第36話  名前の呼び方


 人工ダンジョン――迷宮学園の一部エリアに建造された、ダンジョンの等身大レプリカ。

 本当に東京のダンジョンを再現して造られており、それぞれの人工ダンジョンにはご丁寧に踏破レベルも設定されていて、そのレベルに応じた難度のモンスターも出現する仕掛けになっている……らしい。


 恐らくモンスターが現れるカラクリは転送魔法と召喚魔法の応用だろう。

 仮にゴブリンを一体出現させたければ、ゴブリンと全く同じ容姿、能力、知能を設定したコピーモンスターを『使い魔』として召喚魔法で生み出し、それを転送魔法でダンジョン内に予め忍ばせておけば良い。

 踏破レベルが上がれば探索中の生徒の前にいきなり転送魔法が現れたりすることがあるそうだが、それも指定のモンスターをかたどって召喚された『使い魔』が転送されてくるといったところだろう。


 だが、これはある程度の規模の研究機関が総力をあげてようやく完成するレベルのもんだ。

 理論はシンプルでも、それを再現するのにどれだけ骨が折れることか。

 それをたった一人でいとも簡単に造り上げるとは、デタラメすぎて思わず笑っちまうぜ。


「おい、人工ダンジョンとやらにはまだ着かねぇのか?」

「もうかなり近いわよ。いいから黙ってついてきて!」

「あの、もうすぐダンジョンが見えてくると思うので……!」


 俺の前を歩くルリィと心春が、顔だけわずかに後ろを振り返りながら答えた。

 迷宮学園内の地図が全く分からない俺は、二人に着いていくしかないんだが……できれば早めにダンジョンに到着したい。

 なぜなら、いま俺たちが歩いているのはごく普通の通学路だ。

 すぐ隣には車道もあって、断続的に大小様々な車が行き交っている。

 そんな一般的な歩道を『新世代』二人と歩くということは、否応なく周囲の注目を集めてしまうわけで……あらゆる所から視線とひそひそ声を感じる。


「ねぇ、見て! あそこにいるの『新世代』の吉良川さんと火室さんじゃない!?」

「わっ、ほんとだ!」

「あの子が火室先生の妹さんなんだぁ!」

「てか、横にいるあの男だれだ?」

「保護者か?」

「もしかして例の馬男じゃね!?」

「んー……いや、それはないだろ。だってアイツ雑魚そうだし!」

「それな! ひょろいし、冴えねぇ顔だし、迷宮学園なら小学生にもボコられんじゃね?」

「ぶっははは! あ、もしかしてアイツ『新世代』にカツアゲでもされて連れ回されてんじゃねぇの?!」

「『新世代』こそ最強の小学生だしな!!」


 中学生か高校生かよく分からん男達が俺に指をさして嘲笑しながら噂話に花を咲かせている。


 おい、全部聞こえてんぞガキども。

 誰が『新世代』にカツアゲされたひょろい雑魚だ。

 お前ら一人ずつぶった斬ってやろうか。


 周りにはいかにもなウゼェ男子学生どもがニヤニヤと俺を見ているが……直接絡んでくるヤツはいない。

 あくまでも遠巻きで眺めて身内で会話のタネにしているだけだ。

 これは……もしかしてこのガキんちょ二人の影響か?

『新世代』が近くにいると話しかけるのは躊躇われるって感じなのかね。

 仰々しくも『新世代』だなんて別格感あふれる称号を手にしている人間がいると、たとえそれが女子小学生だとしても敬遠の対象となるようだ。

 俺も『FIRST』時代にこういう経験は飽きるほどしてきた。


 チッ、それにしても他の生徒の下校時刻と被るのは考えていなかった。

 ガキんちょ二人はこういった周りの反応は慣れているのかさほど気にしていないようだが、俺は空気を変えるために新たな話題を放り込んだ。


「今向かってるダンジョンの踏破レベルはどれくらいなんだ?」

「Bよ。正直言ってレベルBくらいなら簡単に単独攻略できるんだけど、ここから一番近い人工ダンジョンだし今日はそこでいいでしょ」


 踏破レベルBか。

 二級なら普通に攻略できる程度の難易度だな。

 そう言えば、昨日ルリィと出会った東京第十ダンジョンは踏破レベルAだったか。

 その下層に一人で来ていたくらいだから、踏破レベルBはこいつにとっちゃ余裕だろう。


「お前もそのダンジョンでいいのか?」

「はい! 私も踏破レベルBくらいだったら、何とか頑張れそうなので……!」

「そういや、お前の探索者階級はいくつなんだ。ルリィは二級だったが、たしか……史上最年少で二級到達! だとか生意気な肩書きもくっついてたよな。てことはお前は二級じゃねぇのか?」

「二級だなんてそんな! 私はまだまだ三級止まりなので……」

「ちょっと、誰が生意気な肩書きよ! 史上最年少なんだからすごいことでしょ! 瑠璃は歴史に名を刻んだのよ!」

「はいはい、ルリィさんはすごいですねぇ~」


 突っかかってくるルリィを適当に受け流すと、キッと鋭く睨みつけてくる。

 が、その眼光はすぐに解け、躊躇いがちに口を開いた。


「……ていうか、さっきから気になってたんだけど、どうして、せ、先生は瑠璃のこと“ルリィ”って配信名の方で呼ぶの?」 

「あ? んなもん最初はお前の名前を知らんかったからに決まってるだろ。昨日の段階からルリィ呼びだったし、その名残で今もずっとルリィって言ってるだけだが。なんか文句でもあんのか?」

「も、文句ってわけじゃないけど、仮にも先生なんだったら生徒の名前はきちんと呼ぶべきなんじゃないの」

吉良川きらがわってか? ヤだな。四音も必要になるし面倒くせぇ。ルリィなら二音で呼ぶのも楽だろ」 

「生徒の名前を音節で判断するって教師としてどうなのよ……? ……ま、まあいいわ。それなら、特別に名前で呼ばせてあげてもいいけど。“瑠璃”ならルリィと同じ二音でしょ」


 ルリィはこちらを見ずに前だけ見据えて言った。

 心なしか、歩くスピードも速まっている。

 歩きに合わせてふりふりと揺れる短めの金髪のツインテールから時折ときおり覗く小さい耳は、ほのかに朱に染まっていた。

 こいつの心境はよく分からんが、語感もほぼ同じだし、本人が望むなら本名の方で呼んでやるか。


「ふむ、まあ俺としてはどっちでも大して変わんねぇからな。お前がどうしてもっていうなら構わんぞ。よろしくな、瑠璃」

「だ、だから頭をぱしぱししないで!!」


 目の前を歩くルリィ改め瑠璃の頭をぽんぽんすると、速攻で手を振り払われた。

 なんだこいつは。

 仲良くなりたいのか、なりたくないのかどっちなんだ。


 困惑する俺とは対照的に、瑠璃の隣を歩いている心春は口元を隠しながら微笑んでいる。


「瑠璃ちゃん……ふふっ」

「な、なによ心春。その意味深な視線は」

「いやぁ、瑠璃ちゃんのお気に入りになる先生なんて珍しいなぁって」

「べ、べつにそういうんじゃないから! 火室先生も心春も名前で呼ばれてるのに、瑠璃だけそうじゃなかったのが嫌だっただけよ!」

「ふふふ。そういうことにしておくね」


 心春の返答に、瑠璃はぐっと押し黙ってぐんぐんと歩きだした。

 しばらくすると瑠璃は不意に前方に指をさし、砂漠でオアシスを見つけた遭難者のように声高に叫ぶ。


「そ、そんなことより、ほら! ダンジョンが見えてきたわ! さっさと配信を済ませて、今日の部活を終わらせましょう!!」


 話題を無理やり切り替えるように早口で言い放つ瑠璃に、心春はさらに笑みを深める。

 何がそんなに面白いのか……最近の小学生の思考は分からんな。


 だから俺は考えるのを止めて、瑠璃の細い指が指し示している場所に目を向ける。

 そこには、高いコンクリートの塀で囲われた土気色の巨大な築山つきやまが真っ暗な大口を開いて鎮座していた。



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