003:Mr. NoBodyによる滑らない身の上話

 全く持って、的を得ない質問だ。


 「お前は何だ?」と問われた所で、さて何処から話すべきだろうか?


 1999年10月10日。埼玉生まれ.名前は森田歓史.24歳。職業はホームセンター店員で副業に動画の配信を行っていた。


 いや、副業というのは止めよう。どれほど真摯に向き合うとも、それが趣味の域を越えることは最後までなかったのだ。

 

 とはいえ、それほど悪い生活じゃなかったと思う。

  日々の労働の中で生まれた様々な思いつきをネタとして形にし、カメラの前で実行し、それで自己満足とコンビニ飯一食分程の報酬を手にする。

 

 子供の頃、夢見ていた芸人生活とはかけ離れていたにせよ、小市民らしい幸せを手にしていたことは間違い無かった。


 しかし、僕が今いる此処は日本じゃないし、ましてや地球ですらない。


 有り体に言えば、此処は異世界だ。そう、みんな大好き異世界である、お決まりの転生モノである。


 なら、さっさと僕の死因を答えろって?


 まあ、そう焦るべきじゃない。結局のところ、元の世界で僕が死に、今いる異世界に転生させられたという事実には変わりない訳だ.

 

 トラックに轢かれようが、通り魔に刺されようが、そこにこれっぽっちも差なんてない。


 断じて、ビールの一気飲み企画で肝臓に無理を言わせ過ぎて急性アルコール中毒でおっ死んだというのが、恥ずかしすぎるというのでは決して無いのである。


 兎角、僕が気を失いそれから目を覚ました時には、お決まり通りに真っ白な空間にいて目の前に神様がいた訳だ.


「初めまして。私、神様」


 眼前に浮かぶ自称神様はそう言った。


 その姿は中に浮かぶ馬鹿でかい人の右足だった。


 OMG。デカ過ぎて足しか見えなかったのでは?

 

 そうかもしれない。


 なんにせよ結局のところ、本当のところは分からない。足首以上は掠れて見えないし、左足もまた見える範囲にはいなかったのだから.

 

 僕はビールの飲み過ぎとラノベの見過ぎで、長い幻覚を見ているのかと思った。


 けれど、幻覚だって楽しいに越したことはないと考えて、意気揚々とその幻聴に返答した。


「こんにちは神様.僕は死んだのですか?」


 神様は親指の爪の間あたりから声を出した。


「そだね。そうとも言えるね。君は、ビールの飲み過ぎのせいで血中アルコール濃度が閾値を飛び越え、脳の血管がブチギレ、意識を飛ばした。完璧に、ド派手にゲロを吐き、それで喉を詰まらせ窒息死した。哀れな元ホームセンター店員兼元動画配信者だ」


 僕は思わず感嘆した。否定のしようが無かった。


「わお、全く完璧な証明だ.それで僕は地獄行きですか天国行きですか?」


「異世界行きだね.最近、流行ってるらしいしさ」


 話はそれで終わり、次の瞬間には目の前は真っ暗だ。オチは何処だと右足野郎に問い詰めたかったが、それは叶わなかった。


 かくして、僕が次に目を覚ました時には今いるこの世界にいた.


 人通りの少ない路地裏で、側には水の詰まった雨樽が置いてあったのを覚えている。


 背格好は以前よりだいぶ縮んでいた。樽の水面に映った自分の姿は、僕が芸人を志した高校二年生の頃まで巻き戻っていた。


 服装は酒に溺れた時と同様のシャツとズボン吊り付きスラックス姿。当時から背丈が変わってないという事実に悲しみを覚える。

 

 僕はやるせない気持ちを抑え、ポケットを確認した。


 その中には、お気に入りのジッポライター、死因となったであろうバドワイザーのビール瓶。そして、くしゃくしゃに丸められ何かが詰め込まれている一枚の羊皮紙が入っていた。


 勿論、羊皮紙に見覚えなんて無い。


 僕にはアンティーク趣味もそれを実現する資金力も無かったのだから、当然の話だ。


 一も二もなく、それを開いてみた。

 中から三枚の銀貨が羊皮紙の中から現れ、羊皮紙の裏面には相当な文量の見覚えのない文字が書かれているのに気付いた。


 平仮名でも、漢字でもない何処かアルファベットに類似したその文字。当然、一度目を通したところで何も分かりはしなかった。


 だが、一度、瞬きをするとその意味が不思議と理解できてしまった。


 その感覚をどう表現するべきだろうか。


 自分自身の思考が、読んだことも聴いたこともない言語によって再構成されていく。その最中、脳の毛細血管が胎動し、眼球が煮えたぎる。筆舌に尽くしがたい気色悪さと激痛。そして、


 余韻の様に残る二日酔いじみた鈍痛。その苦難の末に、理解できた内容は以下の通り。


『私は神。これを読んでいる今ごろ、君は本当に転生したことに薄々勘づいているだろう。普通なら、此処で素晴らしい特典チートスキルのお披露目というところなんだろうけど、困ったことにこの世界はRPGゲームライクじゃない。中世レベルの文明でただ人々が暮らしてるだけに過ぎない。特典代わりと言っては何だが、君の脳みそを少し弄ってこの世界風に書き換えておいた。一種のロボトミーだと考えてくれて良い。

 これで君の今いる国の言語は読めるし、話せる。あと、原子番号47番でできたこの国の通貨も同封しておいた。これですぐに野垂れ死ぬこともないはずだ。

 君は自由だ。好きに生きていいし、好きに死んでいい。』


 そして、最後にこう書き加えられていた。


『追伸:多分、次は無い』


 次というのが何を指すのか真実を知る術はなかったが、察するのは容易だった。


 つまり、僕はただの人間だということだ。死は一度だけである。


 その結論に至ってから、一時間程、路地の壁際に寄り掛かっていた。

 空はよく晴れていて、真っ昼間だというのに天頂には大きな衛星の姿が浮かんでいた。月のようにも見えたが、その表面には歯形のような斑が浮かんでおり、全身全霊で此処が地球でないことを主張していた。


 それから、夢が覚める事もなく状況が好転するわけでも無い事に気づき、足を動かす気になったのは、空腹というあまりにも俗っぽい動機からだった。


 通りに出れば、煉瓦と木製の美しい街並みが広がっており、それなりの人通りがあった。

 

 上下水道が配備されているのか、路上の石畳に糞尿が撒き散っているという事もない。


 通り掛かる人種は多種多様でWASPもいればモンゴリアンだってアフリカンだって誰だっていた。(この世界でそういう概念が存在するかは知らない)

 多くの人々は亜麻製のように見えるそれこそ中世風の服飾に身を包んで通りを歩いていたが、中には民族衣装じみたものや胡乱な占い師じみた者、板金鎧を着込んだ者すら混じっている。

 

 その光景には、海外のコミケ会場が脳裏にチラついた。


 僕は暫く散策し、持って生まれた嗅覚と、今し方ロボトミー手術を経て改良された言語野の機能で持って、一軒の酒場を探し当てた。


 その名もフライング・パイソン亭。


 勿論、原文では似てもつかない字面をしているが、文意的には間違っていない。


 看板にも、背中に羽を生やした牛科の動物が模どられている。赤煉瓦と黒いニスの潤沢に塗られた木材で建てられた二階建ての酒場だ。一階は酒場で二階は宿屋という構成だということが見てとれた。

 

 僕が重い木製の扉を押し開け中に入ると、天窓からの彩光と釜戸の火が織りなす温和な空間が広がっていた。


 木製の5人掛けバーカウンターとスツール。四人掛けのラウンドテーブルが四台。石畳の床の上に並べられている。吹き抜けになった天井からは、牛の頭骨が三つ組み合わされたランタンが吊るされている。

 

 昼下がりという事もあって、店内は空いていた。


 カウンターの端の方に座り込む飲んだくれの他には、空いたジョッキを盥で洗う店員が一人いるばかりである。それでも、キッチンの方からは肉の焼ける良い匂いと古いビール特有の酸っぱい匂いが香ってきていた。

 

 僕は静かに扉を閉めると、カウンターの方へ歩いて行き、着席した。


「折り入って話があるんですが…」


 バイトの面接にきた学生のような声色で男性店員に声を掛けた。


 店員は壮健な初老の男であり、山羊髭を生やし太い二の腕には牛の頭骨を模した刺青を彫っていたが、しわの寄ったその垂れ目には年功により染み出した慈愛と大型動物の様な雄壮さが溢れていた。

  

 店員は少し困ったように笑い、エプロンの裾で手を拭った後、カウンターの方へ歩み寄った。


「いらっしゃい。生憎、今は料理のほとんどが品切れだよ」


 店員はゆっくりとそういった。低く分厚い声だ。


「ありあわせでいいんです。お代はこれで」


 これ以上なく申し訳無さそうに僕は銀貨を押しやった。


 銀貨には天秤の意匠が施されていて、貴金属としても、工芸品としても確かな価値があるように思われたが、その相場がいくらであるかは全く検討がついていなかった。

 

 しかし、足りなければどうしようという不安は杞憂に終わった。

 

 店員はキツネに化かされたように目を丸くし、それを手に取り、指でピンと弾いた。こ気味いい金属音が鳴り、さらにその目は丸くなった。


「お前さん、こいつを何処で?」


「母の遺品です。先日、他界しまして」


 ありきたりな嘘をついたが、罪悪感の持ちようが無かった。


 デカい空飛ぶ右足が選別にくれたという真実を語るよりも、よっぽどマシなのだ。


「そいつは気の毒だが、こいつ一枚でこの店の一月分の料理が総て平らげられちまう。俺には、お前さんがそこまでの大食漢には到底見えない」


 素晴らしい。思わず笑みが溢れる。

 

 何も言わずとも、彼は相場を口にしてくれた。これ以上ない行幸だ。


 彼に詐欺師の才能は無いかもしれないが、人好きのする酒場の店員としてはこれ以上ないと確信させされた。


「折り入った話というのは丁度、そこでしてね。僕は今宿無しなんです。此処は宿屋も兼業しているとお見受けしますが、その銀貨で一月程、此処に泊まらせては頂けませんか?出来れば、余物で構いませんので食事付きで」


「構いやしないが、それでも値段としてはかなり高く付いてる部類だと思うがな」


 肩を竦めながら、店員は大釜からスープを木のボウルへと注いだ。


「それなら、此処で雇って頂くというオプションを付けてくれるというのはどうですか?僕はこの街にまるで慣れちゃいませんし、常識だって無いに等しいんですよ。ずっと森の奥の小屋の中で母と二人で暮らしてましたので…」


 お涙頂戴の物語を頭の中ででっちあげながら、僕は頼み込んだ。衣食住と労働環境が一挙に手に入るチャンスだった。これを逃す手はなかった。

 

 店員は思案する様に鼻を鳴らす。片手間で馬鹿でかい黒パンに鋸じみたパンナイフの刃を入れた。


 しばらくがりがりとパンを削って2切れ程切り取り終えると、溢れたパン屑を端に寄せ、一枚の素焼きの大皿に乗せる。


 そして、麻の小袋から干し葡萄をひとつまみ取り出して、パンの側に盛ってくれた。


 僕は大皿と木のボウルを受け取り、会釈をするとボウルに挿さった木匙を手に取った。


 スープは葉物野菜と瓜、燻製肉の切り身が入ったポトフの様な品であり、温かく優しい味がした。岩塩の塩気と瓜の味わい深い甘さが上手く調和していた。

 黒パンに関しては、見た目通り硬く、それでいて酢のような酸味があったが、スープにつけて食べればそこまで悲嘆するものでも無かった。それに、干し葡萄は期待にそぐわぬ甘味を提供してくれた。


 思わず、満面の笑みが溢れた。人はいつだって腹は減るし、それを満たせればいつだって幸せになれる単純な生き物なのだと思い知らされた。

 

 店員はそんな僕を傍目にパンナイフや鍋用の大匙を片づけ終えて、こう言った。


「今の所、人手が足りて無いって訳じゃないんだ。それに関しては応相談という所だな。飯を食べ終わってから、面接と行こうじゃないか。何はともあれ。もう少しお互いに詳しくなるべきだ。一緒に働くってのはつまりそういう事だからな」


 店員はニヤリと笑いその大きな掌を差し出した。


 握手という文化は異世界であろうと共通のようで、人間手があれば握り合いたくなるものなのだろうかと、少しだけ不思議に思う。


 とはいえ、格式だとか型式だとかいう気休め以上の何かが握手に秘められているのは間違いない。


「ハワード・ウェルズだ。お前さんが少なくとも一月は世話になるこのパイソン亭の店主。他にもう一人だけ店員がいるんだが、今は非番でね。そいつ共々、宜しく頼むよ」


 ハワードがそう言い切った後も、僕は握手を返すのに少々時間を要した。その手を打ち払ったらどんな表情を浮かべるのかと魔が差した訳じゃない。


 自分の名前について考えていたのだ。


 此処で前世の住民票に載っていた森田歓史という本名を名乗ったら、奇異の目で見られる事請け合いである。


 店主が何処ぞのSF作家の様な名前を語った事を鑑みれば、此方もそれに倣うのが得策の様に思われた。

 

 そして咄嗟に思い付いた名前は、自分が最も敬愛する二人のコメディアン名を組み合わせた至極安直なものだった。


「テリー・グレアム。17歳で特技は…手品です」


 そう言って、彼の手を握り返した。軽く振って手を離した。


 それから少しの沈黙が流れる。


 僕は少し気まずくなり、前振りもなくハワードに掌を広げてみせた。


 勿論、其処には何も無い。傷一つない生っ白い皮膚が広がるだけだ。


 だが、一度手を引き戻し、もう一度開いて見せれば鷹の意匠が彫られた愛用のジッポライターの銀色の姿が現れる。


 ありきたりな手品、というより小細工だった。


 袖口に忍ばせておいたライターを手首のスナップで袖口から掌へと滑り込ませただけである。前世で動画撮影の為にカメラの前で腱鞘炎になる程、繰り返した動作だ。


 そして、ダメ押しとばかりにジッポをぱちりと開き、ホイールを回転させた。


 中のホワイトガソリンはまだ健在であり、飛び散る火花に上手く引火してくれた。


 小さな灯が揺れる。


「調理釜に火を入れるのも同じくらいに得意です」


 出来る限り格好つけて僕は言った。詰まる所、手際良くライターを取り出し、火を付けただけであるが、中世世界では手品足り得るだろう。


 そうでなくちゃ、困る。


 魔法が存在しているなら、僕の素人手品はゴミより多少マシ程度にまで落ちぶれるだろう。

 

 何にせよ、僕は今持てるもの全てをぶちまけて見せた。


 銀貨に即席のバックストーリー、アマチュア手品にオイルライター。他に残されているのはちっぽけなビール瓶が一本だけである。

 

 これで、何も得られないのであれば次の手を考えるしかない。


 多分、この後に幾ら嘘っぱちを並べ立てても役にはたたないだろう。


 僕は更に顔を綻ばせ、強く頷いた。万事を尽くし、何かが起こる事を待ち受ける事には慣れ切っていた。

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