春が来た8

 ようやく一般病棟に移ったラディは、病室のベッドからぼんやりと外を眺めていた。

「もう冬なのか……」

 過ぎ去った時間の流れに、気持ちが追いついていかない。長く続いた入院生活で、気力も体力も根こそぎ奪われてしまった気がしていた。

 面会が許可されるようになっても、まだ誰にも会っていなかった。エステルとノヴァのふたりに、どんな顔をして会ったらいいのかが分からなかった。


 その日の午後、ディープはエリンが出かける支度をして、勢いよく上着とバッグを手にしたのを見た。

「出かけてくる」

「どこへ?」

「ラディさんのところへよ」

 先日、面会の許可が出たにもかかわらず、誰とも会おうとしていないラディのことが、エリンには気にかかっていた。

「だって、ラディはまだ気持ちの整理がつかないからって」

「自分の家族と会うのに、気持ちの整理が必要って、何? そんな悠長なことを言ってる場合?」

(そんなことを自分に言われても……)と、ディープは思ったが、こういうときのエリンは勢いが止まらないと知っていた。


 エリンが病室を訪れると、

「……エリン」

 ラディはぼんやりとした表情でエリンを見て、(なぜ、君がひとりでわざわざ?)と言いだけな顔をした。

 彼女が今のノヴァとエステルの様子を話すと、ラディは目を閉じて深いため息をついた。

「あの日、出かけなければよかった、と思ってるんでしょう?」

 ラディはエリンの言葉にハッとして、目を開けた。


「ディーはあの日、もっと強く引きとめておけばよかったと思ってる。ノヴァは、出かけずに家にいて欲しいと言えば良かったと後悔してる。そして、エスは自分が映画を観に行きたいと言ったせいで、こんなことになったと思ってる。お互い、相手を責めないのは立派だと思うけど、それぞれが自分を責めていて、自分しか見えていなくて、このままでは誰も前に進めない」

 うつむいて目をそらしたままのラディに、エリンは続ける。

「起きたことは起きたこと。起きてしまったことは取り戻せないし、過去は変えられない。今回のことではエスもノヴァも、あなた以外、誰の慰めも受け入れようとしない。あなたは確かに今、動けなくて、何もできないと思ってるかもしれないけど、できることは本当に何もないの? 本気でふたりのことを考えた? そうでなくて、ただあきらめているのなら……がっかりだわ」

(……!!)ラディは顔をあげた。

「あなたは大切な人を守れる人だと思ってた」


 エリンはこのとき、ラディの表情が変わったと思った。

 怒りと悔しさと後悔、自分の不甲斐なさへの自己嫌悪、様々な複雑な想いがわきあがり、それでも直接、エリンにその感情をぶつけてくることはなく、

「……君に何がわかると言うんだ」

 低い声で言ったラディの瞳の中に、はっきりとした光があった。

 エリンはラディの感情を動かすことができたことを知った。彼の心の中で、もう少し遅かったら消えかかっていたかもしれないもの、それにもう一度火をともすことができた。なんとか間に合ったのだ。

「わかるわけがないでしょ。私はあなたじゃない」


 まっすぐに見てくるラディの強い視線を、エリンは正面から受けとめた。そうしてしばらくにらみあいのようになったまま、先に視線を外したのはラディだった。

「君の言いたいことはわかったよ。ふたりとは僕が話すから」

 止まっていた時間が、再び動き出した。

「そうね。そうして」

 エリンは思った。

(きっともう大丈夫)


 初めてラディに会った人は、誰もが印象づけられる生き生きとした瞳の色、それが再び彼に戻ってきていた。


 

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