023:意図の見えない犯行声明・協力者

 出し物の準備や訓練に明け暮れること一月半後。『幸福の車輪祭』は目前に迫っていた。


 問題は大方片付いていたが、一つだけとてつもなくデカい問題が残されていた。


 披露する芸のおおとりが決まっていなかったのだ。参加するだけなら、それほど問題ないのだが折角の晴れ舞台である。見せ場を作れず終わるのも癪だった。


 頭を捻りながら、僕は祭りの開催場所となるガラスの宮殿を視察していた。


 皇宮の中庭に敷設された帝国の技術の結晶。鋼の支柱と大理石、ステンドグラスによって構成された巨大な一つの天幕である。


 その施工に掛かった費用を鑑みると、そら恐ろしくなってくる。小国の国家予算数年分を注ぎ込んでも支柱すら満足に建てられやしないだろう。

 

 皇族の座る席の方には鷹の意匠がステンドグラスによって施され、天井から金糸で編まれた帝国の国旗が左右対称に一対垂れ下がっている。

 当日には、その片方が教国の側に取り替えられ、そちら側に教国側の指導者である教皇が御座りになるそうだ。

 

 両国の友好とは言うが、その間で交わされる言葉の応酬を考えるだけで胃が痛くなってくる。


 皇族の席が位置する第四階層の下には、三段に別れた席が中央に向かって円錐状に広がっている。上から順に、貴族、金持ち、抽選に当たった市井という順の席分けだ。


 貴族は皇帝から席をあらかじめ割り振られ、その護衛の数や持ち物に至るまで事前に申請されている。


 金持ちについては、豪商や亡国の元貴族といった輩であり、席を金で買っている。


 市井の参席者は、憲兵たちの下調べのもと清廉潔白で真っ当であると判断され招待された者達だ。市井の人々でも皇帝は分け隔てないと言う話題作りのための采配だろうが、効果の程についてはよく分からない。


 テロ対策という観点において、最も警戒すべき階層は、第二階層である。


 ヴラド曰く、最も調べの甘い階層らしい。


 原因は席の選定基準が単なる金でしかないことだ。

 皇家の私費を投げ打って実施されたこの祭りには、巨額の費用がかかっている。その収支を責めてでもプラスに近づけるため、財務担当が席のチケットを競りにかけたそうだ。


 憲兵隊としては大いに反対したが、其処は政治の世界。評議会の連中と皇家の財務担当が意地でも譲歩しなかったということらしい。


 更に厄介なのは、彼等はこういった催しに不慣れだったようで、転売対策も碌にしておらず、釣り上がりに釣り上がったその値段は、やがて暴落し、誰の手に渡ったものか判然としなくなってしまった。


 おかげで、下調べしようにも如何にもならないそうだ。


 それに、第三階層の貴族達だって完璧に信用できる訳もない。

 評議会の多くの議席を占める彼等は、民衆からの地方選挙で当選しているが、其々に利権や思惑が存在する。その恨み辛みは蜘蛛の糸など比ではなく、蚕の繭のように一本である訳でもない。皇族を仇にせずとも、別の貴族を仇にすることも有り得る。


 とはいえ、そこら辺りの権謀術数は憲兵隊の十八番であるので、気にする必要はあまり無さそうだ。


 結局の所、僕が一番気に掛ける必要があるのは、観客席ではなく楽屋の中だ。


 万国から集まるというだけあって、国際色は豊かだ。


 いや、国際というのはあまり適切ではない。この大陸にあるのは3ヶ国。その内一つはならず者国家。額面上、存在するのは帝国人と教国人の二つだけだ。


 しかし、帝国領内に限っても様々な文化的背景を有した芸人達がいる。百五十年という月日は民衆が同化するには余りにも短過ぎる。彼等は其々の道を歩んでいる。一枚布の衣装に身を包んだ蛇使いもいれば、タイツ姿で皿を回す奴。千差万別だ。


 そして、それぞれが独特の商売道具を揃えている。その全てを把握するのはほぼ不可能と言って過言では無い。憲兵の連中が事前に検閲出来た分だけでも用途不明のものが数多く存在している。


 その幾つかは僕の所に回され、構造の把握と危険性の有無を調査させられた。グレースがお目付け役として同行してくれていたが、その仕事量は恐ろしく多かった。過労からヴラドの忌々しい顔がチラついた。

 その一方で、舞台道具を調られた潔白の者達に可哀想なことをしたと思う。それらは正しく彼等の努力の結晶であり、秘密であっただろう。僕はそれを権力を傘に暴く立場にいたのである。


 楽屋で知り合った軽業師の男はこう語った。


「皇帝には皇帝の、貴族には貴族の、農夫には農夫の誇りがある。それ無くしては我々は何者にも足り得ない。しかし、王冠や領地、鍬や鋤なくして事を成す事も出来ない。双方を奪われるのなら、それは死と同義だ」


 とはいえ、運命の他に有無を言わせぬモノがあるとするなら、それは憲兵隊である。上手く折り合っていくしかない。僕も彼等も同様に。


 そんな事を考えながら、どうするべきかと二階席から中央の舞台を眺めていた。その時、背後から声が掛かった。


「調子はどうだ道化師くん」


 気取っていて、それでいて冷淡な声だ。聞き違い様のないヴラドの声だ。


「分かりきった質問をするもんじゃないですよ、隊長」


 愛想のかけらも無く愚痴を吐くのはグレースだ。

 僕は振り返り、二人の方を見た。どちらも憲兵隊の厳しい軍服を着こなしており、有無を言わせぬ威圧感がある。


「お揃いでデートでもしているんですか?」


 僕はつまらない冗談を吐いた。精一杯の強がりであるが、実際の所、軍服を抜きにすればグレースとヴラドは年の差カップルといって遜色なかった。


「こんなおっかないカップルがいてたまるか。仕事の打ち合わせに決まってるだろ」


 グレースが苛立たしげにそう語る。


「こんな開けた場所でいいんですか?僕が密偵だとバレますよ?」


 ヴラドが妖しく微笑む。これもまたいつもの笑みだ。


「人払いは済ませてある。現在、この建物には我々の他誰もいない」


 どう考えても嘘だと僕でも分かる。

 こんな馬鹿でかい会場を完璧に人払いするなど不可能だ。誰かが覗き見するつもりで潜むなら見つけ出すことは困難だ。


 そうであるなら、指し示す事は一つだ。


 これは密談ではなく、公演である。僕が誰と繋がっているのか示すつもりなのだ。


「しかし、手間を掛けた割に要件は至極単純だ」


 ヴラドは僕に一枚の羊皮紙を差し出した。赤茶けたその紙には数え切れない程のマークが血によって描かれていた。教国の紋章たる三叉が帝国の紋章たる鷹の胸を貫いている。

 一方の鷹はその鋭い嘴で三叉をへし折ろうと躍起になっている。

 

 そして、その不吉なマークの最中には短文が躍っていた。


『誰かがしくじったのであれば、誰かが上手くやらねばならない』


 ヴラドはそれを引き戻し、僕に問うた。


「今朝、見回りに出ていた憲兵の一人が持ち帰った紙だ。尤も、そいつは絞殺された挙句、顔の皮を剥がれ、城の堀の中に放り込まれていたわけだが。これをどう思う?」


「どうと言われても、犯行声明としか見えないんですが」


「実に明確だな。だが、何処の勢力が、何の目的でだ?」


「分かりかねます。この紋章は憲兵隊の資料にないのですかね」


 そこでグレースが捕捉を入れた。


「ないな。憲兵達が設立されて以来、千を超える組織を潰しその全容を把握しようと努めたが、その度に万の組織が生まれてきた。とはいえ、有名どころの勢力じゃないのは分かる」


「愉快犯かそうでないかも分からないというのであれば、どうすることも出来ないですよ。その死んだ憲兵から何かわかることは無いんですか?それまで、何某かの組織に潜入した事があるとか、怨みを買った事があるとか」


「彼は後少しで退職という所のベテランだった。憲兵隊の中でも荒事をメインに取り扱う部隊にいたんだが、最近は歳のせいもあり見回りの職務に回されていた。私服で出歩き、胡乱な物事を聴衆する立場だよ」


「そこを運悪く獣にとっ捕まったわけですか…」


「悲しいが、その通りだ」


 目尻の橋すら動かさずにヴラドは言った。心の奥底に悲しみと怒りを隠しているのだと信じたい。


「冥福をお祈りしますが、それ以上のことは出来そうに無いです」


 僕は肩をすくめて見せた。


「何か舞台裏から見ていて気づいたことは無いのか?」


 グレースが不満げに聞いた。外部要員に職務への忠誠ややる気を求められても困る。しかし、僕だってそう間抜けじゃない。怠慢は下手をすれば僕の首をトばす事に繋がるのは分かっていた。


 舞台の準備をやっていただけじゃない。少しは密偵の真似事をしていたのである。かなり間抜けな仕事ぶりだったのは認めざる負えないが。


「そうですね。変わった男と知り合いましたよ。名前はヨセフ・クローヴィス。教国から来た軽業師らしいのですが…」


 僕は二人にヨセフとの出会いについて語り始めた。

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