032:水差しと古典的な質問法

 雨戸とカーテンを閉め切り、扉に閂を差した客間は牢獄と何ら変わらなかった。


 耽美でありながら頑丈な金メッキの施された鉄の椅子に二人を縛りつけ、それに向かい合うように僕たちは立った。


 僕らの側にはこれまた瀟洒な飾り机が置かれ、その上には白磁の水差しと花柄のナプキンが乗っている。多分、ここだけみれば少女漫画の背景だろう。

 

「まさかヒョロガリの芸人にやられるなんざ、御前らも思ってなかっただろうな。実際、俺も同じ予想だったわけだからな」


 グレースは面白そうに全方向に喧嘩を売るような台詞を吐いた。悲しむべき所だが、僕にはそんな体力も気力も残っちゃいなかった。


「それで、君達はどうして僕なんかを襲ったんだ?」


 答えが返ってくるとは思えないが聞かざる負えないことを僕は聞いた。そうしなければ、この世界の時は止まったままだ。誰か言わねばならない。

 

 当然、二人は口を結んだまま。表情ひとつ動く事はない。


 大男の方は優しげだが不屈の意志を感じさせる精悍な顔付きをしている。厚着をしていたこともあり、火傷は生死に関わるほどじゃないようだ。


 小男の方は地味だが愛嬌がある。タコ殴りしたせいで生まれた青あざもあいまり、雨に濡れたブルテリアのように見える。


 総じて、会社の同僚としては百点で暗殺者や鉄砲玉としては平均以下という二人。


 少しばかり罪悪感を覚える。


 口を結ぶ二人から視線を僕へと向けたグレースはお手上げだという風に口をへの字に曲げた。


 そして、机上のナプキンを一枚取り上げ、大男の後ろへ周り、顔の全てを覆うように縛った。傷口を縛るようにキツく。


 更に僕に目で合図するグレース。


 同じようにやれとのことで、僕に逆らう余地もなく、小男へナプキンを掛けた。


 何をするか想像できない訳じゃ無かったが、頭を空っぽにする他ない。


 グレースはあの意地悪げな笑みを浮かべ、想像通り水差しを手に取ってチャプチャプと揺らして見せた。


「ペンチだか裁縫針だかがあれば、もうちょっと捻ったことが出来るんだがな。本当に申し訳ないが、一番クラシックなヤツでいこう」


 グレースは大男のナプキンをグイと後ろへ引き、椅子ごと後ろへ張り倒す。


 絨毯の敷き詰められた床は音を残酷に吸収する。そして、ゆっくりと満遍なく水差しから水を溢していく。ナプキンは水びだしと化し、空気の通る余地を徹底的に奪っていく。

 肺は生理反射として息を吐き、気道に入った水を排出しようと躍起になるが、哀れにも残された少ない空気も逃してしまう。後は語るまでもない、丘の上で溺死する。

 

 大男がバタバタと足を揺する。その度に椅子の足へ打ち付けられ、心を打つような音色を奏でた。ナプキンからはブスブスと彼にとって命と等しい空気が漏れ出している。


 僕はそれから意識を逸らすように、ブルテリアの彼に聞いた。


「世の中には本当に色々な大切なものがあるよ。金や思想や誇りとか。でも、それって溺死したって構わないぐらいに大切だとは、僕にはどうしても思えない」


 しばらくの間、とはいえ溺死するには足りない程度の時間、沈黙が続いた。そして、悲しげな声が聞こえてきた。それは呼吸音にも劣るほど囁かだった。


「御前がまだ理解仕切っていないだけだ。人が其処まで割り切れる程に賢ければ、戦争なんて起こらない。あと少しだそれで振り出しに戻る」


 僕は何か言い返そうと思ったが、特に何も思いつかなかった。

 

 そうこうするうちに大男の荒ぶる息はやがて止まった。彼は逝ってしまったのだろうか。


 グレースがその答えを知るべく、ナプキンを剥がし、心臓に拳を打ちつけた。鈍い音と共に青褪めた唇の間から水が飛び出し、嗚咽が漏れる。


「意識が戻ったら、もう一度、海の底だな」


 上手い事でも言ったというように、楽しげにグレースは笑う。そして、こちらへ顔と水差しを向ける。


「次は御前らの番だ。レイ」


 選択肢などないことを僕はヴラドとの最初の尋問の時点で悟っていた。とは言え、自身の罪悪感は免罪符を欲して止まない。結果は変わらずとも、口をついて出てしまう。


「本当に話すつもりは無いんだな?ブルテリアさん。本名ぐらい教えてくれたっていいんじゃないか?」


 グレースは怪訝そうに此方を見る。小男は忌々しげに言う。


 「ブルテリア?何だそれは、帝国式の蔑称か?」


「犬の名前だよ。可愛げのある小型犬だよ」


 僕はそう言って、水差しから水を溢した。コーヒーにお湯を注ぐみたいにぐるぐると円を書くように満遍なく。前世で毎朝そうしていたように。


 それからの事はあまり多く覚えていない。


 無意識のうちに、システム的に、用事を済ませたからだ。感情と思考をシャットアウトし、彼等が音を上げるまで繰り返した。


 幸いにもブルテリアじみた彼の顔は、花柄のナプキンに大方隠されていた。それに、彼を息継ぎさせる時には形の悪いゆで卵だと思うことにした。


 つまり、僕がやった事はナプキンに刺繍された花に水やりをして、時折、卵の茹で加減を確認したというのと大差ない。


 それ以下でもそれ以上でもない。そう思い込む他ない。

 

グレースの表情を伺ってもあいも変わらず上手い笑っているだけだった。

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