第2話 良くも悪くも普通じゃない友人は、勇者になった

 ふと思い立ち、俺は藪から頭を出して視線を上げる。


 その夢の中で、俺は十六歳の夏の只中にあった。

 当時の俺は己を取り巻くすべてにうんざりしていて、毛色の異なる景色を求めていた。


 鬱蒼とした木立から、石ころだらけの荒れ野を透かし見る。

 空に浮かぶ綿雲の影が地面にまだら模様を投げかけながら、ゆっくりと流れていった。


 物寂しい光景だと思うべきなのだろう。

 しかし当時の俺は、がらんとした風情に不思議な魅力をおぼえていた。


 けれども、それにしても、荒野を隔てた岩山が、やけに滲んで見える。

 だから何の気なしに双眼鏡を覗き込んだ。


 直後、おれの頭の中は空っぽになる。


「――魔物の狂乱スタンピードだ!」


 実戦形式の遠征授業に張り切る脳筋たち、今朝がた押し付けられた斥候役。

 帰還後程なくして差し迫る期末試験(官僚志望の俺からしたらそちらこそが本命だ)。


 そうしたよしなしごとが思考の埒外へきれいさっぱり掃き出された。


「進行方向には宿泊区域がある! 誰か手を貸してくれ!」


 開けた場所に飛び出して叫ぶ。

 拠点へ取って返す道すがらも声を張り上げ続けた。

 通信魔術の適合試験を先延ばしにしたことを、心の底から悔いる。


 さっきまでの俺と同じく、そこいらに潜んでいるであろう同窓生たちを恨めしく思った。


 奴らは『演習場の近隣に危険は少ない』という教官の言葉を愚直に信じている。

 あるいは事の成り行きを見守っているのだろうか。


 ――その『少ない』とかいう危機が迫っているんだよ! 


 感情が爆発しかけた刹那、何者かが叫びまわる俺に駆け寄って来た。


 明るい金髪と、空色の瞳。

 人形じみて整った顔。

 男所帯じゃ舐められがちな容姿である。


 そいつの顔と名前が辛うじて一致する程度の関係性でしかない。


「詳しく聞かせてくれ!」


 彼の声には張りがあり、有無を言わさぬ説得力があった。

 俺のかっかした頭が、わずかに冷える。


「魔物の狂乱が起こった。進行方向は東北東から東、目算だが小一時間もすれば平原に出る」


 俺たちはしばし顔を見合わせる。

 平原には王立学院生のための詰め所があった。

 怪我人や非戦闘員しか居ない建物が。


「通信手段は?」


「ない! 一か八か、陣地の監督生へ報せに向かう所だが」


「うちの拠点の方が近い。これを見せれば話も早いはずだ」


 彼は自分の腕章をむしり取って俺へと投げ渡す。

 色は黄。そう、俺の属する青軍とは敵陣営同士だ。


 俺が双眼鏡を手渡すよりも早く、ミロスラフは手近な樹に登っていく。

 彼の姿が生い茂る葉の向こうに消えてから程なく、頭上から声が降ってきた。


「――君の言った通りだ! ……えっと、名前は?」


「トマーシュ! そっちはミロスラフだったな!」


 直後、飛び降りるが早いが、ミロスラフは駆けていった。

 ――魔物の群れへと、真っすぐに。


「死ぬぞバカ!」


「君は報せに行ってくれ。僕は僕で、できることをするから!」


 結論から言う。奴はやってのけた。


 派手な音と光を起こすばかりの使い捨て魔導器スクロールと、なまくらの剣。

 たったそれだけで魔物の群れを枯れた渓谷に誘い込んでみせた。


 隘路にひしめく魔物を順繰りに仕留め、その場に駆け付けた学生たちの指揮までこなした。


 確かなことだ。

 かき集めたスクロールを読み上げ、伝令の真似事をしながら、俺もその場に居合わせたのだから。




 生涯忘れることはないだろう。


 傷だらけの剣を握る、血がにじんだ手を。

 血に狂った魔物たちと相対する背中を。




 こいつは良くも悪くも普通じゃない。

 恐れと憧れはちょうど半々で、だから俺は彼と話してみたくなったのだ。


◇◇◇


 ――そこで目が覚めた。

 俺は二日酔いでガンガンと痛む頭を抱え、寝台から起き上がる。


 今しがた夢で見た内容こそが、ミロスラフと俺が友人づきあいを始めたきっかけだ。

 けれども後の勇者にとってはさもない逸話のひとつに過ぎないだろう。


 彼はその後も活躍し続け、王立学院を首席で卒業。

 ほどなくS級冒険者の位階を得て王の直属となった。


 錚々たる面々を率いて、勇者ミロスラフは世界を救う冒険の日々を送っている。

 ……らしい。


 いっぽう俺はといえば、王立学院を中退して市井の人間として地味に暮らしている。


 十六歳の夏の日から数年が経ち、俺たちの立場は随分と違ったものになった。

 それでも再会を祝して一杯やる程度には友情を感じてくれているらしい。

 俺はそのことを、素直に喜ぶべきなんだろうな。




 階下へ戻ると、ミロスラフは既に身支度を終えているようだった。

 彼は毛布を丁寧に畳んでソファへ置くと、俺へ朝の挨拶をする。


「おはよう」


「おはようさん。……もう身支度も終えてるのか。仕事か?」


「いいや? 金策を、ちょっとね」


 金策? 


「そういえば、邸宅には何かしらの金品はないのか? 例の空間跳躍魔法を使えば取りに行くのは容易いんじゃ」


 昨晩は気付かなかったけど。

 俺がそう問いかけると、ミロスラフは首を横に振った。


「あそこは殆ど物置みたいな場所さ。伝説の武具とか、売っちゃいけない大事なものだとか、そういった品しかないよ。領地運営の予算に手を出すわけにもいかないし」


「……じゃあお前、どうやって暮らしてるかって言ったら……」


「え……、ああ。魔物モンスターを狩ったり、冒険用の予算をやりくりしたりだね?」


「典型的な自転車操業の冒険者生活じゃねえか。きょうびC級冒険者でも副業を持つなりしてもうちょい安定志向だぞ……」


 昨晩のやり取りの時点で嫌な予感はしていた。

 勇者ミロスラフはその清廉潔白な暮らしぶりでも名高いが、実態は違うようだ。


「――待てよ。金策しに行くって? どこへ? 何しに?」


「ああ。ここから山を四つほど越えるとちょっとした竜が生息していたろ? そいつを……」


「まさか風哮山ふうこうさんに巣食う黒緋輝石竜ガーネット・ドラゴンを退治するなんて言い出すんじゃないだろうな。単騎で退治するような代物じゃないだろ!?」


「まあ、大丈夫だよ」


 ミロスラフは事もなげに言いのけると、あっさりと空間跳躍魔法ゲートを唱えた。


 土埃まみれの風が居間に吹きこむ。

 ミロスラフが光の帯をくぐると、光輪がみるみる閉じていった。


 俺は反射的に彼の後を追い、ゲートに飛び込む。

 旧友の破綻した暮らしぶりを垣間見てしまった以上、放っておく訳にもいかなかった。

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