春が来た10

 その翌日、エステルを連れて病室に入ってきたノヴァは、ラディがまだ何も言わないうちから、ベッドに起きている彼の顔を見ただけで、ホッと息をもらした。

 ふたりを送ってきたエリンは、席を外して待っていると言った。


 ノヴァはエスをひざにのせて、椅子に座ると、

「良かった……」

 うつむいて、泣きそうになっていた。

(やせたな。顔色も悪いし。……ああ、でも自分ではわからないだけで、僕も人のことは言えない、か)

「ノヴァ。安定期に入って良かったね」

「うん。ようやく」


 エスの口が(とうさま……)と言いかけて、声が出なくて、カバンの中からタブレットを取り出した。

「ん?」

 ラディが見ると、エスが入力した画面を見せた。

『とうさま、だいじょぶ?』

「大丈夫だよ。エヴァがエスにくれたタブレットってそれ?」

 エステルがうなずいて、渡してくれた。

「よく出来てるなぁ」

(これを使いこなせるエスもスゴイけど)

 タブレットを返すと、ニコッとした。言葉はまだ出ないけど、笑顔はだいぶ戻りつつあるらしい。


「心配させて、ごめん。ウチのお嬢さん達は、ふたりとも我慢強くて頑張り屋さんだね」

 ラディはエスの頭をなでて、それからノヴァの頬に触れた。ノヴァの閉じた目から一筋、涙がこぼれ、ラディはそっと指で拭った。

「よく聞いて。ふたりとも僕以外の人の前で、自分の気持ちのままに泣いたりわめいたりしていいんだ。辛い時、困った時、誰かに助けてって言わなきゃ。助けてくれる人は、まわりにたくさんいるから。頼っていいんだよ。ひとりで頑張らなくていいんだ。そんなところはディープに似てるけど。僕がそばにいる時は必ず君達を守る、でも、そうできない時もある……今みたいに」


 点滴からようやく解放されるようになって自由になった両手を、ラディはエステルに伸ばした。

「エス。おいで」

 エステルの顔がパッと明るくなる。

「ルー、大丈夫なの?」

 ラディはうなずいた。

 ノヴァから抱きとったエステルは予想以上に重く感じて、

「重くなったなぁ」

 ラディの胸にギュッと抱きついたエステルに、ノヴァはハラハラする。

「エス。父さまにそっとハグして」

 エステルがしがみついているチカラが弱まって、ラディは息をついた。


「エス。聞いて」

 ラディの胸に顔を埋めていたエステルが顔を上げ、ラディを見上げた。

「僕の怪我は君のせいじゃない。君は何も悪くないし、誰も怒ってない」

 エステルの目が大きく見開かれた。

「エスも、ノヴァも、ディープも、僕も……。誰も悪くないんだ」

 ラディはノヴァに向けて、続ける。

「それでも、事故や病気や災害にまきこまれたりすることはある。今は平和な時代だけど、また戦争だってあるかもしれない」

「エスには少し難しいかな」

 うん、とうなずくエステルに、

「じゃあ、これだけ覚えておいて。君は悪い子じゃないし、わがままでもないよ。僕はいつでもどんなときでもエスが大好きだよ」

 ギュッと抱きしめると、エステルは声を出さずに泣いていた。


「約束するよ。僕は早くウチに帰れるようにする。だから、君達も約束して欲しいんだ。少しでも前を向いて進むために」

 ラディはノヴァを見た。

「ノヴァは元気な赤ちゃんを産むこと」

 うなずくノヴァにラディは微笑んだ。

「そして、エス。君は赤ちゃんを初めて抱いた時に、笑顔で名前を呼んであげられたら、ステキだと思わない? これから、一緒に名前を考えよう? できそう、かな? 無理しなくてもいい。ゆっくりでいいんだ」

 エステルが顔を上げて、まだ濡れた瞳のまま、ニッコリして、うんうんとうなずいた。

 ラディは微笑んで、エステルの髪を撫でて、そこで、大きく息をついた。

「ルー、しゃべりすぎじゃ……」

 心配そうなノヴァを制して、

「それじゃ、ふたりとも、約束だよ」


 タブレットの文字『やくそく』と、ノヴァの声「約束」が重なった。


 しばらくして、エステルはそのまま眠ってしまい、

「ルー、重いでしょう?」

「うん、ちょっと辛くなってきた」

 ノヴァはエステルを抱きとって、ラディの隣に寝かせた。ラディはエステルの背中をなでていて、ノヴァは、彼が伸びすぎた髪を無造作に後ろでひとくくりにしていることに気がついた。

「髪、伸びたね」

「ああ、ずっと切ってないからね」

 元々の赤みを帯びた褐色の髪に、所々の白髪がメッシュを入れたようで、なかなかカッコいいとノヴァは思った。

「ね、そのままでもいいんじゃない?」

 ラディは即座に否定した。

「やめてくれ。洗うのも乾かすのも面倒で、むさ苦しいし。家に帰ってまず最初にしたいことは、髪を切ることだよ」

 ノヴァはクスクス笑って、この人らしいと思った。


 帰り際、ドアの所まで帰りかけたエスが、何かを思い出したように駆け戻ってきて、

「ん? エス、どうした?」

 急いでタブレットに何かを一所懸命書いている。


 くふっと笑って、見せてくれた画面では……。


 エスの自筆で書かれた踊るような『だいすき』という文字が、周りで飛び回るたくさんのハートで埋め尽くされていた。


 

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