第4話 二日目の東京

メインのロードから外れた路地を通り新宿駅の方に向かったら、ちょうど店内がガラッとしているガード下にある松屋を見つけた。夜の深まった店内には眼鏡をかけたどこにでもいそうなおっさんが牛丼をむさぼっている。彼の一口一口は、機械的でありながらも、どこか必死さを感じさせる。私は彼の孤独な食事に同情するとともに、なぜか異様な興味を抱く。


この人はどんな人生を送ってきたのだろうか。この人の人生はどれぐらい小説のページ数で語ることができ、どれだけ見せ場があるのか。彼の人生がもし映画だったら、タイトルは「深夜の牛丼ブルース」か。そんな映画があれば、きっと私は見に行くだろう。そしてそのおっさんが、ただの一介のサラリーマンではなく、何者かになり得たのかを知りたい。


私は牛丼の並みをタッチパネルの券売機を使って注文し、お茶を入れる。

定員はひ弱そうな赤いダサい眼鏡をかけた人だったので長居しても何も言われないだろう。牛丼の提供はとても速かった。これが日本の良さというものなのか。この牛丼は長居するためにしたかなく注文したものだ。今日は様々な料理を堪能してきたな、とふと思う。普段私は単調な食事で済ますことが多いから、そう感じるのだろう。


おっさんが店を出て行き、客は私一人となったガード下の松屋で深夜に食べる牛丼は、不良がするような背徳感をと得も言われぬ優越感で心が満たされた。 一度、この静まった店内で学生時代に友達と牛丼を食いながら長時間だべってみたかったな。


牛丼はまだ半分残ったままで、血糖値が急上昇したのか眠気が襲ってきて、いつの間にかうつらうつらと眠りに落ちてしまった。浅い眠りの中、意識はもうろうと浮遊していたが、突如として店内が騒がしくなったことで現実に引き戻された。


私の視界に入ったのは、ホスト風の男と、露出が多くてカラフルな衣装に身を包んだギャルっぽい女。彼女の短いダメージデニムにらはパンパンに黄金色の肉が詰まっていた。私はそのギャルに今が10月上旬であることを教えてあげたかった。そんな二人が私の周りでやかましく会話を繰り広げていた。


私の目の前には、もうパサパサに乾燥した牛丼が残されており、その横では倒れたコップからこぼれたお茶が小さな池を作っていた。うつぶせの姿勢で眠っていた私の袖は、こぼれたお茶に濡れてしまっていた。時計を確認してみると、すでに時刻は四時を過ぎていた。浅い眠りだったはずなのに、気が付けば三時間ほど経っていたようだ。


「これ食ってみ、飛ぶぞ。」

「うわ、まじやん。結局この時間に食べる牛丼が一番うまいんよ。」

「あんたいつもこの時間によるご飯を食べてるでしょ?」

「しょうがねぇだろ。そういえば前はまなとと一緒に牛丼食べたわ。」

「え、いいな~。めっちゃうらやまなんだけど。今度学人君と一緒に遊びたいんだけど、連絡しといてくれない。」

「よく堂々と頼めるな。無理に決まっているだろ。あいつかなりの売れっ子ホストだから俺と違ってめっちゃ忙しいの。」

「またまた~あんなもなかなかのホストでしょ。謙遜しちゃってどうしたのよ。」

やっぱりホストだったのか。まあホスト程分かりやすい見た目はそうそうないだろう。しかしホストも小ぎれいになったものだと上から目線で批評する。時代が移り変わって、ホストのイメージも変わってきたのだなと感じた。


一昔前、平成の頃には見るに耐えないほど派手な服装をしたホストが多かった。しかし、今見ている彼のように、清潔感を重視したスタイルに移り変わってきている。情操観念はホストの間でどう移り変わっているのか気になってしまう。改めてお茶を入れに行くふりをしてその二人をちらりと見てみた。女は発情しているのか下半身をもじもじと揺らしている。女らしいとがったひじにすらっとした足、それがこの男が今から味わうことになるのか。そう考えると心がざわざわと沸き立つ。席につくと速攻でお茶を飲み干しイヤホンを取り出して、食器を返却口に返す。もちろんこぼしたお茶は放置だ。早朝の新宿はすこしひんやりしていて気持ちよかった。



私は松屋を出てから、あまり人が歩かないしまった店が多くある路地の方を進んで散歩した。そうこうしているうちに日が出てきた。いろいろ経験した後に朝を迎えるとは何とも感動的なものだ。口の中からはコーンスープのような香ばしい香りが漂ってきて気持ち悪い。山手線からはついに始発列車が出発した。早朝になったら歌舞伎町はどうなっているのだろうか、気になったので見に行ってみることした。


私が長居した松屋には朝の弱弱しい光はガード下の松屋の小さな窓に差し込んで、店内を柔らかく照らしていた。そして、その窓越しには、何人かのビジネスシャツを着たおっさんたちが牛丼を書き込む姿が見えた。おじさんの牛丼をかけこんでいる様子を見ると社会の歯車が回り始めていると感じる。


歌舞伎町の朝は、私が想像していたよりも意外なほど平穏で、その落差に少し拍子抜けした。それでも、そこはやはり歌舞伎町、露出の多い派手な女や、ちゃらついた男が時折通り過ぎる光景が見受けられた。


しかしその一方で、路地裏にはごみが乱雑に散乱し、鳴き声とともにカラスが飛び交っていた。朝の静けさに響くカラスの鳴き声と、都市の美しい建築と路地の無秩序さが混ざり合う光景は、絵として切り取るには最適に思えた。思わず足を止め、しばらくその光景を見つめてしまった。今度ここに来ることはあるのだろうか、とりあえず今日はさようならだ。毎度おなじみの裏路地を通って駅の方に向かう。今日は東京駅付近をぶらつく予定に決めたが、特にこれといっていく場所や目的はなくただぶらつくだけだ。裏路地を進むと、泣きながらで何かを訴えている若い女性が目に飛び込んできた。彼女は時期に似合わず下半身が露出の多い服装をしており、黒の髪の間から青色のインナーカラーが覗いていた。その足元には厚底の靴が、流行の最先端を行く女性の姿を強調していた。彼女の口からは、「むかつく…」という言葉を連発していた。彼女は男性に裏切られたのだろうか。私はそんな彼女に思わず、「ざまあみろ」と心の中で呟いた。


私は歩く速度を緩め女が何を話しているか聞こえるぐらいに位置を調節しばれないようにあとをつけた。この女もたぶん駅方面に向かっているのだろう。彼女が電話で何を話しているのかは、この距離からでは断片的にしか聞こえず、彼女が何で泣いているのかを把握することは難しかった。しかしながら、電話の相手に愚痴を聞いてもらっているということははっきりと分かった。男性に裏切られたのだと予想して、もう少し詳細がわかれば、女の身に何が起きたのか理解できるかもしれない。様子をうかがっていると女は急に地面に手と膝をつき水っぽい吐しゃ物を吐き出した。


久しぶりに誰かが吐く姿を目の当たりにし、私は気まずさを感じながらも、彼女の横をなるべく目立たずに通り過ぎることを決めた。その時、私の前からを四十代くらいの男性が女の横を何事も起きなかったように通り過ぎて行った。彼はサラリーマンらしく黒いかばんをぎゅっと握りしめていた。だが、その男性は女性の存在に全く気をともることなく通り過ぎていった。


私もその男性の真似をして、彼女のそばを何事もなかったかのように通り過ぎた。しかし、彼女は私をまったく気にする様子を見せなかった。公の場で吐くという行為は、彼女にとっては恥ずかしいことではないのだろうか。それともそれどころではない状況なのか。もし私だったら、間違いなくその場からすぐに立ち去るだろう。しかし彼女は、その場に留まったままだった。路地を右折する際、私は思わず彼女の方を再びちらりと見た。そして、彼女は再び、透明で粘り気のあるものを吐いていた。


私は時間を少しおいて女が吐きだした吐しゃ物をまじかで見てみることにした。5分ぐらい時間をおいたら女はその場から姿を消してどっかにいったようだった。その吐しゃ物をじっくり観察して味わう時間は人が通るためなかなか現れなかった。吐しゃ物の近くに立ち尽くしては周りに変な風に思われるので慎重に周りの様子をうかがいながら、観察をしなければならない。30分間現場ちかくで粘ったらようやく待ちわびていた私と女の吐しゃ物だけの時間ができた。


東京散策は、やはり想像通り面白くはなかった。東京駅のキャラクターストリート、そしてラーメンロード、さらには品川の社畜ロードと、たくさんの場所を見て歩いた。そのなかでやっぱり品川の社畜ロードは異質を放っていた。彼らの表情は、朝の強いコーヒーのように苦い。彼らは一体全体どれだけの文書をこの一日で消費し、どれだけの電子メールを打ち込むことになるだのだろうか?そして、そのすべてがどれほどの意味を成すのか興味がわく。


一部の人々は、自己の生活や職業選択を正当化するために、私の社会人に対する皮肉めいたコメントを反射的に怒りで受け止めるだろう。彼らは自分たちの選択が社会的な貢献や個人的な努力の結果だと感じているため、外部からの批判にきまわて敏感に反応する。こういう人に人生は運でほとんど決まるって言っても話は通じない。


他方で、心の内では同じ疑問を抱えているサラリーマンもいるかもしれない。彼らは、社会の期待に応えるために個人的な幸福を犠牲にしていることを認識しており、フリーターからの批判が心の奥底にある不安や疑問を刺激する。


一方、他の社会人はこれを完全に無視することを選ぶかもしれない。無視することで、彼らは自身の心理的平和を保つ試みをする。彼らにとって、フリーターの批判は自己の生活様式を脅かすものではなく、単なるノイズに過ぎない。


私はサラリーマンという言葉が好きだ。まさに給料を求める存在であることをその言葉自体で皮肉っているようだからである。いったい誰が最初に社会人をサラリーママンと呼ぶようになったのだろう。調べてみたところ、この言葉は英語の「salary」(給料)と「man」(男性)を組み合わせた和製英語で、20世紀初頭に日本で生まれた。具体的には、大正時代に流行したこの言葉らしい。そんな昔からある言葉だとは思わなかった。


行きたいと目星をつけていたところを歩き回って、結局私が求める何かが東京にもないことが分かった。ということはもう日本中で期待できそうなのは北海道ぐらいか。その実感とともに、ふと思い出したのはヴィム・ヴェンダースが監督した「東京画」だった。この映画は、小津安二郎の眼差しを通して昔の東京を描き出し、現代の東京とのギャップに焦点を当てていた。映画の中で、かつての東京の風景が失われたことへの感慨深いコメントがあり、それが今の私の感覚と重なる。映画では、パチンコ屋の騒音や駅の喧噪が印象的に描かれ、かつてのどこか懐かしい東京とはかけ離れた姿を示していた。


現代社会の過激化する規制、キャンセル文化とは反対と逆方向に街は進歩と発展し、かつての価値観や伝統が削ぎ落とされ、残されたのは商業主義が支配する下等な風景とそこにまとわりつくハエだったわけか。腑に落ちたような、腑に落ちていないような。


妄想の中の理想の私も東京に対するアンチを唱える人物であった。私たちが現在目にするこの商業主義的風景は、経済活動の活発化という表面的な繁栄を示しているが、それは同時に文化や人間関係の希薄化をもたらしていると宮台真司の本で読んだ。社会はいいとこどりはできないらしい。


私はお昼にはもう電車に乗り込んでいた。なによりもこんなに歩いたのは久しぶりでもう家に帰ってゆっくりしたかった。結局気晴らしはほどほどがいい。私にはつまらなない日常にささやかなる抵抗をしながら生活するのが一番なのかもしれない。


帰り道、スーパーマーケットに寄ると、夕方の値引きシールが一日の終わりを告げようとしていた。今日も何もしなかった。塩豆大福と何気ない総菜を手に取り、家でゆっくりする時間に備えた。


私の家に戻ると、慣れ親しんだ空間へ帰ってきた安堵感と、疲労感が急に沸き上がった。遠い場所への旅行から帰ってきた後だけに感じられる特別な疲労感はそ旅の余韻を味わわせてくれた。そんな体感の中で、ダラダラとパソコンでたいして見たくもない動画を視聴しながら食事を取るという日常の行動も、面白みを感じられる。


そして何よりの旅のごほうびだったのは祖母たちに会う直前に浴びたシャワー以来の全身の油を落とすシャワーであった。私の紫色の綿パンはその旅の過酷さを臭いで物語っていた。





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