022:座学・視点の持ち方について

 僕はあの一生分の反吐を吐いた近接戦闘訓練から、週三で納屋へ通っている。


 グレースの予定では週四であったようだが、本命である祭りの出し物の準備に時間を要するという嘆願によって、一日だけ削減されたという経緯がある。


 しかし、一日減る影響は多大とのことで、訓練の内容は更に苛烈なものとなった。

 

 結局、僕はどうするべきだったのかと考えてしまうが、今更何を言っても変わらない。

 

 そして、また今日も目隠し付きの馬車の旅の後、僕は忌々しい納屋の訓練場までやってきていた。


 六度目となるその日の訓練は、普段の血みどろのそれとは全く違っていた。


 初めての痛みを伴わない訓練、俗に言う座学である。


 小学校に置いてあるような机と椅子に僕は座らされ、簡素な黒板の前に立つグレースに向かい合っていた。


 机上には紙とインク壷、鋳鉄のペン。前世の記憶が蘇る。

 どうして、ここに居るのか不思議になり、現実感が薄れ始める。性悪な足の神も残虐な憲兵隊長も嘘っぱちなのではと思えてくる。

 

 現実逃避から僕を引き戻したのは、グレースの淡々とした口上だった。


「さて、テリー。今日はお勉強の時間だ。口達者なお前の事だから、随分と楽しみにしている事だろうな」


 僕は一瞬、呆然として間抜けのように口を開き、それから言葉を発した。


「痛くなければ、なんだって構いませんよ」


「それが冗談か本音か知らないが、その精神性はこの場に相応しくないのは間違いない。痛みは忌避するものでも恐れるものでも無い。享受すべきものだ。痛みを憎しみへと変えろ、憎しみを思考へ添加しろ。そうすれば、残虐になれる。容赦を捨てられる。最も効率的な手段を選ぶことが出来るようになる」


 グレースは独り言のようにそう言った。まるで僕が元素周期表を暗誦するように。


「今日はその効率的な手段について教えよう。お前はどうやら実践的な奴じゃなさそうだからな。先に理屈から話そう」


 黒板にチョークで絵を描いた。簡便だが、実務的な人体の絵だ。


「最初に意識すべきこと、それはターゲットだ。つまり、人体を攻撃するに当たって狙い、狙われる目標だ。その一、呼吸を停止させること」


 黒板上の人間の首に縄を描き込むグレース。


「あらゆる生物はどういうわけか呼吸している。そして、これを何らかの手段で止めれば死ぬ。単純だが、これには首を絞める以外にも色々と手段がある。例えば、背柱のすぐ上の後頭部を強打しても、神経がイカれて呼吸が出来なくなる。後は頸椎だ。頸椎の裏側を打ってその骨で気管を圧迫させれば良い。虫みたいに痙攣して気絶する。肺に直接穴を開けてやるのはお勧めしない。肺は穿たれても収縮して穴を自動で塞ぐし、何より二つあるからな。それなら首を砕いた方が早い」


 次に、手首へ突き立つナイフを描き込む。


「その二、出血させること。ナイフ、矢、上手くやれば棍棒でも可能だ。狙うべきはデカい血管、すなわち頸部、手首、肘の内側、脇の下、太腿内側、腎臓。もしくは心臓だ。棍棒でやりたいなら、骨を砕いてその破片を相手の内臓に突き立てろ」


 それから、頭に棍棒を叩きつける絵を描いた。


「その三、ショックを与えろ。わかりにくいかもしれないが、これは総合的な話だ。人間はデカいダメージを受けると神経に異常を来たし、即死することが、ままある。脊椎の損傷、脳の破壊、苛烈な火傷、生命維持に必須の器官生じた極度の損傷、等がその引き金だ。要は急所に強烈な一撃を叩き込め、というわけだ」


 最後にイラストの人間を昇天させ、天使の輪っかを頭上に描き込んだ後、僕の方へ振り向いた。


「何か質問は?」


「可愛いイラストですね」


「それは質問ではないな。無いなら、集中力の欠如と判断して、座学は中断、お前で一連の方法を実践することになるが良いのか?」


「いえ、勘弁してください。死んでしまいます。それに、ちゃんとした質問もありますよ。話はよく聞いていましたから。それで、質問なんですが…首を、その、捌いた時に出血と窒息が同時に生じると思うのですが、どちらが死因になるんでしょう」


 意外なことに、僕はグレースの碌でもない講義を聞いていた。


 雰囲気にそぐわぬイラストばかりに気を取られていたわけじゃない。至って真摯にグレースの言葉を理解しようと努力していた。質問だって述べられるぐらいに。


 グレースは少しだけ感嘆してくれた様で、声のトーンが少しだけ上がった。


「意外にも話を聞いていた様だな。内容も悪くない。喉を切り裂いたり、気管を強打して破裂させたりすると大量の出血が生じるが、この血液が流れ込むのは気道や肺だ。出血より先に窒息死する。これが答えだ。満足頂けたかな?」


 僕は黙ってコクリと頷いた。


 下手なことを言うと体罰が待っているのは間違いない分かっているからこその聡い対応だった。


「良いだろう。実践訓練は後回しとして、次は殺し合いにおける心構えだ」


 そう言って、グレースは人間の絵を布で拭き取り、別の絵を描いた。


 精巧な執務室の見取り図だった。


 上から見下ろすような形の部屋の間取りを端的に書き写したモノである。机が並び、ハンガーがあり、燭台が置かれ、窓際には上司が座るであろう幅広の執務机だ。


 前世のオフィスと比べて遜色ないだろう。


「昔、俺が訓練生だった頃の話だ。俺と後数人の訓練生が集められ、こういう試験を出された。『今、隣の部屋にいる男は裏切り者だ。この男が漏らした情報のせいで、憲兵側の密偵が11人死亡した。この男を殺せ』」


 グレースは標的と思われる人物のイラストを部屋のど真ん中に描いた。


「部屋の真ん中には人形が立っていて、俺たちのうち全員が武装していなかった。麻縄の一本たりとも持ち合わせちゃいないし、その人形は酷く精巧で頑丈そうだった。そして、部屋に入ると馬鹿げた寸劇が始まる。どうのこうのと人形へ話しかけながら接近し、対象の首を絞めに掛かった。徒手格闘に置いて、最も確実に相手の息の根を文字通り止められるには、それが最適だったからだ。他にも、手刀で喉笛を貫こうとするイカれた野郎もいたが、結果は皆同じ、不合格だ」


 標的にバツ印を書き加え、グレースはこちらを見た。挑戦的な視線だ。


「何故か分かるか?」


 しばらく、頭を捻った後、僕は思うままを口にした。


「いえ、明確には分かりません。ですが、誰も試験の出題者側の意図に沿う最適な手段を講じれていなかったのは、間違いない。そもそも、この試験自体、徒手格闘での暗殺訓練などでは無いのでは?」

 

 素手で人を殺そうなどという思考回路自体が僕には信じがたかった。


 その手で死を感じたがる人間がいるというのだろうか、少なくとも、僕は勘弁だ。


 窓から突き落とすだとか、その手で致命傷を与える必要があったとしても、燭台で突き殺すだとか、やりようは幾らでもあったはずだ。

 

 殺生などしないのが一番なのには違いないが…


「手品師なりの思考回路か、テリー?道具なしでは何も出来ないお前らなりのな」


 グレースは嫌味ったらしくそう言ったが、その口角は上がっていた。


「殆ど正解だ。試験官共が儲けていた条件は一つだけで、俺たちが取った手段はそれに合致していなかった。即ち、環境を利用しろ、だ。真の殺人マシーンなら部屋に入るなり、洋服掛けを掴み取り、標的に投擲し動きを制限する。飛んで来る洋服掛けなんて掴みづらいことこの上ないからな、多くのものは撃墜するより、回避を選択するだろう」


 グレースは洋服掛けから矢印を伸ばし、標的の男へぶつける。


「そこを更に強襲し、倒れた相手を椅子で強打し、頭を砕く。他にも、机上のペンを手に取り、眼窩に突き刺し、脳味噌を引っ掻きまわす。慎重に行くなら、文鎮で相手の四肢を砕き、完璧に行動不能にした後に確実にトドメをさす。何だっていい。武器はそこらじゅうに転がっている。何か一つでも手に取り、事をうまく運べばそれで合格だった」


 最高の冗句でも言い終えた後のように、グレースはこの上ない微笑みを浮かべた。


「いいか、この教訓話でわかることは単純だ。視野を広く持て、受けた訓練内容によって視線を狭めてはならない」


 感慨深そうに、黒板を消しながら、グレースは言葉を継いだ。


「学んだことを直ぐに実践したがるのが子供の悪い癖だが、その前に考える頭を待たなきゃならない。これが難しいんだ。俺みたいやつは考えるより先に体が動いちまう、知ってるか?人間の喉笛の皮は羊皮紙より柔いんだ。簡単に破けちまう、それこそ細めた指先ですら容易に引き裂ける。短刀なんざ必要ないんだ。だが、それじゃあ試験の意図から外れてる」


 そして、最後に付け加えた。


「その点、手品師が副業の御前には余計な御世話かもしれないな。いつだって、周りが見えてる。ひょっとすると、天職かもしれないぜ?何がとは言わんがな…」

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