001:陽気なこの日とその裏側

 その日は非常なお祭りの日だった。


 通りは人混みに溢れかえり、焼いた肉やら芋の蒸留酒の匂いに満たされていた。ある者は叫び、ある者は笑い。それが何故なのか本当に理解しているものはいなかった。

 

 今日はお祭り、建国記念日の前夜祭である。


 偉大な帝国が生まれ落ち、今なお、黄金期を謳歌する。それを祝うのに理屈や意味など必要ないのであろう。

 

 勿論、はした大道芸人のテリーにとっても、今日は喜ぶべき日であった。


 何と言っても、一年に幾度も無い最高の稼ぎ時だ。場所代は有耶無耶になり、投げ銭が飛び出す御客の財布の紐も緩くなる。

 

 そして、何よりお客さんの口角は何時もの数倍緩い。道化師妙理に尽きると言うものである。


 広場の隅。人だかりの真ん中。テリーは木箱の上に立っていた。

 

 頭には黒い山高帽。髪型はカールの入ったショートボブ。上下はズボン吊りにスラックス、ワインレッドの長袖のシャツに無駄に絢爛な外套といった身なり。

 サラシとタイツで引き締まったその肢体を薄っぺらく隠していた。


 ドーランの下から、客達に芸にだけ集中してくれと願っていた。


「晴れやかなるこの日に、隣国の侵略を覆し皇帝はこう仰った。さあ、市井の皆さん何だと思う?」


 テリーがよく通る甲高い声で客達に問い掛ける。道行く人々の幾らかも彼の方を見る。外套の下に隠された右手にはワインボトルが握られている。


「おお、道化師クラウンを呼べ!隣国を御祝いに!」


 ありきたりな冗句。この国の人間なら百遍は聞いているだろう。ド三流もいいとこだ。


 だが、良い冗句の条件は一つだけ、何度だって繰り返せる事。

 

 テリーはワインボトルを懐中から取り出し、その栓を抜き放つ。軽快な炸裂音が鳴る。

 

 噴き出す紅色の煙。帝国の旗と同じ色の煙は鷲の形を空中に浮かべる。これまた皇室の紋章と同じである。消える手前にヒョウと一言叫べば、客達は歓声を返してくれる。

 

 ありきたりな冗句も、それに因んだ手品の一つで有り難みを持つ。


 客達に漠然とした誇らしさと虚栄心を覚えさせる。タネも仕掛けも単純だが、だからこそ掴みとしては抜群だ。


 上がった熱が冷めやらぬ間にボトルをしまい、次へと移る。


 外套の袖口から取り出したるは6本の短刀。右に3本。左に3本。頭に被りたるは山高帽。うず高くテリーの小顔の上にちょこんと聳えている。


 背後へ伸ばした右足が木箱に設置されたレバーを倒す。


 中に詰まっているのは蓄音缶。


 黒鉛製の缶に針で曲が録音されている。至極単純な構造の道化師テリーお手製の代物。


 酷い音質であるが、曲は問題なく流れ出す。火酒で喉をやった歌姫の様な声色だった。


『今夜、何だってこんな所にいるのか分からない。何かが間違ってる。そんな感じがする。』


 無茶苦茶な歌詞。軽妙な曲調。鶏小屋の中みたいな騒音。


 その全てに意味なんて無い。だが、愉快だ。ナンセンスな笑いとは訳の分からなさから来るものだ。

 

 テリーは短刀を順繰りに宙へ放る。足踏みで調子を取りながら、見事なジャグリングを披露する。時には刃先を摘み、グリップを持ち替え曲に合わせてリズムを変調させた。


 そう、リズムが大事だ。度胸が肝要だ。手品用の短刀は一本だけ。その他の刀身は本物だ。


 ミス無くこなす必要がある。


『右脇には与太者、左脇には道化師。俺はといえば、君と真ん中で立ち往生。考えてみても、どうするべきか分からない。笑いを堪えるので精一杯。マトモじゃない。頭の中はとっ散らかってる』


 曲がサビを迎える。客達の歌声も足踏みも最高潮だ。ここまでは快調だ。予定調和だ。意外性はない。


『俺は此処だ。君と俺とで、ど真ん中に立ち往生』


 テリーは唐突に高らかに笑い出す。足元の蓄音缶もそれに合わせ曲のピッチを上げる。ジャグリングの速度も爆発的に早まる。


 より手際良く、より高く短刀が中を舞う。

 

 そして、曲が唐突な終わりを迎えたその時。最後に宙に放った短刀が落っこちる。

 

 テリーの脳天に。寸分違わず、山高帽に突き刺さる。ゴルゴダ丘の聖人付き十字架の如く真っ直ぐ打ち立てられる。


 その場に直立し、芝居がかってどうと後ろへ倒れ込むテリー。


 木箱の陰へとその姿を消す。誰の目にも、それが劇の一部か凄惨な事故の一端か、明確に結論づけることはできなかった。


 余りにもわざとらしい所作と自然すぎる状況が出揃っていた。

 

一瞬の静寂。広がる動揺。ど頭にナイフが突き刺さったまま、ぴくりとも動かない芝居がかった大道芸人。


 密やかに響く荒い息遣いと緊張から生じる汗のツンとする臭い。

 

 そして、最前列に座っていた少年がようやく状況を結論づけ、悲鳴を上げようとした。


 だが、それを渡る様に、木箱の裏から山高帽がひょこりと飛びした。


 ナイフが見事に刺さっているが、血は出ていない。


 むくりと向こうから覗くドーランの白い顔。余りに大袈裟な驚きの表情を浮かべながら、驚異的な背筋と脚力でテリーが宙返りをうつ。


 再び木箱の定位置へと飛び乗る。


 観客達は見せ物の一部だとは理解しながらも、彼の一挙一動を凝視する。


 不定形の連帯感、ある種の義務感がそうさせた。彼らもまた劇の一員と化していた。

 

 訝しげに大仰に山高帽を取り、その裏地を確認するテリー。驚きの表情を浮かべ、その裏地を客達へ見せびらかす。深々と刺さったナイフを引き抜き、刀身を掌に載せてこれまた客へ見せつける。

 

 銀の刀身が快晴の陽光を受け、ギラリと光る。見た目からすれば、剃刀の如く切れるのは受け合いだった。


 そして、ナイフの上にもう片方の手を被せ、観客達を制しながら壇上から飛び降りる。

 

  最前列の少年の前に着地する。


「魔法の言葉は何が良いかな、坊ちゃん?」


 テリーは陽気に問い掛ける。御決まりの奇術の前口上は何が良いだろうか。奇術にはいつだって意味の無い呪文がつきものだ。


 御決まりというやつは、それこそに意味がある。

 

 対して、少年は困った様な、はにかんだ様な表情を浮かべている。目尻には悲鳴をあげ損ねた時に浮かんだ一粒の涙が煌めいている。

 

 テリーは口紅のついた唇でやわい弧を描き、言葉を続ける。


「泣くのはピエロだけで十分。そう思わないかい?だからどうか泣かないで…」


 自分が泣かせたという事実を棚に上げ、テリーは少年を励ます。


 何かしら気の利いた呪文の一つでも唱えてやろうと頭を捻るが、テリーに冗句のセンスは無かった。


 少なくとも、少年に聴かせられる類いの品性のヤツは。

 

 思案で生まれた一瞬の沈黙を顔芸で間を持たせ、思い付かない奇術の呪文を大仰な手振りで誤魔化し、勿体ぶって掌を開く。


 予定調和の如く、銀の刃は既に消えていた。


 代わりに、黒い革手袋の上には一輪の飴細工の薔薇が咲いていた。


 皇室の印蝋に象られる花を模した物珍しい菓子に、少年は目を輝かせる。


 困り顔は満面の笑みに変わる。よく見れば、随分と育ち良さそうな身なりをしている。ころころと変わる表情は年相応だが、それ以外の所作の節々からは気品を感じる。

 

 少しばかし、嫌な予感を覚える。


 面倒のタネを作ってしまった可能性に思い当たる。お偉いさんには関わるべきじゃない。


 ある意味では、彼は仕事を全うしたのかもしれない。劇の道化役としての大団円だ。


 拍手の音が聞こえてくる。


「最高でした、道化師さん」


 テリーの意識を引き戻したのは少年の嬉しげな声。

 観客たちは道化師の奇術と出来合いの感動劇に、歓声と拍手を送った。硬貨の青銅や銅の雨が降り注ぎ、瞬く間に投げ銭入れ代わりのブリキの籠は満ち満ちた。


 子供が笑えば、それだけで周りは幸福になる。


 それこそ、大道芸人なんて要らない程に。それをまざまざと見せつけられた気がする。ある意味において、役割を奪われたと言えるかもしれない。


 だが、劇に一つのピリオド打ち込む快感を蔑ろにする程じゃない。この快感の為に生きている。そう言っても過言じゃ無い。


 渦巻く快感に胸を膨らませながら、テリーは慇懃に礼をする。


 第一幕の終わりにして、第二幕の始まりである。まだまだ劇は続く。火を吐き、パイを投げ、虚空から花を出す。随分と前から温めてきたネタだってある。


 披露する全てがウケるわけじゃない。努力が全て報われるわけでもない。


 それでも今日は一年で最大の稼ぎ時なのだから、真摯に、それでいて手堅く演じるべきだ。

 

 実際、興行全体は上々だった。八割型のネタはウケたし、残りの二割だって繋ぎには十分だった。悲観する事のない結果、楽観出来る程度の成功である。


 勿論、気分は悪くなかった。


 だからこそ、気づけていなかったのかもしれない。人だかりの向こうから覗く、果てしない面倒事の気配に。

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