S級勇者の友人A~イケメン勇者は暮らし下手。没落モブ貴族の俺は小役人勤めで培ったスキルで勇者一行を補佐し、思わぬ形で成り上がる結果に~

納戸丁字

第一章 ポンコツ勇者と仲間たち……と、小役人の俺

第1話 彼の財布は大迷宮の底に転がっている

 そうとも。

 その晩の俺は、とても、とても、とても! ……酔っていた。


「――トマーシュ!」


 きっかけは、珍しく王城に使い走りにやられたことだった。

 宮殿の廊下で俺は、旧友と鉢合わせする。


 七年ぶりに会った彼、ミロスラフは見違えていた。

 金髪碧眼に甘ったるい顔立ちは相変わらずだが、地に足のついた自信が伴っている。

 まったく、光を放つかのような男ぶりだった。

 王都中の者が放っておかないのも納得せざるを得ない。


 しかし彼は十七歳の頃とまるきり同じ態度で俺の肩を叩き、再会を喜んでくれた。

 あれよあれよという間に話はまとまり、俺たちは王都中心部の店で食事することになる。


 個室制のレストランの雰囲気の良さと、友の健啖ぶりにあてられて、俺もたらふく飲み食いをした。


 そして、そろそろお開きにしようという段。

 それは起こった。


 コートも、鞄も、あらゆる荷物をひっくり返してから、ミロスラフは言ったのだ。


「財布を落とした」


 ……と。




 はー、美形イケメンは憔悴していても絵になるなあ。

 面も体格もごく普通な俺じゃ、ああはいかない。


 俺は酒でぼやけた思考に麦酒をさらに流し込み、のんびり行方を見守った。


 にしても、どうして慌てているんだろう? 

 遅まきながら気付いて口を開く。


「……なんて?」


「だから、財布を落としたんだよトマーシュ! きっと大迷宮深部のどこかだと思う。野営中に襲撃された時に荷物からこぼれ落ちたか――」


「経緯については後にしようぜ……まず整理しようか。財布を落とした場所へ、すぐ取りに戻れるか?」


 ミロスラフは『ノー』の身振りで答えた。


「今の所持金は? ゼロ?」


 今度は『イエス』。


「でもまあ、一旦家に戻れば……」


「ごめん、無理だ」


「へ?」


「財布の中にあるのが……生活費の全てだったんで……」


 思わず、俺は食卓を見た。

 デザートの皿には蜂蜜タルトの欠片が散らばっている。

 別添えで出された乾酪チーズと果物の盛り合わせは男二人の胃の中にすっかり収まっていた。


 バターと蕃紅花サフランで炊いた穀物粥も。

 捻角牛と茸の煮込みブレゼも。

 開心果ピスタチオとハーブの詰め物をした白虹鳥も。


 我が国の名物であるところの麦酒は言うに及ばず、舶来物の古酒も何本か開けていた。


 支払いは出世頭のミロスラフが持つ約束で会食している。


「逃げてえな」


「ごめん、僕の立場でそれは……」


「冗談だよ。俺はともかく、勇者様にそんなことはさせらんないや」


 なんせ彼は勇者S級冒険者である。

 一応は役人で通っている俺にしたって、実際にそんな真似をしたら詰みだ。


 まともでない事態に巻き込まれつつある。

 そんな予感をひしひしと感じながら、俺は支払いという困難に立ち向かうべく席を立った。




 支配人の元へ赴き、手持ちの現金すべてと、父から譲り受けた真銀の懐中時計も差し出した。

 残りの支払いを待ってもらうよう言質を得て、俺たちはそそくさと店を後にする。


「さて、乗り合い馬車を……いや、やっぱり歩くか」


「トマーシュ、今はどのあたりに住んでいるんだい?」


「王都郊外。お化けしなの木がある辺りだな」


「そうか。――『空間跳躍ゲート』」


 ミロスラフは手短な詠唱と共に右手を掲げた。


 人差し指の先に黄金きん色の光輪が現れ、たちどころに戸口ほどの大きさになった。

 向こう側には、曇った夜空に枝をのたくらせる枯れ木が見える。


「高等呪文を足代わりに使うなんて、ちょっとした王侯気分だな!」


「一応、他の人には内緒でお願いするよ」


「おいおい……」


 光る帯を跨ぎ越せば、そこはもう郊外だ。

 俺は目と鼻の先の我が家へ足を向け、ふと振り返る。


 そこにはすっかりしょげた様子で佇むミロスラフが居た。


「よし、うちで飲み直すか」


「いいのかい?」


 返事の代わりにささくれた扉を開き、俺はミロスラフを招き入れる。


「――ま、安酒で良ければ出せるぜ」


◇◇◇


 宣言通り、俺たちは台所で飲み直すことにした。

 酒を注いでやると、ミロスラフはしみじみとした様子で飲み始めている。


 美食には飽き飽きするような生活だろうに、何がそんなに美味いのだろう。

 ともかく、ミロスラフの動揺もようやっと収まってきたらしい。


「支払いの件は、本当に済まなかった」


「んな大げさな。言っておくがちゃんと後から割り勘にさせてもらうぞ」


「もちろん! というか、ご馳走するよ。そのつもりで、声をかけた訳だし」


「勇者サマのおごりなんて光栄だな。……しかし、久々の休暇の相手が俺みたいな小役人が相手で良かったのか?」


「そんな風に言わないでくれよ。トマーシュ、君と僕は共に机を並べて学んだ仲じゃないか」


「ああ……まあ、十七歳の夏まではな?」


 親父が派閥闘争に敗れて失脚したのがちょうどその辺り。

 実家のゴタゴタが原因で、俺は卒業することなく王立学院を中退している。


「家族を支えるために仕事に就いて、しかもそこから役人になったんだろ? 凄いことじゃないか」


「官職とはいっても雑用係に毛が生えたようなものだけどな」


「とんでもない! ……できれば一緒に卒業したかったのは本当だけど」


「そう言って貰えるだけでも嬉しいよ」


 冴えない結果に終わった学校生活だが、人間関係には恵まれたのだと思う。

 旧友が、今もこうして同窓生扱いしてくれているのだから。




「――お前さあ、どうしてダンジョンに全財産を持ち込んだんだよ」


 俺は酒のおかわりを錫のカップにどぼどぼと注ぐと、差し向かいのミロスラフへ手渡す。

 大人しくカップを受け取った彼は、相変わらず思いつめた表情のままだ。


「別にそういう訳でもないんだけど」


「じゃあ何で生活費もないって話になったんだ」


「……そりゃ、トマーシュみたいにきちんと暮らしているなら、大したことじゃないんだろうが」


「きちんと?」


 俺は思わず今いる台所を見回した。


 卓上には、ちびた蝋燭ろうそくといくつかの酒瓶。

 棚に転がっているのは干からびかけた玉ねぎだ。


「確かに俺の趣味は掃除と整理整頓だが、物が少ないのは単に金欠だからでもあるぜ」


「――いや! そういう意味じゃなくてだなあ……」


「探索先で金銭が入用な時は、冒険用の予算を申請できるだろ? それを使えば良かったのに」


「……」


「ミロスラフ?」


「いや、使っていた」


「なら……」


 そこで俺はやっと気付いた。

 ミロスラフが手にしたカップが小刻みに震えている。


「アレで、生活の全てをまかなっていた……」


 顔が赤いのは酒のせいじゃないだろう。

 ついさっきまで顔色一つ変えずに飲みまくっていたのだから。

 どうやらこいつはどえらく酒に強い奴ザルだった。


 なのに俯いた顔が、髪の間から覗く耳が、みるみる赤く染まっていく。


「……銀行ってあるだろ?」


 殆ど聞き取れないほど、小さな声でミロスラフは語りだした。


「たしか、つい最近になって商業ギルドが始めた資産管理と運用の仕組みだったっけか?」


「冒険で得た金貨や財宝は銀行に預けてあるんだ」


「それを聞けて安心したよ!」


 とりあえず全財産を失くした訳じゃない、そう知れて俺は心底安堵した。

 の、だが、ミロスラフが纏う重苦しい雰囲気はちっとも晴れない。


 たっぷり数呼吸の間、彼は黙り込む。

 手にしているカップの水面が微かに波立っている。

 震えを押しとどめるように反対側の手で包み込み、ミロスラフは意を決した様子で語りだした。


「預金の引き出しには、身分証明が要る」


「はは! お前の身分証明? S級冒険者の証があれば十分だろ。お前の身分は王が保証している」


「有難いことにね。でも最後の最後に……」


 ミロスラフはふたたび言いよどんだ。

 手の中で遊ばせていたカップをぐいと煽り、口を開く。


「署名を、しなきゃならない!」


「――署名サイン? 形式的な確認に過ぎないだろ?」


「いや、サインすること自体が、僕にとっては……」


「まさか、字が書けないって言う気じゃないよな?」


「そのまさかだよ!」


 ……本気で言ってるのだろうか? 

 最高学府まで出た、デキる男の権化が、自分の名前も書けないだなんて。


「そりゃ綴りは問題ないさ。ただ、字の形が……どうにも……」


「ああー」


 そこで俺は合点がいった。


 我が国では書字は繊細な技術とされ、専門の書き手ともなれば高度な訓練を必要とする。


 ある程度の家格に産まれたなら、たしなみとして子供の頃から書写を習う。

 けれどもミロスラフは辺境の寒村の出身だからか、基礎教養は最低限のようだった。


「人前で氏名を書くと周りの目が凍り付くんだ」


 ここで「たかが字の話だろ?」と言うのは、まあ貴族育ちの驕りだろう。

 書き手の教育水準があからさまになるのは厳然たる事実だ。


 今の彼が主に付き合っているような、上流階級の人々からしたら尚更だ。


「――そりゃあ、問題だな」


「ああ。大問題なんだ」


 俺は無言でミロスラフのカップへ酒のおかわりを注いでやる。


 たかが文字の話に過ぎない。

 だというのに、この男の眼前にはその『たかが』が高い壁として聳え立っていた。


 ――俺は無性に、それを腹立たしく思い始めている。

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