020:華氏246度
どうして石油や石炭が人の血より尊ばれるのか?
答えは単純だ。全てが内包されているからだ。神の血や賢者の石とは何だと問われれば、僕は間違いなくその二つを挙げるだろう。我々は化石燃料無くしては、文明的で健康な最低限度の生活を送ることは叶わないのである。
そんな至極どうでもいいことを考えながら、薄暗い地下室で僕は蒸留塔を眺めていた。
最下段のフラスコではぐつぐつと黒い原油が煮え立ち、蒸留塔の分留皿には下から順に重油、軽油、灯油、ナフサが溜まりつつある。そして、最後にフラスコに残る残留物。これにすら数多くの使い道が存在する。パラフィンもベンゼンも化学に必要なもの全てが詰まっている。
非金属から金を生み出すなんてことより、遥かに魅力的で価値のある代物だ。
アランの話では、79の主力製品は金でも火薬でもなく、灯油であるらしい。彼は真理に辿り着いている筈だが、プライドがその最も堅実な選択を邪魔している。妄言を妄言と分かる脳味噌を持ってしても、人は夢を見る事を諦めきれない生物なのだろう。だからこそ、進歩を続けることが出来る。
「そんなに見つめても何も変わらないぞ、テリー」
アランがそういって、机上に瓶や金属製のパーツの詰まった木箱を置いた。
「研究者にとって、予測通りに進む現象を経過観察すること以上に至福の時間はないのでは?」
「そう言うお前は道化師じゃないのか?だから、こんな馬鹿げた部品を用意させたんだろ」
木箱から倒れるようにまろび出てきたのは鋼材製の円筒状ボンベであった。それも二本。一本は容積20L程の大型、もう一本は1L程の小型である。
「鍛冶屋の奴に、お前が冶金したあのクロモリとかいう合金のインゴットを渡したら、とんでもない面を浮かべてたぞ」
それを聞いて、僕は誇らしげに笑って見せた。クロモリとはクロムモリブデン鋼の略称であり、主に機械部品等に使われる重量比強度に優れた鋼材である。おまけに溶接が容易という素晴らしき利点を備えており、鍛冶屋なら垂涎ものだろう。
「当然ですとも。JIS規格に照らし合わせも文句の付けようのないSCM415クロムモリブデン鋼ですよ」
「相変わらず訳の分からない事を口走ってはいるが、素晴らしい合金には違いない。それに他の連中が製法に心配も無い。誰もわざわざ絵の具の塗料に使うような鉱物から精錬した金属を鉄に混ぜようなんて考えやしないからな」
彼が言う鉱物というのは紅鉛鉱という赤色をしたクロム酸鉛であり、絵の具として重宝がられるものである。一方のモリブデンについては輝水鉛鉱という石英だのと同時に算出されるものを硝酸で分離し、酸化物を精錬した、
恐ろしいことに、クロムとモリブデンの存在はアランの元素表にて既に示唆され、精錬法すら確立されていた。僕はそこに少し手を加えただけだ。
「それより、真に凄いのは鉱石を仕入れてくれる君の商人としての顔の広さと錬金術師としての金属への造詣の深さです」
僕は改めて感嘆しながら、彼を褒め称えた。彼は地球の人類史に当てはめれば、1世紀以上も早くその二つの金属を精錬してみせたのである。偉業と言わずしてなんと言おうか。
「お前の世辞にも段々と慣れてきたよ、テリー。悪意なんてなくとも口をついて出る難儀な奴だっていうのが分かってきたところだ」
そう愚痴りながら、彼は木箱の中から他の部品を取り出した。ゲートバルブ。牛皮製のホース。レバー式のニードルバルブ。細かい細工物については鍛冶屋でなく、時計屋に材料と共に注文した。そして、運搬用の背負子。これは近場のバザールで購入した、
「それで、テリー。こんなもので何をやろうっていうんだ?」
生来の几帳面さから発条の一本に至るまで丁寧に並べながら、アランはそう問い掛けた。
僕はただ微笑みこう返した。
「至上最高の火吹き芸ですよ」
背後では蒸留塔が汽笛を上げる、残留物の乾留により発生した燃性ガスが弁を押し上げ、工程の終わりを告げていた。
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