002:ファン・タイム・イズ・オーバー

 その日の夕方ごろ。人通りが履け、皆が宵闇の中に開かれる祝勝パレードを大通りで心待ちにしている丁度その頃。

 

 テリーはドーランを落とし、後片付けを始めていた。壇にしていた木箱の中に手品道具と今日の売り上げを詰め込んでいた。


 通りに漂うのは、昼のそれとは違う出来の悪い赤ワインの様な据えた臭い。広がるのは、人々の食い捨てた肉の骨や串、くるまった羊皮紙の塊が散らばる石畳。


 それらは昼の雑踏の面影を祝日を祝わぬ偏屈者にすら嫌でも思い起こさせる。


 彼の心中は空いた腹に支配されていた。さっさとズラかりたがっていた。だが、そう易々と逃してくれる程、運命というのは甘い存在ではないらしい。

 

 木箱の蓋を閉めると、待ち構えていたかの様に背後から声がした。


 表面上は丁寧だが、隠せぬ冷たさが滲み出ている。


「大道芸人のテリーだな?」


 後ろを振り返れば、全く持って面識の無い一人の偉丈夫が佇んでいた。


 身の丈は1.8m超。目鼻立ちは鋭く整っており、猛禽類を想わせる。肩口まで伸ばした灰色の髪は後ろ手に一つに括られている。四肢や胸板には、無駄の無い実用性に溢れる均整の取れた筋肉が隆起していた。


  その体躯と端正な見目は、物語の中の騎士を想わせるが、そんな煌びやかな身の上では無い事だけは確かだった。


 灰色のサーコートと陰鬱に煌めく金糸入りの腕章。腰に穿いた実用性に溢れる一本のサーベル。白頭鷲が象られた忌々しい三角帽。


 答えは余りにも明確だ。その職業を見紛い様が無かった。

 

 ああ、そうだ。紛う事なき憲兵様だ。


 行動原理は一つだけ。皇帝の障害物たる犯罪者を取っ払う。それだけが頭に詰め込まれた走狗である。


 そして不可避的に頭をよぎるのは、場所代の未払いだ。不文律では僕は悪人ではないが、法典に照らし合わせれば僕は紛う事なき犯罪者である。

 

 しかし、動揺を悟られてはならない。


 万が一にも、バレてはいないかもしれない。悲観も楽観もなしにそう思う。そう簡単にバレようがないからだ。

 

 ドーラン無しでは心細かったが、テリーは出来るだけ人好きのする笑みで応対する。


「はあ、その通りであります。憲兵殿」


 逃げ出したい足を押さえつけ、何でも無いことの様に憲兵の視線に目を合わせる。


 その憲兵は、いつもの売上をくすねてくる番兵連中とは並外れた眼光を秘めている。


 当の憲兵が一枚目か二枚目かとすると、普段の連中は五枚目か六枚目。若しくは、番付外といった風である。


「先程、君のショーを見させて貰った。中々、素晴らしかったよ。うちの子も随分と御満悦だったとも」


 飴細工をやった少年の可愛らしい顔が脳裏に浮かぶ。そして、その一幕が飴細工の如く溶けてなくなる事を心の底から願う。


 が、それが叶うはずも無い。これは書きかけの台本では無いのである。


「ああ、あの御子さんですね。正直なところ、本日の成功は彼の比類無い笑顔によるものでした。僕の芸がウケたのも、正しく“子供騙し”というやつですとも」


 肩をすくめ、これ以上なく恭しく首を垂れる。


「そう謙遜するものじゃない。私だって学があるつもりだが、君の手品の種のうち幾つかは全く見当がつかなかった。正に奇術。世に魔法も奇跡もあるのやもと思わせてくれる出来栄えだったよ」


「奇跡も魔法もございますよ、憲兵殿。僕のがそれです」


面白味もない戯言を並べ、煙に撒く様に話す。客に顰蹙を買った時に何時もやる手口だった。


 だが、数え切れない程の罪人の口にペンチを捻じ込んで、真実を吐かせてきた憲兵殿には通じない様だ。


「生憎、私は唯物論者でね。神も奇跡も信じないタチなんだ。君だってペテンを行う側なんだ。似た者同士だろう?」


 神学者が右といえば左も右となる昨今に於いて命知らずな事を宣う憲兵殿。

 権力がそうさせるのか、それとも彼の元来からの豪胆さなのかは知らないが、凡そマトモでは無い。

 

 居心地の悪そうに苦笑いする此方を見兼ねて、憲兵は話を続けた。


「それでだ。君の手品の種を一つ教えて欲しいんだ。君の商売道具なのはよく分かってるんだが、気になってしょうがない。勿論、ネタは他言はしないとも。それに、この後の君の処遇についても君の手品の出来栄えで変わってくる。分かるね、処遇だよ」


 付け足す様に憲兵は無慈悲に言う。


「因みに、場所代の未納は露店だろうが路上劇だろうが一律、鞭打ち十回だ」


 悲しい事に逃げ場はない様だった。不意打ちしようが、逆立ちしようがこの男に勝てるビジョンもない。


 出来るのは男を出来るだけ楽しませて、罰を軽くしてもらうぐらいだ。


 手品以外の手練手管を活かす余地はあるだろうか。


「良いでしょう。どの手品でもお教えしましょう。但し、数は一幕に含まれている分に限らせていただきます。鞭打ちに打たれずとも、腹が減れば死にますからね」


 そう言って、折角直した手品道具を引っ張り出す。協力への真摯さを行動でもって示す。


「話が早くて良い。演劇でも何でもテンポが大事だ。しかし、もう一つ重要な要素がある。何だと思う?」


「良い役者のことでしょうか?」


「確かに逆説的に言えば、テンポ良く演じられる役者は良い役者だろう。しかし、良い舞台がなければ限界がある」


「私は路上パフォーマーですから、その限りでは…」


「そう言わず、ついて来てくれないか?特別な一室を用意させてある」

 

 底冷えするような有無を言わせぬ微笑みを浮かべた憲兵殿。


 その右手はこれ見よがしにサーベルの柄に掛かっている。哀れな道化に選択肢は無かった。


 暴力など反吐が出るが、この世界においてそれ以上に有効なものはない。

 

 僕は頭を抱え、天を仰ぐ。指の狭間からはいつも通りの曇天が覗く。


 夜の帷はすっかり落ちきり、ベルベットの如き雲が月を覆い隠している。今の自身の顔色も同じくらい青白いことだろう。


                   😄


 かくして哀れな大道芸人テリー・グレアムこと、僕は尋問室に放り込まれることになったわけだ。


 それも、とびきり窒息プレイが大好きな憲兵殿と二人きり。的を得ない質問を浴びせられている。



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