道化したいがどうにもならない
タイガー・ナッツ・ケーキ
000:最悪の面談
広く、全てが灰色の部屋。
石畳の床。石レンガの壁。鉄の窓枠の嵌められたちっぽけな小窓。中央に据えられた無骨な木机と木椅子。
そして、天井から吊り下がる一本の硝子張りのランタン。
その明かりは壁に大きな影法師を映し出す。
向かい合う様に座る偉丈夫と線の細い少年の姿だ。
少年が揺れ動く影法師へと目で追っていると、偉丈夫の逞しい腕が少年の肩へと迫るのが見えた。
少年の唯一の商売道具である肢体に布一枚挟まずに触れる。彼の脳裏にただ一つの懸念が浮かぶ。
『オーケー、僕はノーマルだ。だけど、胸の動悸は普通じゃない…』
上手い冗談は思い付かなかった。
目線を少し戻せば、彼の猛禽類を想わせる端麗な顔がすぐにそこに見える。
その薄い唇から漏れる吐息は深く、そして刺激的な香りを孕んでいた。彼の喉仏がゆったりと上下し、少年の肩を握る手の力は更に強くなった。
仕立ての良い薄手のシャツだけが彼を包んでいる。
灰がかった皮膚。彫り出された様に聳える筋肉の尾根と谷。その筋肉質な肉体は、神がその手で黒鉄の針金で編み上げたと言われても否定なんて出来やしない。
教会は神が泥によって人を創ったと言うが、彼については、例外だとしか思えない。
彼の留まる事を知らないグロテスクな情動を何とか抑えようと、少年は話を振った。
いつも仕事で観客を楽しませる様に、とはいかなかったけれど、なんとか言葉は出て来てくれた。
「ああと、天下の憲兵隊長様が私のような三文大道芸人に何の御用で?」
肩を掴む彼の右腕に視線を向ける。憲兵の腕章がランタンの灯に閃いている。
憲兵。この国における最大の管理機構、そしてこの部屋における最高権力。逆らう選択肢は無い。
「ヴラド・ルキーニだ。ヴラドと呼んでくれ、大道芸人のテリーくん」
ヴラド。その名前には聞き覚えがあった。恐らく誰もが知り、恐れているその異名。
首吊りヴラド。
数え切れない程の政治犯の首に荒縄を掛け、台の上から突き落としてきた男。ギロチンと断頭斧のツガイの股座から生まれたと巷では言われている。
対して、少年は大道芸人。
テリー・グレアム。
勿論、異名は無し。売れ掛けも売れ掛け。若さはあるが、それ以外は何も無い。
「貴方があのヴラドだと言うなら、余計に僕に用なんて無いでしょう?僕なんて吊るしたところで、首が絞まりませんよ。僕には何も無い。軽すぎますよ」
肩をすくめて人好きのする笑みを浮かべるテリー。
「吊るしたりなんてしないさ。君は潔白だ。そう、余りにも潔白だ。どれほど調べても、何も出てこない。出身は?年齢は?血縁者は?答えは何も無し。だからこそ、此処に君を呼んだんだ」
ヴラドは妖しく微笑み、少年の肩を引き寄せる。
二人の距離は吐息が混じり合うほどに急激に近まる。そして、肩口から離れた手は少年の首筋を辿り、首元へ添えられた。出たばかりの喉仏を冷たい指先がなぞった。
ゆっくりと明白にヴラドは言った。
「「君は何だ?」」
その一言が牢獄の狭い空間を満たし尽くした。
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