。


 僕が持っていたのは前世の知識と、ギフトのように与えられたささやかな高速思考チートだけ。


 けれども思ったのだ、『今の自分なら、奴を殺せる』と。

 だから、斃した。殺した。魔王を崇拝していた異郷の氏族もろとも。


 誰も彼もが僕を称賛し、誉めそやした。

 爵位と勇者の称号を得て、領地も得た。


 かつては悪疫の女王の勢力圏だった土地は、今や僕のものだ。


 喜ぶべきことだ。

 肩書と共にのしかかる責務の重さを誇るべきだ。

 僕の領地は土地が痩せ衰えているから、灌漑かんがい開墾かいこんも急ピッチで進めなければ。


 そして同時に、勇者である僕はこの大陸にあまた座す魔王を、一柱でも多く討伐しなければならない。


 手に負えないことはない。

 今生で得たこの身体は頑健で、鍛えれば鍛えるほどに応えてくれる。

 まるで疲れを知らないかのように動いてくれた。


 だから、問題は僕自身。

 この出来の良い身体にずる賢くも割り込んだ、弱く卑怯な中身にあった。


 時々眠れなくなる。

 眠れる日は、ほとんど毎回悪夢を見た。


 惰弱なこの精神が、僕は憎い。

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