017:相違点と共通点

 昏倒から回復した後も訓練は続く。


 彼は本当に徹底的にやるつもりだった。


 僕が踏み込んだ世界がどういうものなのか、痛みによって思い知らせること。望むと望まざるに関わらず、憎しみを覚え容赦を捨てることを僕に刻み込むこと。


 彼はその為だけに行動していた。


 一方の僕に出来ること言えば、彼を満足させて痛みを限界まで少なく済ませることぐらいだ。


 だが、結論から言って仕舞えば、僕はグレースを憎むことも容赦しないことも出来なかった。


 彼の御眼鏡に適うなど、どだい無理な話だった。


 だから、僕は代わりにこう考える事とした。


 目の前にいるのは、とんでもなく毒舌な腹話術人形で、客のウケを狙うなら多少言動を暴力的に変え、事を進める必要がある。

 だから、相手の頭を小突いてもいいし、口の中に爆竹を捩じ込んでもいい。


 そう考えると、幾分か気分はマシになった。顎と眉間、捻じられた腕の鈍痛を別にすれば。


「視点は悪くない。姿勢も悪くない。だが、そんなものは根本的に重要じゃない。分かるか?重要じゃないんだ。大切なのは一つだけ。気概だ」


 独り言のようにグレースはそう言うと、腰に挿していた警棒を抜いた。


 鉄芯に鉛の錘を溶接し、革紐のグリップを巻き付けただけの簡素な武器だ。だが、その分、食らえばどうなるかは容易に想像できる。 


 彼はその棒をまるでナニを致しているかの様な雑な握り方で、大きく振り上げるように構えた。


 パッと見において、それは間抜けのようにしか見えない。


 肘を眼より上に上げ、棍棒が頭や首に隠れるほどに振りかぶっている。大振りも大振り。路端の鳩ですら鼻で笑うであろう鈍重な構えに思える。


 対して、僕は上着を脱いだ。

 

 それによって漫画みたく劇的に強くなれるわけじゃない。だが、少なくとも動きやすくはなるし、何より取れる選択肢が増える。小細工を労する手品道具が一つ増える。


 小手先に頼るなグレースは言ったが、僕は殺し屋でも兵士でもない。腑抜けの手品師だ。

 

 そう思い直し、僕は腕に麻のコートを被せるように引っ掛け、スティレットが隠れるように掲げた。


 今度は此方から仕掛けるのではなく、グレースの攻撃を待ち受ける。


 彼の間抜けな構えは余りにも予測の範疇を逸脱している。

 どういった軌道で獲物を振るうか、まるで予測できない。振りかぶった棍棒の位置エネルギーは袈裟にも横薙にも彼の思いのままに解放できる。


 だから、僕も手の内を隠し、待ち受けた。


 グレースにはそんな浅はかな考えはお見通しのようで、鼻で笑い、煽ってきた。


「とんでもない臆病者だな。たった数回、叩きのめされただけで逃げ癖がついたか?」


 その煽り文句は、彼の表情もあいまり相当な切れ味を有すると共に、タチの悪いブラフでもあった。


 僕が何かを言い返そうと口を開いたその瞬間、必殺の間合いまで踏み込んできたのだ。

 

 棍棒が横薙ぎに僕の鳩尾へ迫る。それを遮るのは薄っぺらい麻のコート一枚だけ。

 

 僕はグレースの腕を巻き取るようにコートを回した。


 だが、そんなことお構いなしに、棍棒は脇腹へ叩き込まれ、鳩尾へ鈍い衝撃が走る。

 

 その場に蹲り、泣きじゃくりたくなる類いの激痛。


 それでも、巻き付けたコートを握り締め耐え忍ぶ。噛み締めた歯が軋みを上げる。それでも僕はグレースの腕を掴んで離さなかった。


 そして、もう片方の手に握りめたスティレットをグレースの首筋へ向け振り下ろした。


 グレースのいかれたニヤケ面が視界を横切った。


 棍棒を握る手とは逆の方から、ラピッドパンチが飛ぶ。


 弾丸の如く僕の手首をグレースの右拳が打ち払い、ナイフは僕の手を逃れ宙を舞う。


 僕に残されたのは、なんの捻りもない頭突きの一撃だけだった。ドーランも仮面も付けず、真っ向からその額をグレースの鼻面に叩き込んだ。


 雌雄の判然としないその淡麗な顔を台無しにしてやる。そのつもりだった。

 

 だが、グレースはコートに腕を繋がれたまま、一歩退き、思い切り僕の腕をコートごと下へと引き込んだ。


 その結果、僕は重力と自分の背筋の全てをこめて地面へと額を叩きつけることになる。

 

 精神的にも酷い苦痛を伴う一撃だった。


 グレースは更にその性悪な笑みを深めながら、腕に巻き付いたコートを剥ぎ取り、地面へ蹲る僕へと放った。


「惜しかったな。最初に披露した狡い手口は気に食わないが、最後の頭突きとその前のナイフの一撃は悪くない。お前にとってアレこそが俺をぶち殺す最善の手段だったと、はっきり伝わったよ。成功したか、否かは重要じゃない。殺すという選択を取れたのが重要なんだ」


 グレースは大きく伸びをしてから、話を続けた。この頃には、僕は額の痛みより、脇腹の鈍い痛みに苦しみ始めていた。骨が折れているとしか思えなかった。


「一つ問題だ。手品と殺し合いの相違点と共通点を一つずつ挙げてみろ」


 それじゃあ問題は実質的に二つじゃないか、という無粋な言葉を僕は飲み込んだ。


 これ以上、痛めつけられるのは勘弁だった。痛み以上の教師はいないと思い知らされつつあった。


 真実とは常に残酷である。


 しかし、現実に嘆くことも許されず僕は痛む脇腹を抑えながら声を捻り出した。


「似ているのは、あ、呆気なさ。違うのは、人を笑わせられるか否か」


 グレースは皮肉げに笑う。


「この後に及んで道化師を気取るのか、テリー。全く笑えるよ。拍手を送りたいが、問題は不正解だ」


 グレースは右に歩く。


「共通点についてはニアピンだが、些か結果論に過ぎる。不意打ちに失敗した後に起こる泥沼の殺し合いより長く感じる時間はない」


 左に歩き、僕を覗き込む。


「そして、相違点については全く当たっていない。悲しいことに、殺し合いというのは当事者以外からすれば最高の娯楽足り得るんだ。恐らく、この先千年間それは変わることはないだろうな」


 僕が不満げにグレースを見上げると楽しそうに言葉を継いだ。


「答えはな、意外性と予定調和の有無だ」


 後に、グレースのその言葉は僕の脳内に深く刻み付けられる事となる。


 とはいえ、それはまた別の話。幸運の車輪祭の間まで僕がひたすらに痛めつけられた末に行き着いた、ある種の極論だ。

 

 その全てを語っていては、僕の胃が焼け爛れてしまうというものである。

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