021:火鼠の衣の現代的作製法
火を扱うなら、火傷しないようミトンを用意しなければならない。常識だ。
それも手品師が壇上で使うなら、綿製などというチャチな奴じゃいけない。引火すれば、舞台の上で丸焦げとなること請け合いである。
それで会場が湧くのは違いないが、響くのは悲鳴だけだ。
それなら、火の付かない布を作ればいいではないか。手品師や作家はそう考える。
竹取物語でかぐや姫が言い出した火鼠の衣のように、囲炉裏にくべても燃えない布だ。それに、突拍子もない幻想は奇術や小説の題材にうってつけ。
炎の中から生還でもすれば、拍手喝采である。
しかし、幻想というのは聞こえの良い嘘っぱちのことを指す言葉だ。火鼠の衣などあるであろうか?
勿論、存在する。
多分、最初に思い当たるのが石綿だろう。
天然に存在する繊維状の鉱物であり、耐久性、耐熱性、耐薬品性、電気絶縁性に非常に優れ、更に安価である。それだけ聞けば言う事なしの万能物質だ。
だがしかし、ここで石綿と答えるのは二流だと言わざる負えない。
確かに石綿は異世界チート級の驚きのスペックであるが、完璧じゃない。夢の素材であると同時に静かなる時限爆弾でもあるのだ。
微細な石綿の繊維を長期間、吸引すると肺癌や中腫を引き起こし、やがて死ぬ。
完璧なものなど無いというある種の戒めなのかもしれない。
そういうことで、アランに石綿の衣を編むのを助けて欲しいなどと願う事は出来ない。
彼の一年は凡人の百年にあたる可能性があるかもしれないのだ。早死にさせる原因を作りでもすれば、天空からデカい右足の神が降ってきて、僕を圧殺するかもしれない。
それなら取れる選択肢は一つだけ。真のギガチャド(イけてる男性の意)がかぐや姫に献上するのは、セラミックファイバーである。
『ええっ!千度以上の高温域でも使用できる耐火材、ですか?』と、かぐや姫も嬌声を上げるに違いない。
セラミックファイバー。
特に今回手をつけようとしているリフラクトリーセラミックファイバーは酸化アルミニウムと二酸化ケイ素の鉱物繊維である。
その二つをほぼ同量ずつ配合、混合し炉で溶融させ繊維状に射出し、送風しながら冷却することで作成できる。
更にはセラミックであるため、強塩基やリン酸以外の薬品に耐性がある。
ちなみに、発癌性がないと立証されている訳ではないので、扱いには注意が必要だ。前世においてもそれは変わらない。
とはいえ、この不思議で素晴らしい夢の繊維の紡ぎ方を実演して見せた所、アランはこれ以上なく喜んでくれた。
あまり笑わない彼の笑顔は芸人としても友人としても嬉しいものだった。
それに、彼が共に舞台に立ってくれるかもしれないという希望すら持てたのである。最高の気分だった。
だが、それと同時に小さな疑問と懸念が頭をよぎった。
僕は彼がこの世界の至宝だと知っている。
汚泥の臭いのする平和を創り出した初代皇帝なんぞより、よっぽど掛け替えのない存在だろう。貧困や病を減らし、生活水準を根底から上げてくれる。その可能性を彼の鋭敏な頭脳は持っているのだ。
しかし、僕はそのことを誰より理解する一方で、彼を碌でもない陰謀の渦中へと放り込もうとしている。
憲兵がこれだけの手間を掛けている以上、幸運の車輪祭では何かが起こる。そんな舞台に共に立とうと言うのは、遠回しな心中か殺害予告と言っても過言じゃ無いのだ。
これは明らかな矛盾だ。到底、道理に適っているとは思えない。
一人で死んでなるものかという意地汚さか、助けを乞おうという浅ましさか。それとも…
どれほど考えた所で解決する事はなかった。僕には火鼠の衣の正体は分かっても、その矛盾の出所は全く分からないのである。
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