006:まるで天才みたいに

 アランが僕を招き入れたのは店の地下室だった。


 バックヤードから通じる一本の大きな階段を降りた先。店内より一回りほど広い正方形の空間で、店内の刺激臭を数段濃くした様な臭いが地の底で渦巻いていた。


 四方に大きな鉄柱が建てられ、天井には梁の代わりに数え切れない程の鉄や銅の管が張り巡らされ、其々に白い塗料で『真水』、『原油』、『アルコール』などと書き込まれている。


 部屋の中央には巨大な炉が聳えている。


 頭頂部からは天井に向けて煙突が張り出し、その下にはハンドル式の吹子が取り付けられている。その楕円状の炉口は成人男性の胴回り程もあり、その前には魔女の大釜じみた大きさの坩堝が備え付けられている。


 階段から見て右手の壁には、様々な工具が掛けられていた。用途が分からないものも見知ったものも数多くある。


 左手には、頑丈な大理石製の棚が埋め込まれていた。

 店内に置かれていた様な雑多な代物から、前世でも中々お目にかかれない貴重な鉱物が美しく整頓されている。


 そして、御目当ての装置は炉の向こう側に聳えていた。


 簡素な木製のテーブルの隣、それは蒸留機というより、蒸留塔と形容するべき装置であった。


 前世の世界で古くから使われていた様な単式蒸留器よりも複雑かつ高度、現代においても原油の分留に使われているレベルの代物がそこにあった。


「この装置はかなり、その、高度に思えますが、貴方が独自に作り上げたので?それとも、当代の錬金術師の間では一般的なので?」


 オーパーツとしか思えない装置を見せられた僕は息を呑んだ。どれだけ鼻をつく異臭の中であろうと、それは不可避の生理反応である。


 彼は伝説になれる。そう確信させられたのだから。

 

「どうだろうな。錬金術師に限らず、画家だろうが料理人だろうが技術屋というのは、自分の知識をひた隠しにしたがるものだ。お前とは違ってな」


 そう言って、アランは左側の壁に埋め込まれた棚を指差した。


「大方の材料はあそこに揃ってる筈だ。道具が必要なら右のラックから使って良い。看過出来ない事があれば、口頭で止める。後は好きにやれ」


「了解ですとも、教授」


 僕は微笑み作業に取り掛かった。

 

 棚から材料を取り出し、蒸留器横の作業台に運ぶ。

 緑礬と硝石の瓶、蒸留水とラベルが貼られたボトル、木綿を一つまみ。道具ラックからは坩堝鋏と革手袋。摺鉢と擦りこぎ。分厚いガラス皿とビーカーの様な平底容器を二組ずつ。


 因みに、僕が容器と皿を手に取った時、落とすなという無言の圧力をアランから感じた。

 

 アランの御期待通りに最新の注意を払いながら、緑礬と硝石を共に擦り潰し、ビーカー内に注ぎ込む。

 

 配分はかなり大雑把だが、そもそも緑礬や硝石の純度すら怪しい為、気にするだけ無駄に思える。

 

 強いていうなら、緑礬を多めに入れる事だろうか。


 緑礬から生じる硫酸は反応の条件を整える上でかなり多めに必要になってくる。


 それから、蒸留水を入れてよく撹拌する。溶け残りがかなり出てしまうが気にせず蒸留器の大フラスコへ放り込む。


 不純物によって反応が妨げられたなら、その時は生成物の方を何度も蒸留し直せば良いのだ。揮発性物質の貴ぶべき特性と言えるだろう。


 溶液入りのフラスコを火に掛け、蒸留塔へ登り行く水蒸気と揮発性物質を眺める。


 しばし、時間を置く必要があった。


「やっている工程はかなり単純に見える。硫酸と硝酸をつくっているだけじゃないか?」


 アランは訝しげに聞いた。


 実際、彼の懸念は尤もで否定のしようが無い。それだけと云えば、それだけの事なのである。驚嘆すべきことは何もない。水が下に流れるのと何ら変わらない現象でしかない。


「その通りです。私が作りたいのは硫酸と硝酸の混合物。比率は3:1が理想ですね」


「単一の物質だった時と何が変わるんだ?」


「単純に云えば、硫酸によって硝酸がより反応しやすい状態に変わるんです。硝石にも含まれていた爆轟に関わる成分が乖離し、水中で動き回る様になる。そして、酸中に入ってくる物質へ強烈に結び付く。この現象を利用して、此奴を爆薬に変えるんですよ」


 そう言って、僕は木綿の切れ端を振ってみせた。


 現状では、木綿というよりセルロースと呼称する方がTPOに則している気がしなくもない。

 

 話すうちに、蒸留塔の中程に硫酸と硝酸が溜まりきっていた。ゆったりと揺蕩い、彼等の秘める劇的な力を湧き立たせている。


 この世界での化学の大きな一歩かもしれないと考えると感慨深いものがある。それと同時に、受け売りの知識でそれを為してしまう事に、罪悪感も覚える。


 おまけに熱濃硫酸をゴーグル無しで取扱うのは気が引けたが、さりとてそんなモノは持ち合わせていない。

 

 妥協と秀潤の末、僕は蒸留塔のコックを回し、分留された硝酸と薄緑色の硫酸をガラス皿へと満たす。


 そして、木綿を混酸へと慎重に浸す。坩堝鋏で挟んで摘み出し、もう一枚のガラス皿へ移す。沸き立つ水泡が繊維の合間から漏れ出し、ニトロ化の進行がはっきりと分かる。

 

 ニトロセルロース。現代において、TNTと並ぶ汎用性の高い火薬だ。煙と煤をほとんど出さずに燃焼し、その性質を活かして手品のフラッシュペーパーの材料に用いられる。しかし、問題が無いわけでもない。生成した後に徹底的に酸を洗浄しなければ、保存が効かず、変性し安定性を欠くことになる。


 ニトロセルロースも最初は火薬目的に合成されたわけではない。


 ただのよく燃える綿だと考えられていた。だが、何かがただ一つの目的の為だけに機能する事は余りにも少ない。ニトログリセリンですら、火薬の他に強心剤としての側面を併せ持つのである。


 前世における僕は芸人足り得ようとしたが、一人のホームセンター店員でしか無かった。

その事を鑑みると余りこの説を主張するのは気が引けるのだが、

 兎角、物質というのはそういうモノなのである。


 反応の終わった木綿に煮えたぎった蒸留水を掛ける。坩堝鋏で解しながら、残留している酸を洗い流す。


 本来なら洗浄に六十時間を要する事を考えるとほんの気休め程度だが、やらないよりマシである。

 

 後は水から上げてしまい、水を捨てたガラス皿の上に乗せて、引火しない程度に距離を空け炉の前で乾燥させる。


「乾燥させたら完成か?」


 一連の手順を済ませ一息ついたところでアランが声を掛けてきた。僕は坩堝鋏を脇に置き、返答した。


「そうとも言えますが、コレだけで火薬として使うには不十分でしょう。安定性に欠けているというのが主な原因です。火薬に安定なんてお笑い草かもしれませんが、人であれ物であれ癇癪持ちは扱いにくいというものです」


「眼前で炸裂されたらたまったものじゃないからな」


「そこでお好みで混ぜ物をする必要が出てきます。エタノールとエーテルで軟化させ捏ねるもよし。アセトンで溶いてワセリンに練り込むもよし、やり方は作成者の腕の見せ所ですよ」


「ワセリン?アセトン?」


「ワセリンは原油を分留した余り物を脱色したもので、白いベタベタ。アセトンは木材を乾留して出来る便利な溶剤。甘い匂いと水に溶けないモノを溶かせる事が特徴です」


 厳密に言えば、木材の乾留より効果的なアセトンの生産法があるが、かなり上手くやる必要がある。


 高校で習う様な知識であるが、異世界で即座の実践できるかといえば疑問符が付く。


 今の状況ですら、巨大な足の仕組んだが奇跡だとしか思えない。街角を歩いているいたらゲーベルに出くわしましたというのと同義である。


「さて、乾くまで何をしましょう。カードゲームか何かないんですか?」


「暇を潰すのが、お前の仕事じゃないのか大道芸人」


 アランはどうでも良さげに言い捨てた。彼の視線は、ニトロセルロースの欠片から離れ無い。乾燥途中であろうが、一瞬たりとも目を離さないつもりらしい。


「錬金術に面白さが必要ないのはよく分かりますが、余りにも味気がなさすぎますね。製法なら後で紙に書いてお渡ししますから、少しお話ししませんか?共同で作業するならお互いを少しは知るべきだとハワードも言っていましたよ」


 製法を書いた紙というのに食いついてくれたのか、アランは此方に視線を寄越してくれた。


「いいですね。じゃあ、今からちょっとしたミニゲームをしましょう。題して『真実か行動か』。お互いを知る上でこの上無いゲームです。ルールは簡単。順繰りに相手に『真実か行動か』と問い掛け、相手は何れかを選択する。真実なら相手の質問に何でも答える。行動なら、事前に決めた何らかの行動をする。例えば、強い酒を一杯呷るだとか腕立てを5回やるとかです」


「何でも聞いていいのか?」


 アランの死んだ魚の目は一瞬にして潤いを取り戻した。


「勿論、私に答えられる事なら何でも」

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