春が来た9

 エリンが部屋を出ると、そこにケイトがいた。

「お見事。さすがだね」

「ケイト。……聞いてたの?」

 ケイトはうなずいた。

「なかなか手厳しいことを言ってたけど、嫌われたり憎まれたりするかもしれないのに……。私には怖くてできないな」

「あの人はそんな人じゃありません」

 ケイトは小さく息を吐くと、

「彼をこちら側に引き戻すことができた。……ありがとう」

(……え?)

 素直な言葉が意外で、エリンが驚いていると、さらに、

「ね、少し時間あるかな? お茶しない?」

 ケイトはそう言って、やや強引に喫茶スペースに誘われた。


 エリンは正直、ケイトが苦手だった。

 ディープとの関係ということだけでなく、自信に満ちた態度、容姿、医師としてのキャリア、最初から競うつもりなど全くないけど、自分に無いものを持っている相手だから。


 こうしてふたりきりで話すのは初めてで、無意識にコーヒーカップ越しに、上目遣いでじっとケイトを観察していたらしい。

 その視線に気がついたらしく、

「エリン。そんなにらむように見なくても……」

 小さく笑ったケイトに言われ、エリンは赤面した。

「一度、機会をつくって話そうと思ってたんだ。君が、もしかしたら誤解したり、気にしているかもしれないから。まわりくどい言い方は苦手だから、単刀直入に言うけど、ディープ……ああ、いや」

 ケイトはエリンの前でこの呼び方はまずいと思ったらしく、わざわざ言いかえた。

「彼とは本当に何もなかったよ。学生時代も、そのあとも。私から言っても、説得力がないとは思うけど。誓って」

(……!!)「……そんなこと、気にしてない」

 エリンは思わずそっけない言い方をしてしまい、そんな自分に自己嫌悪を感じた。


「そう? なら、いいけど」

 ケイトは何か思い出したらしく、小さく笑って、

「学生時代、彼は意外とモテてたよ」

「えっ? ええっ!?」

 そんな話は初耳で、あやうくコーヒーをこぼすところだった。

 ケイトは苦笑して、

「いや、本人は全く気がついていなかったと思うけど」

「そういうところは昔から鈍いのね」

「うん。誰にでも同じように優しくて、どこでも構わず寝ていて、いつもお金が無くて食費を削ったりしているから、気がついた誰かが差し入れしてた。そんなふうに、ちょっと放っておけないところがあったから、この人には自分が必要なんだと勘違いして、想いを寄せる相手が実は何人も……」

 エリンは自分の耳の熱さを自覚した。

「もしかして、エリン、君も同じ?」

 エリンは思い当たることに、コクっとうなずいた。あのとき、この人を放っておけないと、そう思った自分がいた。

「ああ、私にはよくわからない感覚だなぁ」

 ケイトがそう言ったので、エリンはふたりの間には本当に何もなかったのだと知った。


「実習でよく行動を共にしていた私でも気がつくような、それとなくアプローチしてくる相手に、彼は全く気がつかない。直接、想いを告げてくる強者つわものも中にはいて、そのときはさすがに丁寧に断っていたよ。学業を続けていくこと、今はそれで精一杯で、恋人との時間をもつことは無理だからと言って」

 そう、一度にいろいろなことをこなせるような器用な人じゃない。それは今でも変わらず、ひとつのことに集中して、頭がいっぱいになる……。


「……不器用な人なのよ」

「そうだね。エリン、そういうわけで医学生時代は何もなかったよ。久しぶりにメディカルセンターで再会したのは偶然のことで、本当に驚いた。お互いの子供の話になって、サラをクリニックに受け入れてくれたのは話の流れであって、他意はない。そのあとのことは、君も知っての通り」

「……そうね」

「医学生時代、クラスの中で浮いていて、ひとりも味方がいない私を信じていると言ってくれたのは、彼ひとりだった。その言葉がずっと支えだったのは事実。でも、私は彼に助けてもらうばかりだった」

 ケイトはコーヒーをひと口飲んで、続けた。

「彼が辛い時にそばでいつも支えてきたのは、エリン、君だけだよ。それを忘れないで。伝えたかったのは、この事」

 エリンはハッとして、あらためてケイトの顔を見た。

(この人はこんなに優しい笑顔をすることがあるんだ……)


「それで、あの……」

 そこで、急にケイトはなんだかモジモジして、言いよどんだので、エリンが小首をかしげると、

「私達、仲良くなれるだろうか、と……思って」

 ケイトが自信なさそうにしているのを見るのは初めてで、

(え? ああ、ケイトは人付き合いが苦手だと、ディーが言ってた)

 エリンは微笑んだ。

「もちろん、喜んで」

 ケイトは大きく息を吐いて、

「ああ、よかったぁ……」

(なんだか可愛らしい人……)

 エリンはクスッと笑って、提案した。

「ケイト。今度、あの人の『ダメダメなところ大会』をしない?」

「えっ?」すぐにケイトは反応した。「いいね。で、そのあとは?」

「もちろん、そのあとやるのは、『好きなところ大会!』に決まってるでしょ」

「うわー、エリンののろけ話を聞かされるってわけかぁ」

 エリンは笑って、ケイトと仲良くなれそうだと思った。

(帰ったら、くしゃみが出なかったか聞いてみよう。これだけウワサしていたら、絶対にくしゃみが止まらなかったはず!)


 

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