034:道化師と軽業師

 僕は分かったことをグレースに伝える為、足早にあの客間へと向かった。


 だが、そこには既に誰もおらず、カーペットには水や吐瀉物のシミひとつ残っていなかった。全てが無かったことになっていた。多分、僕が言った後処理班というのは存在するのだろう。


 そうでなければ、説明がつかない。

  

 僕は途方にくれながらも、ある一つの伝手を思い出す。ヨセフだ。彼なら、より深く洞察し、何かを知り得るかもしれない。


 彼の出番は近く、楽屋にいるのは間違いなかった。


 実際に、彼は教国側の楽屋で柔軟体操を行なっていた。彼の表向きの職業は軽業師であり、その行為自体は誰にも文句が付けようがない、至極当然のことである。

 

「ヨセフ、君に激励の言葉を送りたいんだが、少し時間はいいかな?」


 ヨセフは怪訝そうに表情を歪め、楽屋裏の方へ手招きした。


「もうすぐ出番だ。手早く済ませてくれ」


 僕は楽屋裏に誰もいないことを確認すると、ヨセフに問い掛けた。


「『ガス・デ・オロ』について何か知っている事は?」


「響き的には帝国領側、特にディビ・イェン辺りの部族が使うような言葉の響きだ。それがどうかしたか?」


「さっき僕を襲ってきた連中が吐いた言葉だよ。ご臨終間際に…」


「今回の事件に何か関係があると?」


「そうでなくちゃ困る。僕が手を汚した意味がなくなる」


 それを聞いたヨセフは少しだけ表情を曇らせ、黙り込んだ。そして、僕の瞳をしばらく覗き込んでから、話を新しく仕切り直した。


「お前は襲われた。そう言ったな?」


「ああ」


「俺もだ。俺も襲撃された。そして、俺もまたお前と似たようなディビ・イェン側の部族の言葉を聞いた。『ドゥ・ラム』と言っていた」


「尋問の末に話したので?」


「いや、乱闘の末、死に際に二人の片割れがそう口走った」


「尋問せず聞けたのなら、不幸中の幸いかもしれませんね」


「皮肉は良い。その言葉の意味について、知り合いに聞いて見るとそれが何処ぞの異教の神の名だと言われた。銀を生み出し、人を堕落させるという邪神だ」


 僕は苦笑いする。


「僕の聞いたその神も同じような輩なんですがね。呼び名が違うだけなのでは?」


「確かに有り得る。分派したのかもしれない」


「それにこうとも聞きました。一部の商人や金貸しの間で信仰されているとも…」


 ヨセフはそれを聞き、笑みを浮かべる。


「それなら、やれることは一つだけじゃないか?」


 僕の返答は無言だった。分かってはいたが、余りに無謀だったからだ。


「虱潰しに二階席を探し回るんだ。それらしい輩をな」


 僕はただ苦笑いを浮かべる他無かった。

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