第55話
また五日ほどかけてサルバリー王国の王宮に帰る。
魔獣の被害は日に日に大きくなっているようだった。
城の裏口から隠れるように王宮の中に入る。
やっとの思いでオースティンはソファに倒れ込んだ。
宰相に急いで確認を取らせると今、エルネット公爵領を管理しているのは誰もおらず大混乱になっていた。
エルネット公爵邸はひどい有様だ。
どうやら二人は最後の金を持ってペイスリーブ王国に渡り、ロイスとアシュリーに助けを求め続けているらしい。
今はペイスリーブ王国の市井で生活しているようだ。
最近は忙しくエルネット公爵のことなどどうでもよくなっていたが、まさか自分たちがユイナのことで手が回らなくなっているうちにこんな事態になっているとは思いもしなかった。
「エルネット公爵の嫡男……確かロイスと言ったか。彼は今どうしている?」
「今はギルバート殿下の側近として働いています。かなり優秀だそうですよ。彼にエルネット公爵を継ぐつもりはありませんよ」
ロイスをこちらに引き込もうとする父の考えにはオースティンも賛同だった。
ロイスがサルバリー王国に戻れば、アシュリーだって彼に会うために国を行き来することになるかもしれない。
だが、その作戦はうまくはいかないようだ。
「何を驚いているのですか?その許可を出したのは国王陛下ですぞ……?」
「う、うむ。わかっている……!」
宰相は怪訝な面持ちで父を見ている。
確かに契約書には自分が押した判があった。
あの時はユイナを手に入れて、父もオースティンもロイスやアシュリーなどどうでもいいと思っていた。
父は震える手で書類を置いた後に誤魔化すように咳払いをする。
頭にはアシュリーに頼り、国を立て直すことしか考えられないようになっていた。
「ペイスリーブ王国に正式に許可をとれ!アシュリーに会わせろとな」
「……かしこまりました」
「今度は逃がさないようにせねば!時間はないっ」
父の言葉が聞こえないほどにオースティンは憔悴していた。
それから数日後、オースティンの症状は急激に悪化していくことになる。
父や母は居ても立っても居られなくなりアシュリーに何度も何度も手紙を送り続けた。
ペイスリーブ王国とのやりとりを続けて、なんとかギルバート同席の元、アシュリーに会う許可をとることができた。
結局、アシュリーに会うまで一ヶ月もの時間を要した。
オースティンを連れてペイスリーブ王国に向かう。
以前は許可もなかったため、門前払いだったが今回は門が開いた。
広間に通されると、そこには誰もいない。
十分後、扉をノックする音と共にアシュリーとギルバートが現れる。
そこには複数の護衛の姿があった。
アシュリーはこちらの苦労も知らずに優雅にお辞儀をして挨拶をする。
切羽詰まっているオースティンたちとは違い、その顔は幸せに満ちているようだ。
父と母は挨拶も忘れて焦りながらも口を開く。
「単刀直入に言う!アシュリー、力を貸してくれないか……!」
「お願いよ、アシュリーッ!」
「……」
アシュリーは綺麗に座りながらお茶を並べていく侍女たちを制止する。
ギルバートも笑みを浮かべたまま何も言うことはない。
目を閉じてから静かに口を開く。
「サルバリー国王陛下と王妃殿下が何を仰っているのか……よくわかりませんわ」
そう言うと、アシュリーは天使のようにニコリと微笑んだ。
それには父と母も絶句している。
「挨拶もなしに失礼ではありませんか?」
「……っ」
「顔を合わせて今すぐに治療をしろだなんて……。それにわたくしには関係のない話です。ねぇ、ギルバート殿下?」
「その通りだね。話はそれだけかい?なら、今すぐに帰ってもらってもいいかな」
オースティンが苦しむ様子を見ても顔色ひとつ変えないギルバートとアシュリー。
テーブルを隔ててまるで同じ世界にいるとは思えなかった。
それほど空気が違っていた。
「今日は孤児院に行けるのですよね?」
「ああ、そうだね」
「そうだわ。お菓子を持っていくのはどうでしょう?」
「さすがアシュリー、いい案だ」
「皆の喜ぶ顔を見るのが楽しみですわ」
ギルバートとアシュリーは何事もなかったように談笑している。
もう話は終わったと言わんばかりの態度に父は顔を真っ赤にして、母は開いた口が塞がらないといった様子だ。
あまりの温度差に言葉が出なかった。
隣でワナワナと震えはじめた母が首を横に振りながら口を開く。
「オ、オースティンは……今、命の危機を迎えているのよ?」
「まぁ、そうなのですか。それは大変ですわね」
「アシュリーッ!あなたは……あなたは何も思わないの!?」
母の言葉にアシュリーはゆっくりと首を傾げた。
そしてその場に似つかわしくない愉しげな笑みを浮かべて淡々と言葉を吐き出した。
「えぇ、何も思いませんけれど……何か?」
「……っ!?」
平然と答えるアシュリーに大きく目を見開いた。
目の前で笑っているのは幼い頃からよく知っているアシュリーのはずなのに、明らかに何かが違っていた。
禍々しい雰囲気も棘のある言動も以前のアシュリーにはなかったものだ。
「まさかまたわたくしにオースティン殿下を治療しろなどと、くだらない妄言を吐き散らすためにわざわざここまでやってきたわけではないですわよね……?」
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