007:真実か行動か?

 僕は和かに微笑んだ。この世界の常識を取り入れる潜在一遇のチャンスだった。


 未だに、この街のひいてはこの国の名前すら知らないのだ。


「良いだろう。お前にメリットがある様に思えないが、何でも答えるし何でもやろう」


「何でもなんて言葉を易々使うもんじゃないと思いますが、まあそれこそ如何でも良いでしょう。『行動』を宣言した時には…そうですね..」


 頭を捻ったが、酒を飲むのは勘弁だった。また転生できる保証は何処にもないからだ。


「『何か面白い事をする』というので行きましょう。仮に滑ったとしても、それが逆に面白さになるでしょうから、気にせず挑戦してください」


「大道芸人の端くれのお前に有利すぎるかと思うが、何でもするといった手前、拒否は出来ないな」


「それでは、アラン。貴方が先行だ」


 アランは少しだけ沈黙を挟み、それから問い掛けた。話の流れを組み立てているようだ。


「真実か?行動か?」


「真実」


 実の所、『行動』を選びたく思っているが、なけなしのフェア精神と持ちネタの少なさから今回は見送った。


「どうやって御前は錬金術を学んだ?師がいたのか?それとも独学か?」


 国公立大学の理学部であると答えられるなら、どれほど楽な質問だろうか。


 しかし、この世界にどういった学校制度が整っているのか定かではないし、そもそも識字率がどの程度であるかすら怪しい。

 

 ハワードに話したロマンス小説じみた嘘っぱちのプロフィールに更に盛って語る他ないだろう。


「山奥のちっぽけな古屋の中で父に習いました。彼は周囲の村に魔女として迫害をくらい、踊り子兼道化師であった母と共に、山奥に逃げ隠れていたのです。僕が生まれ育ったのはその山小屋の中ですので、錬金術と手品にだけ詳しく常識には疎い奇妙な子供になってしまったという訳です」


 この設定を何処かに書き留めて置く必要があるなと、心に決める。


 嘘をつく上で最も重要なのは一貫性を保つ事である。そして、非を認めない事、それだけだ。


「三文小説の冒頭みたいだな。お前の父親が何処で学んだかは分からないのか?」


「父は遠方の国の留学していたとか何とか。無口な人でしたので、余り詳しくは分かりません」


「そうか、つまり何も分からないという事だけが分かる訳だな」


 アランは困った様に頭を掻いた。雨に濡れたビーグル犬の様なしかめ面を浮かべ、僕に次を促した。


「では問います。真実か?行動か?」


「真実」


 多分、彼は真実しか選ばないだろうなと少しだけ残念に思いながら、用意していた質問を出した。


「今、我々が暮らすこの国に対する貴方の見解を教えて下さい。丁度、貴方が史学者でありレポートを書いているものと仮定して答えて下さると良いです。『アメリカ合衆国。ジョージ・ワシントンにより建国。政治体系は立憲民主制。如何たらこうたら』といった風に」


 最も当たり障りのない質問の仕方で問い掛ける。考えに考えた結果、捻り出した質問内容だった。


「アメリカ合衆国?何処の国だ?第一、それに何の意味がある?私は史学者じゃない、錬金術師だ」


「僕はただ貴方の社会意識を知りたいだけですよ。道化師というのは幾らか政治的な生き物でなくてはならないのでね。いつか錬金術師の政治的見解をネタにする日が来るかもしれない」


 アランはうんざりしながら此方を睨んだが、それほど間を置かず答えてくれた。


「まあいい。何か面白い事をするなんていう無茶振りより幾分かマシだ…」


 そう言って、アランは話を仕切り直した。彼は生来の饒舌ぶりを存分に発揮した。地下室に籠る間に溜め込んだ鬱憤を存分に晴らす様に語った。


「この国の名はディスティニー帝国。今から百五十年ほど前にウォルト・ディスティニーⅠ世が建国した。ある意味では新興国だ。というのも、この国には前身がある。そこを含めると恐ろしく歴史の長い国だ。遡れば、嘘か誠かちっぽけな葡萄園から始まるそうだ。まあ兎角、名も無き小国だったその国は、ばりばりの軍国主義で周辺諸国を食い荒らし、領土拡大に勤しんでいた。そして、絶え間ない戦火の後、停戦条約という概念を知る君主が出てきた。彼こそが、ウォルトだ。彼は国号を替え戦争が生んだ火種をひたすらに消して回った。それ以来、この国は発展を続け今や黄金期を謳歌し続けている」


「政治体系にご不満は?」


「現状は皇帝評議会制で上手くいってる。基本的に皇帝はお飾りで、他国との戦時中か天災の類の場合にだけ強権を発揮できる。ウォルトの死後、俺の知る限りではそれが発揮された前例は知らないがな」


「では、当代の皇帝については?」


「良くもなく、悪くもない。今は三代目だが、その政治手腕がどうとか、性的倒錯がどうのというスキャンダルを聞いたことは無いし、彼が即位して以来、問題らしい問題は起こっていない。つまり何も分からないということだ」


「それで、アランの当世に関する総評は?」


「可もなく不可もなく。世は事もなし。つまり、国家としては最高潮だ。恐らく、此処まで成功した国家は人類史でも他にない」


「随分と好評ですね」


「これだけ景気が良くなけりゃ、錬金術なんて言う代物に投資したがる好事家は絶滅してしまうからな。黄金期様々だ」


「百年続くなら本物かもしれません。では、貴女の番だ。アラン」


「真実か、行動か?」


「真実」


 アランは感慨深げに此方を見つめる。出目の良いスロット台を眺めるギャンブラーのような目付きだ。


 そして、その言い様は質問というより自問のように響いた。


 『777がでさえすれば全て捲れるが、賭ける価値が本当にあるのか?』とかそんな風に。


「お前は本当に非金属から金が作り出せると思ってるのか?」


 錬金術師としての根幹について問い掛けている。

 

 この質問にイエスと答えられなければ、其奴は厳密には錬金術師じゃない。その意味では、僕は錬金術師の端くれと名乗るのも烏滸がましいだろう。


 しかし、コレは真実か行動かである。嘘はつけない。少なくとも、汚い嘘は。


「僕の知る限りにおいては不可能でしょうね。冶金を繰り返したところで、合金が生まれるだけだ。純粋な金が生まれる筈がない」


「理由を聞いても?」


 僕は少しだけ考えた。


 どの言葉を使うべきか?


 デカい足の神様に教えてもらった異世界の単語の中に電子なんて概念を冠する言葉はない。アセトンやワセリンの様に端的に伝えられる概念でも無い。


 パラダイムが数段異なる考え方なのだ。


「我々が金を手にする方法はもっぱら鉱石からの精錬です。金鉱石から余計なものを取っ払い、金だけを抽出する行為です。このことが示すのは、金が単一の物質であるということ。何かと何かを混ぜ合わせて出来るものじゃない。錬金術でよくある様な冶金で金を生み出すことを試みるなら、その前に金を別の物質へ分解する方法を探るべきだ。そうすれば、答えを逆算できますから、よっぽど効率が良い」


 僕はそこで話を区切り、肩をすくめた。


「しかし、僕たちは単一の卑金属から別の単一の卑金属を生み出すことも、精錬しきった銅を別の物質に分解することすら出来ていません。あれほど完璧な物質である金でそれが叶うと、どうして言えるでしょうか?」


「別のアプローチを取る必要があると?」


「そうですね。よっぽど思い切った手を打つ必要があるでしょう…」


 核融合とか、と言いかけたが必死に喉奥で留めた。下手をすれば、オッペン・ハイマ—をこの世界に産み落とす引き金になるやもしれない。


 本物の天才を目の前にした場合には特に気を使うべきだ。


「錬金術師としては恥ずかしいが、私もおおよそ同意見だ。一つ違うのは、金の生成を諦めきれていないことだけだ」


 アランは自重気味に微笑む。

 その様はアリストテレスが研究者という存在を粘土を捏ねて造形すれば彼のようになるだろうと思わせた。


「次は君の番だが、先に言わせてもらうと私の返答は『真実』だ。手間は省こう」


「手間じゃなくて、様式美と言って欲しいですね。しかし、もうそろそろ乾燥が終わるのも事実。そして、質問もシンプル。この店の看板に書かれた『79』とはどういう意味でしょうか?」


 アランの顔付きが変わった。


 目尻に皺がより、弧を描いていた唇は一文字に結ばれた。何か琴線に触れるものが有ったのか、話の流れからこの質問を予測していたのかは分からない。


「文字通りに79番目という意味だ。それ以下でもそれ以上でもない」


「何の順列において何が79番目なので?」


「万物における我々が欲して止まないものの番号だ」


 僕はそこまで聞いて、一旦大きく息をついた。


 ああ最悪なのか最高なのか。彼は本物だ。本に残せば、一千年後でもその名が残るだろう。


 さようなら、メンデレーエフ。こんにちは、アラン・ディーヴァー。そういうわけだ。


「ああ確かに。ひょっとすると、その順列というのはこういう感じじゃありませんか?」


 そう言って、僕は懐かしの元素表を水素から順に暗唱してみせた。


 暗記は僕の数少ない特技の一つだった。

 どれだけ下らない事でも脳味噌の何処を開ければ出てくるのか分かってしまう。例え、それが嫌な思い出でもずっとそこにあり続ける。


 思考を元素表に向け、その傍らで乾燥しきったニトロセルロースの綿を摘みとり、端を少し撚った後に丸めた羊皮紙に詰め込む。


 羊皮紙には予め切れ込みを入れ、巻いた状態で固定できる様、手を加えてある。


 端を撚ったのは導火線代わりにする為だ。


 炸裂の実験に必要だと最初から踏んでいたからこその仕込みだった。

 

 僕の暗唱が終わる頃には、アランは血相を変えて僕を見つめていた。


 多分、その蒼白っぷりは、デカい足の神様にお目に掛かった時の僕よりは幾分かマシという程度だった。


「お前は何処まで知っている。お前は何だ?」


 彼は、後に首吊りヴラドがする事になる質問と同様のものを僕に投げ掛けた。


 的を得ず、B級映画のエイリアンかモンスターに向かって主人公がするのと同じ様に、彼らは僕に問い掛けるのである。


「それがこのゲームの次の質問というなら、僕は真実より行動を選ぶでしょうね」


 僕は微笑みながら、ニトロセルロースへ着火し、ガラス皿の上へ放った。


 導火線は瞬く間に焼き切れ、羊皮紙の爆竹は皿に着地する寸前で炸裂した。


 その音ときたら、海外製のイかれた爆竹並。70年代に米国で流行した安全など度外視のチェリーボムといった類の玩具だ。


 少しばかりの後悔と共に僕は用意していた口上を述べた。


「如何です、面白いでしょう?」


 爆発で千切れ飛んだ羊皮紙を披露する。

 分厚い羊皮紙は辛うじてその体面を保持している様に見えたが、神が書いてよこした啓示は跡形も無く焼き切れている。


 誇らしげな僕とは反対に、アランは悪い冗談に出くわしたとでも言うように身を震わせた。


 それから、彼は大きな溜息を吐いた。


「そうだ。全くその通りだ。我々が何者かであるかなんて些細な事だ。肝要なことは一つだけ。今、目の前で何が起こっているのか、それだけだ」


 彼はそう呟き目に掛かった赤髪を選り分けた。翡翠色をしたその瞳を曝け出した。


「確かに面白いな、テリー。最早、愉快ですらある。威力は十二分。若干、早発な嫌いはあるが発火点も悪くない。目分量で適当に調合している様に見えたが、君の行った操作で大きな失敗を犯した形跡もない」


 その瞳で僕を真っ直ぐに捉え、言葉を継いだ。


「後は発煙と煤の有無だけだ。羊皮紙無しで試してみよう」


 僕は微笑み、快諾した。そこから先は実験の連続だ。


 最適な混酸の合成法、木綿の洗浄法、発火に用いたオイルライターの構造。そして、79の巡列について。


 未だ空白だらけのその表は彼が執念の力によって、知り得る物質を細分化し、同じ性質を持つもの同士を縦横に並ぶ様に組み立てたものだった。


 かつてのロシアにてメンデレーエフがそうした様に。

 

 その談笑と実験は次の日の朝まで続き、未だ大道芸の準備が遅々として進んでいない事に気づくのは、79の重い扉を開け朝日を浴びたその時だった。


 案件の思い過ごし、レポートの未提出、数えきれない程味わってきたその感覚を必死に耐え忍びながら、地下室から上がって来たばかりのアランへ大声で問い掛けた。


「何日後に、注文の品は準備出来ます⁈」


 バックヤードからは枯れかけた彼の声が聞こえて来た。


「2日後」

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