024:優秀な同業者より、嫌な者も尊ぶべき者もない

 幸運の車輪祭の楽屋は少しだけ不思議な構造をしている。


 教国側と帝国側のキャストごとに楽屋を別たれているのだ.

 防諜上の都合かヘイトクライムを防ぐ為なのかは定かではないが、祭りを円滑に進めるのに不可欠な采配であったと、純粋な出演者としての僕は思う。

 一方で、自分が諜報する立場に立ってみると迷惑極まりない。隣の楽屋を跨ぐ度に身体検査と出演者証明証を提示しなければならないのである。そのせいで、両者間の往来は恐ろしく少ない。


 その中の数少ない例外が、僕でありヨセフであった。


 今から二週間ほど前、僕が楽屋入りして暫くしてからの時だ。僕はヨセフと邂逅した。


 僕は国際交流という世迷言を語り、ヨセフは神の御言葉という妄言を流布するために、その厄介な敷居を跨いでいたのである。


 ヨセフは元日本人からすれば異国情緒溢れる好青年だった。


 年は二十歳に差し掛かったばかりであり、気力、体力共に満ち足りている。黒檀のような色をしたきめ細かい肌には幾何学状の白い刺青が浮かんでいた。それが儀式的なモノであるか、単なる装飾であるかは定かではないが、何にせよ小洒落ている。

 長いまつ毛の下に覗く栗色の瞳。緩やかなウェーブの掛かった長髪は首筋までつたい、天然の整髪剤の匂いが香る。ジャスミンかペパーミント、それに類する清涼さだ。細身の肢体には軽業師の誉と言える耽美な筋肉がついている。


 そして、実際に彼は素晴らしき軽業師であった。


「ランデ・ザ・トリークル(異教徒にも糖蜜を)。こんにちは、帝国の道化師。スタンスクはまだ笑っているかな?」


 侮蔑のような口上の元、彼は僕に話しかけて来た。それでも、笑っているだけ他の教国の人々よりよっぽど愛想があると言える。


「スタンスクは死にましたよ、貴方の所の聖人と同様にね」


 僕はそう言って肩を竦め、彼へと向き合った。上背は僕より頭一つ大きい。


「手厳しいな。だが、真実だ。ヨセフ・クローヴィスこと私と君がこの大舞台に立つ事になるのと同様に」


 彼は親しげに微笑み、右手を差し出してきた。相変わらず、握手は万国共通であるようだ。僕としても願ったりであった。


「随分とフレンドリーですね。誰が自らを創ったかについて常に躍起になっていると思っていましたが」


「実際、その通りだ。史上最大の命題だからね。しかし、我々と君達の違いはそれだけだ。別の神の腑から生まれたというだけの話だ」


「選民思想は抜きにしたいという事ですか?」


「嫌味っぽくいえばね。それに、君だって帝国人なのに良く此方の楽屋に来るじゃないか。どれほど嫌悪の視線を送られても、ヘラヘラと笑って面白くもない冗談を吐いていただろう。『僕達は同じ神の御元にいる。でかい足の姿をした笑いの神様だ』とかね」


「そう言われると、同類かどうかは諸説あるかもしれない。僕はテリー・グレアムです」


 僕は彼の手を握った。硬くはなくとも、面白みのある握手だ。教国人と帝国人の邂逅としてはかなりマシな部類であったのは間違いなかった。


 それから僕達は定期的に話すようになった。

 勿論、楽屋の外でもそうだ。帝都の中では、彼の姿もそれ程目立ちはしない。様々なところを案内し、お互いについて語り、そして両国の事情について見聞を得た。彼の紹介のおかげで、難航していた教国の楽屋の人々との接点づくりに光明を見た。彼もまた同様に帝国の他の芸人達との接点を得ることが出来た。


 何もかもが上手くいっているように思える。しかし、当たり前の事実に行き当たる。


 上手くいき過ぎている。


 まるで、同じ意図を持った人間が同じ場面に丁度、居合わせたように事が運んでいる。それが偶然とはどうしても思えない。


 彼もまた僕と同じ役回りなのではないかと思えてしまう。

 

 この疑念が晴らされるのはパイソン亭で僕と彼がリンゼンズッペ(レンズ豆のスープ)を啜っていた最中だった。


「君の生まれは?帝国の何処なんだ?」


 ヨセフは僕がこの世界に来て以来、繰り返される難題について問うてきた。


「地図も名も無い山の中ですよ。母が死んでから、帝都で稼ぎに来たわけです」


「それもここ数年のことだろう?この祭りに出れるなんて相当、早く売れたんだな」


「ある人に見初められましてね。この祭りのダークホースとして放り込まれたというわけですよ」


 それを聞くと、ヨセフは知ったように瞳を細め、その長いまつ毛をひくつかせた。


「ははあ、私もまた似たような者だよ。教国の先進的なお考えの大聖堂長に神の御言葉を広めるために此処に遣わされたんだ。あと、幾らか君達の意見を拝聴するという職務も」


 深読みせずとも意味は分かる。彼もまた疑念を確信に変えたがったのだ。


「しかし、君の場合。なんだ、その。かなり謎が多いな。誰がパトロンかも判然としないし、生まれも信仰する宗教も何も分からない。過去に何をしでかしたかも。うちの大聖堂長はかなり競争心が高くてね。他の出演者について仔細に下調べしてくれているんだが…」


「ああ。僕は雇われなんですよ。本当の意味でのね。お抱えじゃなく、無名でそれでいてある程度の実力があるということで放り込まれたわけです。だから、調べても何も出てこないのは当たり前ですよ。うちの雇い主ですら、僕のことをそれほど知らないのですから」


「君個人としては、どうなんだ?つまり、雇い主の待遇についてだとか、君が今回の仕事に何を望んでいるかだとか」


 僕は少し考えた後に、話を続けた。


「不満がないといえば嘘になるでしょうね。僕は半ば不可避的に今回の仕事に抜擢された一芸人でしかないのですから。とはいえ、契約がある以上、責任は果たしますよ。文面通りにね」


 それを聞いたヨセフはかなり複雑な表情を浮かべた。わざとやっているのかは計り知れないが、少なくとも僕の立ち位置について好意的でないのは確かだ。


「今回の仕事についてですが、何も起こらないことがベストであると考えております。芸人が静寂を望むのはおかしな話かもしれませんが、今回ばかりはあまりに舞台が大き過ぎます。ブーイングを食らうより、忍び笑いの方がマシですし、それで報酬が変わるわけでもないのですよ」


「中々、独特の感性だな」


「褒めて頂き光栄です。それで、貴方の方は如何なんです。雇い主はなんと?」


「此方は、そうだな。笑うもの拒まず、泣く者許さず。という感じだよ。今回の祭りで関係が好転する男女がいれば、その幸福を祝福する。一方で、涙を浮かべお互いを斬り合う程に悪化する関係があれば修復させる必要がある。勿論、我々の芸で持ってね」


「随分と殊勝ですね」


「そうとも。何せ双方にとって尊ぶ者が揃い踏みするのだからな」


「痴話喧嘩なら、家や安宿の中で十分ですからね。何も聖堂の中や舞踏場でやるべきじゃない」

「つまりは、そういうことだ」


 会話はそこで終わり、僕達はふやけたレンズ豆を口に運んだ。

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