031:不意打ち

 詮索好きは得るものが少なく、失うものは多大であるというのが通例だ。犬も歩けば棒に当たるし、好奇心は猫を殺す。


 僕もまた、そういったジンクスの術中に嵌まり込みつつあった。もはや、現状が窒息死する寸前の走馬灯のようにすら思える程だ。


 眼前には、安っぽい陶器の仮面を被った男が二人突っ立ている。


 手にはブラックジャックと大道芸用に使われる幅広の剣。一人は僕より頭一つ大きく、剣を手にしたもう一人は僕と同じ位である。仮面には何の表情も描かれておらず、未だ無貌のままであったが、良からぬ意図を有しているのはどうしたって読み取れる。

 

 しかし、どうしてこんな苦境に追い詰められているのだろうか。僕はヨセフの公演を関係者席から見物に行こうしただけである。


 偶々、人通りの少ない廊下を通ってしまったが為に、前々から襲撃の機会を伺っていた者達に不意打ちの機会を与えてしまったというのであろうか。


 確かに、それが一番真っ当な推察だろう。


 彼らが背後から忍び寄り、僕の背中にずぶりと剣を突き立てなかった理由が全く分からないというのを度外視すればの話だが。


「随分と前衛的な仮面だね。僕の代わりに舞台に立つつもりかい?」


 B級アクションの様なベタな台詞が口について出た。


 見た事のある状況では、聞いた事のあることしか言えない。もしくは何も言えないかの何方かだ。しかし、僕は芸人の端くれだ。少なくとも、その自負はある。


 しかし、それは盛大に裏切られる。僕の芝居に付き合う気は毛頭無いらしく、彼らは何も言わず、距離を詰めてきた。口先が通用しない最悪の相性だ。


 僕は困りきって、懐から公演の皮切りに使った弩銃を抜き放った。


「この弩銃がどういうものか、舞台の上で見た通り。撃てば僕達みんな大火傷だ。それだけの対価を支払う価値があるのか?」


 引き金に指を掛け、僕は銃口を奴らに向けた。


 二人は一瞬腰を引き、目で合図を交わした。彼らに怖気つく様子は無い。


 一気に踏み込み、一瞬で此方を無力化する算段なのかもしれない。 

 

 何にせよ、僕の取れる選択肢は二つだけだ。


 引き金を引くか、引かないか。


 そして、チェーホフが語ったように、小道具というのは登場した以上、万全の仕事を果たさねばならない。


 二人が次の瞬きをした瞬間、僕は容赦なく煥発入れずに引き金を引いた。


 炸裂音。暗い隘路を切り裂く眩い光弾。


 燐やマグネシウムの粉塵が銃口からブドウ弾じみて弾け飛び、二人を襲う。

 

 いや、上背のあるブラックジャックの男が焼け付く粉塵の大方をその身で受けた。


 火傷は必至の捨て身の行動。だが、あまりに合理的だ。もう一人の男が剣を構え、相方の裏から飛び出してくる。


 僕は後ろに盛大に身を投げ出し、無様にその一撃を避けた。


 偶然か必然か踏み込んできた男の足元に潜り込む。運命を受け入れる以外にやれることは一つだけ。


 手に握った唯一の武器を振るう。滾った銃身を男の膝の皿に捻り込んだ。


 銑鉄の重い弩銃は棍棒としても焼鏝としても十二分な威力を発揮する。初めて他人へ振るった暴力は、焼ける肉の匂いと骨の砕ける感触を伴っていた。

 

 仮面の奥から、男の苦悶の声が漏れる。横転し、膝を抱えて蹲る。


 幅広の剣が地面に派手な音を立てて石畳に落下した。

 

 僕はその場から立ちあがろうと手をついた。その瞬間、炎に包まれたままの巨漢が僕をくびり殺そうと飛び掛かってきた。


 僕は必死に身を捩らせ、それを躱す。凄まじい熱気がすぐ隣を通りすぎる。そのまま、跳ね起きて地面に落ちた剣を拾い上げた。

 

 そして、炎に喉を焼かれ咳き込む巨漢に向けて幅広の剣の平を後頭部に向けて振り下ろした。


 鈍い感触。骨にひびを入れる音。一切の手加減なし。考えるべきことは何もなく、振り抜いた。

 

 背の低い方が体勢を立て直そうともがく所に、僕は巨漢が残したブラックジャックを叩き込んだ。


 そいつの顎や側頭部を狙って、何度も数えるのを諦めるほどに。

 

 一連の出来事は一心不乱のうちに過ぎ去った。時間の感覚は狂い切り、永遠である様にも刹那である様にも感じられた。

 

 その悪趣味な走馬灯から僕を引き戻したのは、聞き覚えのある声だった。

 

「訓練より実戦派なんだな、テリー。俺とヤッた時にはそこまで思い切り良くはなかっただろう?」


 顔を上げると其処には軍服姿のグレースが佇んでいた。そう、それこそB級映画の悪役みたいに不敵に笑いながら。


 僕は荒い息を懸命に整えながら、当然の質問を投げかけた。


「いつからそこに?」


 グレースはいつもの意地悪い笑みを浮かべた。


「御前がブラックジャックを振り下ろした辺りだよ。聞き覚えのある轟音が聞こえたから、見に来てみればこの通り、乱闘の最中だった。下手に声を掛けたら、こっちまで殴られそうだったから、落ち着くまで見物させて貰ったわけだよ」


「憲兵というのは性格が悪くなけりゃ務まらない職業なんですか?」


「まあ、そう言うな。文句は後で聞く。事はまだ済んでないんだ。そっちの軽い方の奴を持ち上げる事は出来るか?」


「出来なくはないですが、何処に連れて行くんです?それにこういう時は他の憲兵がやってくれるものだと思うんですが、ほら後処理班とかそういう…」


「行き先は隊長と話をしたあの客間だ。人手に関しちゃ、贅沢をいうもんじゃ無いな。何より、御前が密偵であることをこれ以上無闇に広めることもないだろう」


 グレースはそう言って、黒焦げと化した大男を拾い上げ、背中に背負った。余りにも軽々と藁の詰まった背嚢をからう様に。


「今更言っても詮ないことだと思いますがね」


 僕は体に鞭打ちながら、自分がめった打ちにした男の体を背負った。そして、今や僕に平穏は残されていないのだと嘆きながら、グレースの後を追う。


 幸運なことに、道中、誰とも出くわす事は無かった。それが、本当に幸運によるものなのかは定かではなかったが、そこについて気にする事が出来るほど僕に余力は無かったのである。

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