018:良き友人の条件

 アランの店、79の地下室。作業台を挟むように、僕とアランは向かい合って座っていた。


 机上には一枚の紙。それ以外には何もない。作業台の上は綺麗に整頓され、表面についた傷や薬品のシミが嫌に目立った。


 僕はアランの赤髪の下に隠れた翡翠色の瞳を見据えて言った。


「協力してもらいたいことがある。上手くいけば、お互いの関係をより有意義なものへと変えられるかもしれない」


 僕の希望に満ちた声色に対し、アランの態度はどこまでも冷ややかだった。


「また益体の無い妄言か?俺から提供出来るものなんてこれ以上ないぞ?」


「いや材料が欲しい訳じゃない。今度、僕が出演する祭りの助手を頼みたいんだ」

 

 僕は手品でハンカチを翻す時のように勿体ぶって机上の紙を裏返した。それはヴラドからもらった『幸運の車輪祭』のチラシである。


「何の冗談だ。こいつは、一介の路上芸人が出演できるような代物じゃない。貴族やら大聖人やらがパトロンについてるような一流の芸人達が出場権を争い合う。そういうレベルのイベントだ。確かに、お前は奇術においては最先端いるかもしれないが、経験も名声も金もコネも足りない。実力云々の話じゃないんだよ」


 アランはチラシを僕へ投げ返し、言葉を継いだ。


「何度だって繰り返すが、下手な冗談は止めろ」


 僕は一呼吸おいて、彼に問い返した。


「足りないもの全てを補ってくれるパトロンがいると言ったら?」


「是非、紹介願いたいね。間違いなく、我々の技術を買ってくれるだろうからな」


 僕は微笑み、チラシとは別の羊皮紙を取り出した。


 フライング・パイソン亭にて受け取った悪趣味な書状とは別の契約書だ。

 

 差出人は同じくグレースであるが、血反吐を吐く様な戦闘訓練の褒美として受け取ったものである。憲兵隊と首吊りヴラドの名前は伏せられ、皇家の印籠が押された僕が祭典へ出演できる旨が書かれた契約書だ。

 道具や材料の仕入れに困った際に取引先に提示しろと言われ、渡された代物である。

 

 誇らしげにそれを見せびらかすと、僕は言った。 


「思わぬ幸運に巡り会ったんだよ、アラン。路上で多少派手にやりすぎてしまった所をお偉いさんのお子さんに見られてしまった様でね。いたく僕の事を気に入ったらしく、祭りまでに芸を仕上げれば、取り立ててくれるらしいんだ」


「コイツは皇室の印蝋だぞ。どういうことだ。話が見えない」


 アランは酷く取り乱している。


 それが嘘っぱちだと信じたがっているようだが、この帝都にその印蝋を捏造したがる奴なんていない。バレれば、天下の首吊り人が動き出すのを誰も知っているからだ。だとすれば、それは現実ということになる。

 

 彼からすれば、悪い冗談もいいとこだろう。


「これは皇室からの直々の許可だよ。この祭りの主催は皇室だからね。僕の言う、そのお偉いさんが上手く掛け合ってくれて空手形を切ってもらえたんだ。これは二度と無いチャンスだ。君が言った通り、技術を実演し売り込むのにこれ以上ない大舞台だ。逃す手は無い。何も金を無心してくれだの、保証人になってくれと言ってる訳じゃない。ただ僕と同じ舞台に立って欲しいだけだ」


 酷く顔を顰め、アランは考え込んだ。


 押し黙り、一言も発することなく俯き机を眺める。その瞳には僕の見せた契約書が写っている。


 そして、無煙火薬が乾燥して余りある時間が経った頃、彼は口を開いた。


「無理だ、碌でもないモノに巻き込まれている様な気がする。こんな大舞台に売れ初めて間もないお前が出場するというのが、どれだけイカれたことなのか御前自身、よく分かってるだろ?きな臭くない所を探す方が難しいぐらいだ」


 僕はヒラヒラと契約書を翻して見せる、


「その全てを証明できる書状が目の前にある訳だけど、これをどう説明するんだい?僕には詐欺に掛ける程の資産なんてありはしないし、第一、皇室の印蝋を偽装するような命知らずはいないことぐらいわかってるだろう?」


 それでも声色を変えることなく、アランは食い下がった。


「ああ、その通りだ。だから、困惑してるんだ。俺はこれでも店の経営者だ。一人の錬金術師の視点としてみれば飛び付くしかない行幸かもしれないが、店主としてはそうじゃない。美味い話には裏がある。そうでなきゃ、今頃、万人が平等に幸せになれている筈なんだ」


 アランは僕を見据えてそう言った。


 それが本音でないとすれば、僕は人間不信に陥るだろうというほどの切実さだ。


「じゃあ、こうしよう。君はいつも通り材料を揃えてくれれば良い。僕は、幸運の車輪祭で披露する手品を準備して、そのタネを全て君に教え、実演する。そして、仮にそれに興味を持ってくれたら僕の準備を手伝ってくれ。舞台に立つことは強要しない。ただいつも通りの技術共有に、幸運の車輪祭という目的が加わるだけだ」


 僕はどうだろうという意思を込めて、アランを上目遣いで見た。


 相変わらず顔を顰めている。だが、やがて小さく頷いてくれた。


 多分、頷くまでに掛かった時間は、無煙火薬の乾燥のそれより遥かに短かった。いくら言っても僕が引き下がりそうに無いのと、僕の言う手品のタネに興味を持ってくれた所為なのだろう。


 これは契約成立といって過言じゃなかった。

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