第5話 「キラキラママモデル」の光と陰(ルリ)

 鏡に全身を映しながら、スマホを構えて何度か自撮りをする。

 ブログに載せる、ファッションコーデの撮影だ。



【2児ママモデル ルリの毎日しあわせdiary…♪】

 それが、ルリのブログのタイトルだった。


 ルリの意思でつけたタイトルではない。

 ブログタイトルも、記事の内容も、所属しているモデル事務所の指示のもと決められていた。



 今日のファッションテーマは「カジュアルプチプラコーデ」。

 このテーマも、事務所に言われたものだ。


 カットソー/UNIQLO

 スカート/coca

 ジレ/niko and...


 アイテムとブランド名を併記したキャプションとともに、コーデ画像を載せる。

 その下には、ルリ自身の簡単な近況を添えなければならない。

 自分の心情、葛藤、迷い、などは極力排除し、「モデル・ルリ」としてのイメージを損なわない範囲で、自由に記述する。

 これを「自由」と呼べるなら、の話だが。


 今日は何について書こうかな…


 思いを巡らせながら、先ほど撮影した写真を見返してみると、やはり少し顔周りが寂しい。

 昨年の誕生日に夫の秀人から贈られた、Van Cleef & Arpelsのアルハンブラのピアスでも合わせれば、ちょうどよくなりそうなのだが…

「プチプラコーデ」という主旨とは若干ずれるので、事務所がNGを出すだろうか。



***


 ルリは、2人の娘の母親でもある。

 長女のマキは3歳で、幼稚園に通っている。

 次女のミキは生後7か月。今日はベビーシッターが来て、面倒を見てくれている。



 高校時代からの友人である、みなみから連絡があったのは昨夜のことだった。


「ルリにしかできない相談というか、愚痴?なんだけど…。もし時間あったら直接聞いてほしくて…」


 いつも天真爛漫なみなみが、珍しく気を落としているようなので、心配になって早速今日会う約束をした。


 赤ん坊がいると、ゆっくり話もできないだろうと思って、急いでベビーシッターを予約したのだ。

 ベビーシッターの横田さんは、長女のマキが赤ん坊の時からお世話になっている、気さくで気の利く年配女性だ。

 撮影の仕事や、子連れでは不都合な予定の際、安心して任せられる先があるのはありがたい。

 といっても、最後に撮影の仕事が入ったのは、もう何か月も前のことだが…


 ちらり、と時計を確認する。

 そろそろ家を出た方がいいか。

 ルリはシッターの横田さんに一声かけて、自宅を後にした。



 ***



「ごめんねルリ、急に呼び出したりして〜」


 待ち合わせ場所のカフェは、お昼時ということもありそこそこ混み合っていた。



 ルリは、サラダボウルとペリエをオーダーする。

 2人目出産以降、体型がなかなか戻らず、普段は炭水化物を極力摂らない生活をしている。


 みなみは、渡り蟹のトマトクリームパスタとサラダ、ドリンク、デザートのついたランチセットをしっかりオーダーした。

 どうやら食欲はあるようだ。ルリは少し安堵した。



 食事を摂りつつ、しばし他愛のない話をする。

 頃合いを見計らって、ルリは本題を切り出した。


「で、どうしたの?相談って……」


「ああ、相談っていうか、ただの愚痴なんだけど……。ルリは私のブログ、知ってるよね?」


 みなみのブログ。

 ルリは一つ頷いて肯定した。


 みなみも、ルリと同じブログサービスを使ってブログを書いている、ということを知ったのは、当のみなみからブログを介してフォローリクエストがあったからだ。

 みなみのブログタイトルは、確か【世帯年収1000万★専業主婦のリアルな生活】だったか。

 タイトルに世帯年収をあけすけに掲げているのを見て、始めは正直、驚いた。

 興味本位から、みなみがフォローしている他のブログのタイトルも見てみると、「世帯年収2500万医師妻!」だとか「年収1000万超ワーママ」といったものが多く、どうやらこの界隈では、自らの世帯年収を名刺代わりに掲げるのが一般的らしい、と合点がいった。

「同じくらいの年収の人って、価値観とかライフスタイルが似たような人が多いから、最初から年収を明かした方が手っ取り早いんだよね」とは、みなみの談だ。

 一体何が「手っ取り早い」のだろうと不思議に思ったが、活発に交わされるコメント欄でのやり取りを見ていると、なんだか納得できるような気もする。


「みなみのブログが、どうしたの?」


「それがさ~、ちょっと前にアンチからメッセージが来てね。忘れよう忘れようとすればするほど、なんかもう、モヤモヤしちゃって!」


 言いながら、みなみはスマホの画面をこちらに近づけてくる。

 ブログのダイレクトメッセージの画面だ。

 一瞬目がくらむほど、びっしりとつづられたメッセージをよくよく解読してみると、どうやらそのアンチは、みなみが高収入世帯の専業主婦であり、優雅な生活を送っていること、そしてそれを当然のように思っており、稼ぎ手への感謝の気持ちが感じられないことに対し苦言を呈しているようだった。



「これは確かに、辛いね……で、みなみは返事したの?」


 やや間が空いたのち、みなみは「ううん、無視した」と答えた。


「ねえルリはさ、モデルのお仕事もしてるし、フォロワーも私よりずっと多いじゃん?こういうアンチメッセージみたいなの、来ない?どうやって対処してるの?」


「んー、私はブログのコメント欄もメッセージも、受け取らない設定にしてるからなあ……元々交流目的というより、モデルとしての認知度アップが目的のブログだしね。書く内容も事務所が決めるし、投稿前にチェックも入るから、あんまりブログ関係でのトラブルはないかも…」


「そっかあ、なるほど受取拒否ねー。私がブログやってるのは、他のブロガーさんとの交流が第一目的だから、コメント欄閉じちゃうのはやだな~…でもダイレクトメッセージくらいは閉鎖してもいいかも…」


 でもさーいいよね、とみなみは急に声のトーンを張る。


「私も投稿前に誰かが添削してくれてさ、『この内容だと、どこぞの暇人が嫉妬むき出しでアンチメッセージを送ってきそうよ』とか注意してくれたら、あんな記事アップしなかったのに~」


 ルリは、「いや、私はみなみの例の記事に、そこまで問題があるとは思わなかったよ」とフォローしながら、心の柔らかい部分をチクリと刺されたような痛みを覚えた。


 本当に「良い」だろうか?自由に自分のことも書けない、常に管理され、抑圧された生活。

 みんなが望む「モデル・ルリ」のイメージを守るため、いつも仮面を被って生活しているうち、いつしかその仮面こそが自分の本体だと錯覚するようになった。

 自分の本心がどこにあるのか、ルリにはもうわからない。


 ルリからすれば、自分を自由に表現できるみなみの方こそ、羨ましい。


 ***


「そういえば、ルリ、最近モデルの仕事はどうなの?」


 みなみのアンチの話は、ルリに吐き出すと満足したようで、ランチの後半は雑談タイムになった。


「最後に撮影したのが、次女がまだお腹の中にいる時だったから、もう10か月くらい前かな」


 思い返してみれば、安定期に入ってしばらくしてから受けた、マタニティウェアの広告モデルの仕事が最後だ。


 その後、出産までの間は後期悪阻に苦しみ、出産後は2人の子育てにてんてこまいで、仕事を受ける時間的・心理的・身体的余裕はいずれもなかった。


 元々、大学生の頃にスカウトされて入った業界だが、実はルリにはそこまでモデルの仕事に、思い入れがあるわけでもない。

 何か雑誌の専属モデルを務めているわけでもなく、ウェブや紙媒体の広告など、単発の仕事を月1~2回のペースで受けているに過ぎなかった。


 このような仕事ペースでも、タワーマンションの高層階に居を構え、時にはベビーシッターを手配し、何不自由なく暮らすことができているのは、ひとえに夫である秀人のお陰だ。

 秀人は、祖父の代から続く弁護士事務所を経営している。収入の基盤は盤石だ。


 だが、ルリには時々、この満ち足りた生活が、どうしても色褪せて見えてしまう。



「そろそろモデルの仕事再開しなよ!私、ルリの写真すごく好き!自然体で、優しくて、人柄出てるもん。また見たいよ、ルリのモデル姿!」


「ふふ、そのうちね。ね、そんなことより、みなみは最近どうなの?ブログ見てると、なんかすごいじゃない。『奥様会』だっけ?ドラマみたい!」


 みなみのブログには、月に一回ペースで「奥様会」なるものに参加した様子が綴られている。某都市銀行に勤める男性の、妻たちで構成される会合のようで、ホストである「支店長の奥様」に選ばれた数人の奥様達が、毎月支店長の自宅へ集まり、フラワーアレンジメントやらお茶会やらを嗜むという。


「社宅住まいだから、夫の上司も部下もみんなご近所なのよ。こういう環境だと、妻同士の付き合いも仕事のうちっていうか」


 みなみはうんざりしたように言うが、言葉とは裏腹に、顔はまんざらでもなさそうだ。

 きっとこういう付き合いが、嫌いではないのだろう。

 モデルという一見華やかな仕事をしていながら、根は社交的なタイプではないルリは、素直に感嘆する。


「それより聞いてよ、夫と言えば、一日家のこと任せたってブログに書いたじゃない?実はほんと、もー酷くて!こんなのブログには書けないんだけどさ、」


 話はいつしか、みなみの夫の愚痴タイムになっていた。

 ルリはみなみのこういうところが好きだ。

 ブログではあまり素を出していないようだが、飾らず気張らず、嫌なことは嫌、とはっきり言うところは、友人として魅力的だと感じる。


 ルリは微笑みながら、次々と繰り出されるみなみの話に耳を傾けた。



 ***


 話が弾むうちに、もうそろそろ幼稚園のお迎えの時間だ。

 みなみの息子のみつると、ルリの長女マキは、通う幼稚園は違うものの同じ年少クラスだ。


「そろそろ帰ろうか」


 どちらともなく席を立つ準備をしながら、ふともう一人、学生時代の友人の顔を思い出した。


「ね、今度は千波も誘ってみない?」


 千波、みなみ、ルリ。高校時代は、この仲良し3人組でよくつるんでいた。

 3人の中では一番の姉御肌だった千波は、確か、現在も独身のはずだ。


 同じ年に出産を経験したルリとみなみは交流が続いていたが、ライフステージが異なった千波とは、日々の忙しさにかまけてすっかり疎遠になってしまった。


「千波かー、懐かしい!私もずっと気になってた。元気してるかな。千波って何かSNSやってたっけ?」


「やってたよ、確か。Twitter…今はXだっけ?の、鍵アカだけ持ってたよ」


 言いながら、ルリはXのアプリを開く。

 千波の鍵付きアカウント。フォロワーは、ルリとみなみの2人だけ。

 最終更新日は、8年前の日付になっていた。

 まだ子供が生まれる前。ルリにもみなみにも、独身気分がまだ残っていた頃のことだ。


 千波の最後のTweetは、

【彼氏と別れた】

 というものだった。


 このTweetに対し、ルリとみなみは

【え、あの大学の頃から付き合ってた人?】

【ちょまって直接話聞くわ】

 とそれぞれコメントしている。


 この後、ルリ達はどうしたのだったか。

 酒を片手に、千波が一人で暮らすアパートに2人して押しかけ、朝まで話を聞いたのだったか。


 あれから8年という歳月の間に、いろんなことがあった。

 当時の大事件も、今となってはほとんど記憶に残っていない。


「今度は千波も入れて3人で会おうね」


 言いながら、それが実現するのは果たしていつになるだろうか、と冷静に考える自分もいる。みなみも多分、同じだろう。


 店を出ると、ここからは「母」の時間だ。

 それぞれの子を迎えに行くべく、ルリは左へ、みなみは右へ、あっさりと手を振って歩き出した。

 太陽はまだ高い。

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