笑い電車

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笑い電車


さぁさぁ、皆さん。

下を向いていてはいけませんよ。

全ての始まりは笑顔から。幸せはそこからやって来るのです。

まずは口角を上げる所から始めましょう。



朝八時。

太陽が昇って幾許かと経ち、鳥虫獣の動きが落ち着いた頃。

人間という生き物が高尚めいてほざく社会なるものがいよいよ本格的に動き出す。時間が進むからには人もまた老若男女不調好調構わず進まなくてはならないのだ。

午前二時寝の不眠症、夜勤明けからの帰宅中、二日酔い、低血圧に貧血、自律神経失調症。過敏性大腸炎に逆流性胃腸炎。

時計の針にずるずる引き摺られるように家から出ては、駅へと這いずり向かって行く。


東京に特許があると言うなら人口過密と坩堝の作り方だろうか。誰がこんなに集まれと言ったか、尋ねたくなる程の数がありとあらゆる場所から現れては小さな入口へと吸い込まれていく。

行くも帰るも満員御礼の改札口。

雨季放流中のダムさながら、勢いに負けず只管その場を凌いでいる。いっそなくしてしまえば通りやすいのではないかと思えてしまうが、そんな事は許されない。ここだけは何があっても壊れてはいけないし、利用するからには通るべきなのだ。


改札には、とてもとても重要な役割が存在する。


とある一人が訪れた。

足取り重く、とぼとぼ駅まで歩いてきたがそのまま改札を通り過ぎる。

すると糸で吊られたように表情筋がグイと持ち上げられた。

作られたような完璧な微笑み。いや実際に作られている。日々変化と言う名の酸化を繰り返し劣化する連なりに参加している生物達にこの様な仕業が出来る筈もない。

また一人そこを通り過ぎる。

無表情としか言いようのない顔面の持ち主であるが、やはり完璧な微笑みとなった。


これがここではずっと繰り返されている。


何があったと言うのか、破裂寸前にさえ見える怒りの表情を浮かべていた一人もやはりそこを通り過ぎれば笑顔に変わる。

嫌々そうに、殆ど泣いていると言ってもいいような顔の一人も途端に笑顔となった。

元々微笑んでいた一人は僅かにそれを矯正されるだけに留まった。



ピンポン、と音が鳴る。

改札の扉が閉まり、一人の客が閉じ込められている。周囲の人間は迷惑そうな顔で別の改札へ移動し、そうして全員笑顔になった。

閉じ込められた一人はお面を被っていたようだ。

「お客さん、それは外して頂かないと」

駅員が笑顔でその人間を咎める。

「いいや、俺にはこれが必要なんだ」

「そうは言っても規則ですから」

「面を被ってはいけないルールはない筈だ」

「確かにそれはそうですけれど、分かるでしょう?」

「こんなの人権侵害だ、おかしいじゃないか」

「何を言ってるんですか、それこそ法で決まった事ですよ」

「それがおかしいと言っているんだ」

「そんな事を言われましても」

「お前まで思想の自由を犯すつもりか」

「いいえ。とりあえずこちらでは対処しかねますし、それを外して頂くか、電車に乗るのを諦めて頂くか」

「どうして俺がそんな事をしなくちゃならない」

「規則なんですよ」

「規則が何だ!規則だったらおかしくてもいいのか!」

「まぁまぁ、お客さん。兎に角、今は他の方の迷惑になりますから」

笑顔の駅員達に囲まれて、お面の男は改札から外へと追い出された。

周囲の人間も笑っていた。

怒りを浮かべているのは男だけ、驚いているのは駅の外側にいる者だけだ。



人間には幸せになる権利がある。

幸せの定義は人それぞれだが、やはり不幸であるのは宜しくない。

なので人をどうにかして幸せにしよう、そうしよう。

そうなると幸せを定義付けなくてはならない。一律に達成出来る幸せと言ったら何だろう。

やはり笑って過ごせる事ではないかしら?そうかも知れない、きっとそうだろう。

どうしたら笑って過ごせるのだろうか。楽しい事があればいいか、面白ければいいのだろうか。けれどもそれはそれで楽しいの定義が必要になってしまう。

いっそ機械に任せるのが正確なのではないだろうか。最新機器なら正しい答えを出せるんじゃないか。そうかも知れない、多分きっとそうだろう。


こんな風に誰かが言い出して、誰かが賛同して、それが気付けば大きくなっていたらしくて、反対意見はあるようでないようで、そういう所から何だか気付けばこういう事になっていた。



乗車率120%。

先に乗る人、後ろから押して来る人。扉にあわや挟まれかける人。

それでも皆笑顔である。

足を踏まれた人、尻を触られた人。キーホルダーの金具を引っ掛けられた人に他人のリュックサックに背中をグイグイ押される人。前から垂れた長髪に顔を嘗め回されている人。

それでも誰一人俯いたり等はしない。

ガタンと揺れて人のバランスが崩れた。一部では雪崩が起きた。荷物が脇腹に刺さった人とつり革と間違えて頭を掴まれた人がいた。人身事故で一時間、そこに閉じ込められるらしい。

それでも皆が背筋を伸ばしている。

腹痛を覚えた人がいた。遅刻で会議が一つおじゃんになった。そっと屁をこいた者がいる。誰かが倒れかけて、隣の人が押し潰されている。嘔吐しそうなゲップを何度も繰り返す者がいる。

それでも誰一人文句を言わずニコニコとしている。


電車に罪はありません。

事故は起きるものでしょう。

人はそれぞれです。

皆苦労してるのは一緒ですから。


笑顔溢れる満員電車。そこから吐き出され、笑顔のまま街へ消えていく人々。

駅から押し出されてきた笑顔の数に負けて、それ以外の顔が出来る人間達も皆何となく笑っている。


社会は幸せに満ちていた。

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