第7話 メンタルヘルス

私は夢の中で誰かと一緒にいる夢を見た。そこには一人の女性が現れた。彼女の顔は霧に包まれて明確ではなかったが、その雰囲気はどことなく妹を思わせるものがあった。彼女と私は古い商業施設を歩いていた。その施設は一昔前のデザインで、どこか懐かしさを感じさせる場所だった。


私たちはモールの中を闊歩し、笑い声を響かせながら多くの店を見て回った。しかし、その楽しい時間は突然の出来事によって中断された。彼女はミスタードーナツの店に立ち寄り、何食わぬ顔でレジの引き出しからさりげなく一万円札を抜き取ったのだ。その一部始終を私は目の当たりにし、その場に立ち尽くすしかなかった。彼女の行動は突然で、なぜか楽しげな笑みを浮かべていた。


動揺を隠しきれずに、私は急いで近くのトイレに駆け込んだ。そのトイレは使用感満載で、年月を感じさせる傷や汚れが目立っていた。便器はどれもが古びており、使い勝手の悪さが目に見えた。私が用を足そうとした時に便器から飛び散る水滴が私の服を汚すことを想像し、結局、何もせずにトイレを後にした。


外に出ると、彼女の姿はどこにもなかった。まるで彼女がこの世界から消え去ったかのように。私は彼女を探してモールを彷徨い続けたが、彼女の姿を再び見ることはなかった。それが現実の世界に引き戻される瞬間であり、夢から覚めた時、私は自分のベッドの中で深い息をついていた。


今日も重い腰を上げてから折り畳みベットを上にあげる。まずは5ch,がるちゃんを使い日々のニュースや興味のあるトピックを見る。たいていは過去にみたものの焼き直しであり、新鮮さや面白みがない。しかしこれらのトピックは特に5chの方だが、かなり面白い人がいることが在る。だから私はこれらから抜け出せずにいる。


今日はそれに加えて最近、地雷系というものに私の女装趣味が傾倒したいと思うようになった。それは自分の似合う、似合わないの次元はもう捨てたということだ。私は外出することをあきらめた。それは逃避かもしれない。メタ的に見てそこまで女装してがいちゅつするのが楽しくないのと自分で自分のことを痛々しく思えるからである。やはり自分の信念を貫けるのは才能のあるものだけだという、女装する前の考えに戻った。その考えは女装して外出するときの他者の目線、それから鏡を見る自分の目線、自分の過去、将来を考えてじんわりと変化していったものである。


今のままの自分を変えたくて始めた女装だが、これは金にならない。金にならなきゃ生きていけない。生きるには金に結びつく一歩を踏み出さないといけない。と思うようにいなってきた。だから社会人は副業にあんなに必死になる人が増えたのか。みな副業で資産を作りたがっている。それは月給換算ではないお金を生む資産を作りたがっている。私は報酬性だがフードーデリバリーというのはやりがいもないし、将来性もない。メリットとしたら普通のスーパーの店員や飲食の店員よりはお金が稼げるし自由に仕事できる時間を決めれる点だろう。私は年齢は今年21歳、年明けてどんどん上がり、父方の祖父がしに、母方の祖母、そして父方の祖母も年齢的にもうすぐ死に、もしかしたら母ももうすぐ突然死ぬかもしれない。そう仮定すると私には結局絶望しか残されていないような気がした。それは叫びたくなるような仮定だ。奇声を上げようと思ったが、とてもそんな気分ではなかった。


誰かにひき殺されたいと思うほどの絶望を抱えている自分がいる。いや、それよりも南海トラフの巨大地震で、私もろともこの日本が壊滅してしまえばいいのにとさえ思ってしまう。これは原始的な悲劇の本能である。私は子供の頃も強烈な台風が来るときにワクワクを感じていた。2030年ごろに起こると噂される南海トラフのその日が、なぜか私にとっては救済にも感じられる。それまであと六年、このどうしようもない生活をどうにか耐え抜かなければならないのかと思うと、心が重く沈む。


フードデリバリーでの仕事は生活を支えてくれてはいるが、心の底から抜け出したいという願望が日に日に強まっている。私は何か違う道を見つけたい、もう少しまともな何かに身を置きたいと切に願っている。生きることの重荷を少しでも軽くしたい、そう願う毎日だ。


地雷系の通販サイトをみるとやはり普通の服よりいくぶんか高い。いまの私じゃ買えてせいぜい一着だろう。あとサイズが私のサイズより小さいものばかりでせっかくいいのも見つけても入らなさそうという問題がった。地雷系の服は見た目が似通っているため、長時間見ているとどれも同じに見えてくる。「どれを買っても変わらないじゃん」という思いが頭をよぎる。一万円以上で送料無料になるショップが多いため、購入するならば少なくともその金額は超えたいと考える。


しかし、この全てがストレスに変わる前に、自問自答する。「本当にこれらの服で自分は幸せになれるのだろうか?」「高価な衣服を購入することで、何を得られるのだろう?」ショッピングカートにアイテムを追加する手が、ふと止まる。


夜、私は再びその夢の場面を思い出す。霧に包まれた女性が微笑むその顔は、悲しみともつかない複雑な表情をしていたような気がした。


翌日、私は配達中にふと気が向いて、久しぶりに静岡県立図書館へと足を運んだ。その図書館は地元の美術館のすぐ隣にあり、その地に足を踏み入れるのは実に久しぶりだった。以前、コロナ禍のさなかにこの美術館を訪れた際、ロダンの「地獄の門」のレプリカに圧倒された記憶が鮮明に蘇る。私が行ったお昼の時間帯ではロダン館は私と学芸員の人だけでその空間をほとんど独占することができた。それぐらい閑散としていたのだ。しかし清水に引っ越してからはここに来たことは一度としてなかった。しかし今回は図書館だけにする。


図書館内は静けさと落ち着いた雰囲気が私にぴったりだ。しいて言うなら照明をもう少し暗くして飛蚊症が目立たないようにしてほしかった。書棚の間を縫うように歩きながら、ふと一冊の本に目が留まる。その本は、「容姿が生涯年収に与える影響」というテーマを扱っているものだ。著者は見た目が経済的成功にどれほど影響するかについて、科学的な研究結果と実例を交えて論じている。飛蚊症に耐えながら読み進めに行くにつれ、私はどんどん憂鬱な気分になった。


研究結果が教えてくれるのは冷たい真実だ。そのためネットの感覚的なコメントよりも、データはより重く、より絶望的な現実を突きつけてくる。だからこそ、私はマイケル・サンデルの「実力も運もうち」という本が好きだ。


これでまた私の憂鬱の種を大きくすることに成功した。それは静かでゆっくりとした速度で心の奥深くを侵食していく。この種が芽吹くその日は気が狂っているに違いない。


それから何日が経過し私が夢展望で購入した商品が家に届いた。届いた服は、その複雑なデザインと彩りで一目見て心を掴まれた。セットアップは、上品な黒のベースに大胆なピンクと白のストライプが走っている。トップスはフリルが豊富にあしらわれ、透け感のあるシースルー素材が軽やかである。ウエスト部分は繊細なリボンでマークされ、その締め付け感が私に自身の存在を常に意識させる。この服を身にまとい、鏡の前に立った私は外見の華やかさと内面の寂寥感とが奇妙な対比をなしていた。このセットアップは自己の内面の空虚さを隠すための鎧であるのだ。


私は地雷系のセットアップを着た流れでYouTubeでの動画撮影してみることにした。真剣には考えていなかったが、3年前からふと「Youtuberになりたい」という思いがあった。ただどのようなジャンルで動画を作るべきか、長らく明確なアイデアが浮かばなかった。しかし、女装男子というジャンルが、自分の趣味から自然と派生していく形で見えてきた。そのため私はお金に困っていることもあり、5chのアドバイス通り本格的に資産を作る必要性に迫られていた。じゃないと労働者階級の悲惨な人生で生涯を終えることになる。いつまでも学生気分ではいられなかった。


スマートフォンのカメラをセットし、光がちょうどいい位置に自分を配置した。録画ボタンを押すと、突然の緊張が襲い掛かる。カメラのレンズは私をじっと見つめ、無言の圧力をかけてくるようだった。心の準備ができていなかった私は、言葉を失った。何度か自己紹介を試みるものの、声は震え、言葉は喉に詰まる。


「こんにちは、私は...えっと...」と切り出すも、次の言葉が出てこない。画面の向こうに想像した視聴者の顔が浮かび、さらに言葉が詰まる。一人でカメラに向かって話すことの難しさに圧倒された。私は人と直接話すのも苦手だが、カメラを通じてそれを行うのはさらに大きな挑戦だった。私は深呼吸をし、カメラを停止した。そしてまた死にたくなった。


それからYoutubuを使ってうさんくさい起業家のYoutubeでの成功の仕方とかの動画をみて私は台本を作ることにしてみた。私はすぐにこう流されてしまうのだ。しんとなるやりたいことがないからなんでもすぐに試してみることができるが、試すたびに自分の向いてなさがまざまざと自分に突き付けられる。そしてかんたんな結論なまたもや達する。結局才能がすべてじゃん。


YouTubeからの知識を取り入れ、試しに動画制作の手法や、成功の秘訣について動画で学ぶことにした。起業家が成功のヒントを洗練されたプレゼンテーションとともに語る。それを参考にし私は台本を作ってみることにした。


台本を作りながら「私はこれでいいのだろうか?」と自問自答を繰り返す。やりたいことが定まらずフリーターであるからこそ、金がかからず始められることはすぐに手を出せことができる。だが、その度に、自分の不向きさが明らかになる。いつものように、新しいことを試みるたび、その結果が心に重くのしかかる。普通の社会人や主婦には、才能がないことがどれほど苦痛であるか理解されないだろう。私は、音楽の才能を持つ架空の人物を妄想の中で生み出していた。この人物は、どの角度から見ても完璧なアーティストで、壮大な音楽キャリアを持ち、社会派でとても影響力のある人物である。


しかし、この完璧な妄想と現実の自分とのギャップに直面するたび、私は深く苦しんだ。「結局、才能がすべてじゃないか!」という怒りが心を支配する。何をやっても中途半端。何を始めても、うまくいかない。この無力感と、才能のなさへの怒りは、もはや何かを始める時に抱く日常的な苛立ちとなっていた。


台本を完成させた私は、その中で女性としてのペルソナ「京子」としての役割を演じることに決めた。この動画では化粧品の購入紹介を行う内容とし、京子の視点からその魅力を伝えるスタイルで進めることにした。


私は自分の作ったYouTube動画の再生ボタンを押し、頑張ってで挑んだ女装メイクの紹介が始まった。しかし、言葉を発するごとに、自分の知識の浅さが露呈し、話している内容がどうでも良いものに感じられた。動画を数分見るに耐えられず、すぐに停止ボタンを押した。そして地雷系メイクを紹介している人の動画を改めてみた。


それらの動画の技術、使っている製品の質、その全てが私とは桁違いだった。画面を通じて見る彼らの世界は輝いていて、その一方で私の部屋の中は灰色に感じられた。「これは本当にお金がかかるな」と思った。全身から熱がこみ上げ、涙が溢れそうになった。


「人生に抜け道はないんだ」とまたも感じた。私はほんとにメンタルヘルスなのにやつらは地雷系という手法でそれをうまく表現しようとする。だいたいメンタルヘルスで救済してもらえるのは女の場合が多い。男のメンタルヘルスはまっさきに社会から切り捨てられる。部屋の隅で、ふとした衝動にかられて、足を子供のようにバタバタとさせた。目の前には、生物のように丸まったブラジャーが落ちている。その瞬間、女装をやめようと思った。「くだらないし、それを極めても何も生まない」と心から感じた。「女装で表現して世界が変わるのか?」いや違う。

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