「暁天」
Youg
「暁天」
「好きです」
俺は今、彼女を傷つけた。
自分が決めた姿になるために、少しでも自分があの高みに近づくために、彼女に追いつくために何も知らない彼女を騙して手に入れた。
自分の心の奥にしまっていた善意が顔を出す。それが痛いほどまぶしくて、恐ろしくて、手が震える。
もう後戻りはできない。
震える手でマイクを握り、震える心で自分の善意にもう一度蓋をする。
「この度、生徒会会長に立候補しました、Yです」
彼女と同じように何も知らない彼らは、ステージに立つ俺をどんな目で見ているのだろう。よく話せるな、と感心しているのか、早く終わらないかな、と退屈にしているのか表情だけではわからない。それほど俺の視界はぼやけてしまっている。
たった3分。
一日の中のたった3分がこの時だけは永遠のように感じられた。
それは緊張からくるというよりむしろ、罪悪感と後ろめたさからくるもののようだった。
永遠に続くこの時間は、視界が変わるとすでに終わっていた。
自分が何を言ったのか、どんな反応だったのか、ライバルの演説は、なんて気にする余裕など一切なく、俺に残されたのは心の傷と確かな手応えだけだった。
「先日行われた生徒会選挙の結果を発表します。生徒会長は……Y君です」
溢れるような拍手がクラスから起こり、視線が自分に集まる。
先まで静まり返っていたほかのクラスからも話し声が聞こえる。
ああ、わかっていた。
こうなるなんてことは、最初からなんとなく察していた。
むしろこうなってくれなければこちらが困る。
「おめでとう」
「ありがとう」
心に杭がさされる。
塞がりかけていたガラスの瘡蓋にひびが入り、砕ける。
「おめでとう、すごいね」
「ああ、ありがとう」
心に噛みつかれる。鋭い歯でえぐられた心は歪な形を形成してあの蓋をあらわにさせる。
「おめでとう、いやー負けたよ」
「……お、おう」
心に土足で入るそれは、乱暴にもあの蓋をこじ開けた。
その瞬間、閉じ込めていたはずの善意が全身を駆け巡り、俺自身を強く否定する。俺の中の大切な何かが、そのはずみで壊れてしまったかのような、そんな喪失感に襲われた。
映画の主人公は、自分の暗い過去に向き合い乗り越える。そして凶悪な敵に勇敢にも立ち向かい、自分の強さと相手の弱さを語って敵を討ち取る。
輝かしい肩書と多くの信頼を持った俺は、そんな映画の主人公のような気分になる。
勘違い、というわけではない。
自分で作った暗い過去という名の大罪と乗り越えたという言い訳の自己肯定感。そしてそんな自分を永遠に否定するもう一人の自分。
これでいい。
新たな仮面を自分につけ、何者にもなれるピエロになる。
十分役割を果たしてくれた彼女に別れを告げる。
少しずつ、少しずつ自分の本来の姿を隠し、仮面の数を増やしていく。
数多くの仕事と課題を乗り越え、長いようで短かった1年を終えた。
「1年間、ありがとうございました」
俺とは違って、本当の信頼と希望をもった後輩に役職を譲り、俺はただの人間に戻る。
そして気が付けば、自分の周りには誰もいなかった。
声もなく、影も形もない。
残されたのは足元に転がる傷だらけの仮面だけだった。
寒く、暗い空間でおぞましい無数の手が俺の全身に絡みついてくる。
ぽつんと遠くに誰かが立っている。
それは俺に気づくとゆっくりと近づいてきた。
「やあ、久しぶりだね」
「……!」
しゃべれない。
口が言うことを聞かない。
「よくここまで演じきったよ。感心した。さすがは優秀な君だね」
誰だ。
黒い靄が顔を隠し、傷だらけの手が俺の首に届く。
「でも君は何がしたかったんだい?周りを見てみなよ。誰もいやしない。ほら、君が傷つけた彼女も……」
うっすらと影から俺が傷つけた彼女が顔を出した。目に生気はなく、憎しみを帯びた瞳でこちらを見てきた。
「君がずっと一方的に好きで憧れていた彼女も……」
次に顔を出したのは、俺が本当に好きだった彼女だった。彼女の瞳は失望のようだった。
「ほぉら、見てごらん。みんな僕の方にいる」
次々と顔を出してくる友人たち。学校の先生。そして家族。
「君はずっと一人だ。何者にもなれはしない。なった気でいるのさ」
わかっていた。
こんなものは間違っていると、本当に大切な俺の求めたものではないと、わかっていた。
だがそれを考えてしまっては、これまでの自分をすべて否定することになってしまう。だから目を背けてきた。
当時の俺は、生徒会長に立候補したのだが、それは強制されたことだった。担任の教師からの指示で俺は立候補したのだ。相手は俺の担任教師が最も嫌っていた教師の教え子で、その教師は負けるはずがないと啖呵を切っていたそうだ。なにがなんでも当選することを要求された俺に足りなかったのは他クラスの女子の票だった。そこで俺は女子の横のつながりを利用するため彼女に近づいた。その後は当選し、自分の使命と責任を果たし、それが彼女への贖罪になると信じて疑わなかった。
「どうしたんだい?いつになく悲しそうな表情じゃないか。自分の罪が苦しいのかい?」
体に絡みついた手を全力でほどき、口元の強固な腕を引きちぎる。
「誰なんだ!お前は一体、なんなんだ!」
うっすらと目の前の男の黒い靄が消えていき、口元が見える。俺の問いかけに不気味な笑みを浮かべたその男の顔がはっきりと俺の目に映った。
「お前だよ、いつかに僕を閉じ込めたお前さ」
はっ!
見慣れた部屋、なじみのある芳香剤のにおい。
俺の部屋だ。
「夢…いや、現実か……」
壁に掛けられた制服に視線が移る。
首元の襟につけられた校章、新品とは違い形も色もなじんだ学ラン。
中学校を卒業後、俺は市内の県立高校に進学した。
最初の1年目から学業において実力を見せた俺は、周囲のクラスメイトや先生からも信頼され、俗にいう優等生となっていた。12月ごろにはクラスの女子と付き合うことになり、順風満帆な高校生活を送っていた。だが、その彼女とも数か月で破局。また俺は大切な人を傷つけてしまった。
去年は校内の特進クラスに入り、進路実現のため自分のすべてを学業に専念した。学年1位をキープし、評定平均は4.9を記録。一見、優秀な生徒が集まった学級のように思われたが現実はそういうわけではない。友達付き合いや自分の学習意欲向上のために入ってきたような人間が多かった。この現実に俺は失望し、俺の意識は彼らと自分を引き離すというものへと変わってしまった。
冷たい言葉、冷たい視線。
きれいな仮面を付け替えて難なくこなしていた。
なんとも思っていないはずだった。
あの夢はたまに見る。
そのたびに鼓動が早くなり、呼吸が苦しくなる。
手に力が入り、ある日は爪が手のひらに入り込み、血が出てしまった。
このタイミングであの夢を見るということは、あいつが俺に言っているのだ。
忘れるな、と。
苦しめ、と。
そして、お前の幸せを許さない、と。
現在俺は3年生として最後の高校生活を送っている。
来年の今頃は大学生として社会の厳しさを痛感しているだろう。
自分の過去を消すことなんてできない。自分の罪をなかったことにするなんてできない。彼女がたとえ俺を許しても、あいつは俺を許さない。
人は誰でも過ちを犯すというが果たしてそうだろうか。いや俺は今、犯すとはっきり言える立場ではないからこう思うのかもしれない。
失敗や過ち、経験と選択によって人は本来の自分を隠していく。いつしか失っていく。
そんなことが常識である社会の中で、本当に大切なことは本来の自分を忘れることなく、向き合っていくことなのだと俺は思う。
俺は少なくともあいつを忘れない。
あいつは俺に忘れさせてくれない。
時間が経つことであいつに残された記憶やつながりは風化してしまう。それを風化させないことこそが俺の本当の贖罪なのだろう。そしてそれはいつかまた俺に本来の自分と離れてしまった彼らを引き合わせてくれるのではないか。いつの日か、本来の自分を取り戻すことができるのではないか。
無限にあった選択肢の中で、俺はこの道を自分で選んで進んでいる。この先もそれは変わらないだろう。
あいつといつかまた一つになれるのなら、俺はきっと自分を許せる気がする。
このことを誰かに話せる日が来たとしたら、それは本当の意味であいつが俺を許してくれたということだろう。
そんな日がいつか来ることを願いながら、俺は今日も正門をくぐる。
「………はあ、今回は早かったな……ったく、早く思い出せよ。誰よりも優しく、誰よりも純粋で、誰よりも仲間が大好きだった君を………」
「「自信モテ生キヨ 生キトシ生クルモノ スベテ コレ 罪ノ子ナレバ」」
「暁天」 Youg @ito-yuji
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます