005:79の謎

 さて、物事には先立つモノがいる。


 例え、それが音楽であろうと楽器がいるし、飲食なら材料とそれを調理する設備が必要で、手品に関してもそれは変わらない。


 それに、手品の場合、人の目を引く必要があることも鑑みると、それはなおさら顕著になってくる。


 というわけで、僕はハワードに紹介してもらった店を訪れた。


 大通りから数本外れた所にある一階建ての奇妙な建物。頑強な石煉瓦と銅瓦製の深緑色をした屋根。鉄格子の窓と絶え間なく白煙を吐き出す煙突。


 ビス止めされた真鍮製の看板には『79』と刻印されている。


 それが店名だということをハワードに聞かされていたが、それが何かの暗号なのか、将又、此処の店長のラッキーナンバーなのかは分からないらしい。


 その由来について思い当たることが無いわけではなかったが、そんなことはありえないと端から割り切れるような妄想だった。


 僕は重い鉄格子の扉を開け、中に入った。

 

 部屋は16畳程の長方形。其処に木棚が50㎝程の間隔で正確無比に並べ立てられていた。棚には所狭しと小瓶や壺がラベル付きで置かれている。


 部屋中にホームセンターの塗料売り場じみた刺激臭が渦巻いていた。


 棚の奥には、申し訳程度の簡素なカウンターが置かれている。

 残念なことに、誰もそこにはいない。呼び鈴か何かないかと探してみたが、在るのは荒い紙でできた分厚い冊子と鋳鉄のペン、インク壺だけ。


 大声で呼んで見ようかと思ったが、下手をすれば摘まみだされそうだったので暫く待ってみることにした。


 棚に置かれた小瓶や壺はどれも陶器製か銅製で硝子製の容器は存在しない。


 ラベルには石灰や食塩。珪砂。木炭。といったありきたりな代物から、ミョウバン、重晶石、孔雀石、輝蒼鉛鉱などの鉱物の名前が書かれている。

 

 此処は何の店かという疑問が浮かぶラインナップ。


 ハワードから聞き及んだその答えは皆大好き、中世のロマンと妄想と理性の全てが詰め込まれた唯一無二の概念。


 錬金術の店である。


 あのニュートンだって大好きだったのだから、この世界にも似たようなものが有るだろうと踏んで、聞いてみたわけだ。

 

 この様子だとかなり期待できそうな予感がした。


 そして、機嫌よく緑礬と書かれた白磁の壺を取り上げ、微笑んだ。その時だった。



「客だというなら、その壺を元に戻せ」


 背筋に冷たい金属が触れるのを感じた。ナイフか錐かそれに類する凶器である事は何となく分かった。


 笑えない冗談のようにも思えたが、そもそもこの世界にいること自体が爆笑ものの現実だったため、素直に壺を棚へと戻した。


 そのまま両手を上げ、勇気を振り絞り背後を振り返る。

 

 其処には翡翠色のローブを着た長髪の青年が佇んでいた。

 板バネ式の風変わりな弩銃を構え、此方をインクの染みでも眺めるかのような目付きで眺めている。

 

 目の覚める様な赤毛は目に掛かる程に無造作に伸びており、薄暗い部屋の中では少し浮いて見える。


 その下から、隈だらけの淡緑色の眼が覗き、幸薄そうなしかめ面を浮かべていた。


 日に当たっていない肌は青白く、傷も皺もない。形のいい目鼻立ちを合わせると精巧な洋人形を想起させた。身長は僕の1.3倍程あったが、痩せぎすで体重は恐らく僕より少ない。

 おかげで翡翠色のローブはぶかぶかで、青白く長い首筋がさらけ出されている。


「お客ですとも、アラン・ディーヴァーさん。僕は取引をしにきたのです」


 僕は出来る限り落ちついて、事実だけを淡々と述べた。ハワードから聞いた店主の名前も口に出した。


「此処は料亭でも賭場でもないぞ。餓鬼の来るところじゃない。それにどうして私の名を知っている?」


 弩銃の鏃が僕の胸元に迫る。

 その鏃は刺されば容易く抜けないよう鋸状に削られ、卑劣な改造が施されている。


 僕は怖気を振り払いながら、言葉を継いだ。


「ハワード・ウェルズの紹介です。それに餓鬼じゃありません。れっきとした錬金術師の端くれ、テリー・グレアムです」


 正しく言えば、ホームセンターの元店員で危険物取扱免許の甲種を持っているだけだが、そこまでの嘘は言っていない筈だ。


 とは言っても、アランがそんなことを知る訳もなく、更にその目つきを鋭いものへと変え弩銃を更に突き付けた。


「勘弁して下さいよ、店長。ほら、さっき僕が手に取った緑磐は乾留すれば硫酸と赤い塗料のベンガラが精製されるでしょう?他にも此処にあるもので色んな事が出来ますよ。例えば…」


 僕はそれから大学で学んだことやら免許の試験勉強の時に暗記してきた内容を、神へ懺悔する罪人のように並べ立てた。


 ベンゼンの気化温度。管理方法。石炭の乾留方法。硝酸と発煙硝酸の違い。二酸化鉛の合成法。Etc…


 人間、危機に直面すると反復練習したことしか思い浮かばないものだ。そして、止めたくても止まれない。そういうものだ。



「もういい、分かった。一部しか理解できなかったが、お前が良く勉強してきたことはよく分かった。だから、がなるのを止めろ!」


 アランの真摯な叫び。大声を出すのに慣れていないのか、言い切ったのちに酷く咳き込んだ。


 一方の僕は、心底驚いて一瞬のうちに我に返ってマジレスした。


「大声は近所迷惑ですよ」


「お前は道化なのか、錬金術師なのか。どっちなんだ!?」


 アランは起こっている様だったが、弩銃の照準はすでに僕から背けられていた。おかげで、安心して僕は返答することが出来たわけだ。


「その二つが両立できない法則は存在しませんよ。アランさん。硫酸と石灰が共存できないのとは訳がちがうんです」


 それを聞いたアランはうんざりしたように頭を抱え、綺麗な赤髪を手で掻き上げた。弩銃の矢を外し、板バネの力を開放し、懐へしまう。困り果てた目付きで僕の方をちらりと見やった後、白魚のようなその指でカウンターの方へ手招きした。


 少なくとも、商談のテーブルには載ってくれる様だった。


 カウンター裏のスツールに腰掛けたアランは僕に問いかけた。


「それで、何を買う。それとも、何か売りたいものでも?」


 酷く無頓着にアランは言った。


 僕は、精一杯彼の気を引こうと笑顔を浮かべ、カウンターの方へと歩み寄る。


「どちらもです。アランさん。硝石と緑礬が欲しい。対して、僕が提供できるのはコレと幾らかの知識です」


 そう言って、僕はカウンターの上にごとりとビール瓶を置いて見せた。


 アランはそれを手に取り、興味深げに眺めまわし、指先でなぞり小突いた。


「こんな上等のガラス何処からの容器どこで手に入れた?脆くも無く茶色の色刷りで恐ろしく薄手だ」


 アランの空き瓶を見つめる視線は、弩銃を僕に突きつけた時よりも数段行き来としていた。僕の来店は空き瓶以下という事でもある。


「森の奥の川に水を汲みに行った時に見つけたんですよ。川原の石を叩き割り、エメラルドの原石を手に入れるみたいに」


「つまり、偶然の産物だと?」


「川上で豪商の馬車でも横転したんじゃない無いですか?何にせよ、川で魚の巣になっているよりは、この店で劇物の容器として使われる方が生産的であるのは間違いない筈です」


 この店で陳列されている容器に硝子製品は見当たらない。劇物の保存に硝子は不可欠にも関わらずだ。


 それが指し示すことは、硝子容器が高価であるか、希少であるか、その両方であるという事だ。


 硝子の製造には高温の炉が要る。恐らくこの国でも珍しいのは間違いない。


 その予想は上手く的中しているようだ。


「言い値は?」


 アランがそう聞いた。研究者というより商人の言い口。錬金術という疑似科学の走りを生業にするには、理想を度外視するのも必要なのだろう。

 

 僕もそれに倣い、至って真面目な表情でポケットから木切れを取り出し、アランに渡す。


 そこには木炭で欲しいものが箇条書きしてある。


 『緑礬、硝石、硫黄、木綿、真鍮、鉛、錫、羊皮紙か出来るならパルプ紙。厚手の革手袋と陶器のフラスコを数本』


「これで全部か?材料の分量にもよるが、随分と安上がりに見えるな」


 僕は微笑み、何でもないことのように言った。


「貴方が錬金術師として有している“設備”を貸して欲しい。多分この店の中にあるんでしょう?不自然な程の白煙が煙突から立ち上っていましたから」


 アランは一瞬にして剣幕を張り詰め、憤った。


「駄目だ。それは私の人生を差し出せというのと同義だ」


「何も寄越せと言っている訳じゃないでしょう。それに、貴方の人生は知識によって成り立っているのであって、坩堝や蒸留器によって形作られている訳でもない。貴方の人生は其処まで薄っぺらいものではないはずです」


 今、僕は何度『ない』と繰り返しただろう。


 少しだけうんざりしたが、アランも否定が大好きなのか似たように返してきた。


「お前が言っていることを否定は出来ない。確かに本質は知識だ。その観点においては私の損はそれほど多くないかもしれない。だが、どれほど精巧なガラス瓶だろうと私が十数年かけて組み上げた設備を貸してやる訳にはいかない。分かるか?川原でエメラルドの原石を拾うのと、手探りで蒸留器を組み上げるのは話が違う。これは理性じゃなく、感情の問題だ」


 アランははっきりとそう言い切った。


 その言動にば彼の意地が込められている。おまけにある種の狂気すら感じる眼光だ。


 それでも、僕には引き下がる気にはならなかった。端から、瓶一本で事が済むなど考えていなかった。


「貴方の気持ちもよく分かる。たまたま見つけた瓶の一本で貴方の努力の結晶を貸してもらうのは道理に適ってない。それなら、それに見合うだけ代償を僕も払う」


 アランは僕を睨み付け、回答を急いた。


 気難しさの滲みだすジト目に気圧されそうになるが、僕は平静を装い用意していた台詞を吐いた。


「『本質は知識だ。』貴方は確かにはっきりとそう言った。なら、僕が貴方に提供できる最高の代償は僕の知識のはず。金を生み出すなんて大層な知識は持ち合わせて無いが、使い方では計り知れない価値を持ち得る知識を譲りたいと思う。この場でそれを実践させてくれ、それを見てから判断してくれていい」


 実の所、その知識も受け売りだが、細かいことは良いだろう。世の中何でも実利である。


「具体的には?」


 食い付いてくれた事に感謝しつつ、僕は話を続けた。


「先ずは前提の話です。黒色火薬は知っていますか?」


 その問いにアランは淡々と答える。


「質問を質問で返すのは感心しないが、答えは一つだ。知っている。硝石と硫黄と炭の混合物だ。大量の煙と共に急激に燃焼し、容器の類に詰めてやれば爆轟を生じさせる事も出来る」


「その通り。それを使えば、鉱山の分厚い岩盤もぶち抜く事が出来る。戦争に上手く転用できれば、剣で斬り槍で突くより遥かに手早く敵を肉塊に変えられる。そういう代物だ。錬金術が齎した唯一無二の快挙です」


「詐欺師の手口だな。問題点を徹底的に目立たない様に隠蔽する御決まりのヤツだ。黒色火薬は戦闘に使うにせよ、岩盤用の発破に使うにせよ、多大な欠陥を抱えてる。その事を度外視するのは頂けないな」


「隠し立てするつもりは無い。言わんとするのは、燃焼に伴う大量の発煙ですね?」


「やけに素直だな。だが、全くもってその通りだ。戦闘では視界を遮り過ぎ、鉱山で使えばカナリアが全員くたばる事になるし、煙が抜け切るまで鉱山は閉鎖だ。攻城戦にはある程度有効かもしれないが、今は戦乱が収まりきっている。黒色火薬の展望は自らの発する煙のせいで何処までも真っ黒だ」


「なら、煙の無い火薬を作れるなら?」


「色々とやりようは増えるだろう。大忙しの鉱山監督官にも売り込めるだろうし、暇してカード遊びをしてる将軍の尻を上げさせる事すら出来るかもしれない。それで、お前はその火薬の製法を知ってると?」


「そういう事です」


「此処にあるもので作れるのか?」


 そう言って、先ほど渡した木切れを振って見せるアラン。


「関係のない材料も多く含まれてますが、その中のものだけで作れます。しかし、蒸留装置がいる。それもガラス製の精巧なやつが」


「材料を揃え、設備を貸してやれば、それを実演してくれると?」


「勿論、契約にご承諾頂ければ直ぐにでも」


 僕はホームセンターでいつもクレーマー相手に浮かべていた類の笑みと共に、これ以上ない愛想を込めて、その定型句を口にした。


 一方のアランは、面倒くさい客と異なり至極真剣な表情で真面目に検討している。


 働き甲斐のある状況であると同時に、これまで接客して来た神を騙る悪客へ拳を叩き付けざるおえない心境であった。

 

 僕がそんなくだらない事をしている間に、アランは意を決した様にカウンターに置かれていた冊子からパルプ紙を引き千切った。


 そして、彼は鋳鉄のペンを手に取り、凄じい速度で文面をしたためた。


『1. テリーグレアムが必要とする商品を仕入れ、提供する義務を79は負う。但し、其れ等を用いる行為、生じる事象、それによる諸問題についてテリー・グレアムは事前に説明する責任を負う。』

『2. テリー・グレアムは79の許可の元、店内に備わる設備を使う権利を得る。但し、其れ等を用いる行為、生じる事象、問題についてテリー・グレアムは事前に説明する責任を負う。』

『3. テリー・グレアムは79の元に行われる諸実験に協力する義務を負い、79もまた同様の義務を負う。其々の報酬については店主アラン・ディーヴァーとの合議の元に決定される』

 

 凡そ、内容はその様な感じだった。


 違うのは、この国に存在する諸々の法律について注釈が恐ろしく細かく付け加えられている事ぐらいである。


 錬金術には如何やら法学の学位も必要になってくるらしい。

 

「これで良いなら、今すぐにサインしろ」


 そう言ってアランは鋳鉄のペンを僕に差し出す。


 かなり色を付けてくれているのはよく分かったが、譲れない事が一つだけあった。


「これで結構ですが、一つだけ付け加えさせて下さい」


「何だ?」


「共同研究によって生じた成果は双方の同意無く、口外しない。というのは如何です?」


 アランは押し黙り、やがて口を開いた。


「それについてはワザと外していた条項だった。理由は単純。お前がその類の条項を遵守し得ないと踏んだからだ。惜しげもなく火薬の製法を漏らそうとしてるお前に、それが出来る道理は無い」


 アランはそう言いながらも、同様の条項を文面の最下に付け加え、ペンを渡してくれた。ごもっともな忠告を付け加えて。


「自分で付け加えたんだ。責任を持て、そうすれば私もまた同様にそうする」


 僕は微笑み冗談めかして言った。


「ご安心ください。大道芸人というのは、手品のタネが割れると食いっぱぐれてしまいますから…」

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