第1章 12 希望

 死刑。この二文字に加え、その日時が一か月後と、あまりに早い事で、すっかり呆気に取られていた。現実味が湧かない程には絶望した。


 しかし望みが無い訳でも無い。


「ダルマンさえ証言してくれりゃぁなぁ……」


 彼なら、自分を襲撃したのがあの怪物である事を知っている。もっと正確に言うなら、俺たちが犯人どころか、彼を救った救世主である事を知っている。


 まさに希望。逆に言えば、もうそのくらいしか望みが無い。


 しかし、当のダルマンはかなりの重体だった。流血の量が尋常ではなかった。もし、あのまま彼が絶命してしまったら……とうとう冤罪が晴れないまま死刑執行か……。


「おっそろし。なぁネロ?」


 沈黙。もういい加減立ち直れよと思うが、事態はそう簡単ではないらしい。何度も嘔吐を繰り返し、そしてその度に蹲(うずくま)る。しばらくすると座り直すが、またすぐに吐いてと繰り返すのだ。こうなると声もかけられない。


 結局その日は、俺が眠りにつくまでずっとそんな調子だった。



「もう朝か……」


 いつもなら歯すら磨かず、スマホをいじってる時間帯。しかし、今手元にスマホはおろか、自由も無い。

 ……我ながら上手い事を言ったのでほくそ笑んだ。

 この時、牢屋の中には俺とネロしかいない。


 はてさて、肝心なそのネロはと言えば……一夜明けても尚、相変わらず恐ろしく暗い顔をしていた。周囲にはいくつか吐いた跡もあった。目もパキッてるし……まさか一睡もしてねぇのか?


「……まじで死ぬなよ、お前」


 かくいう俺も、とても人の事を心配し続けている余裕はない。俺はメンタル弱者だ。こんな環境では一か月なんて待たずとも、あっという間に発狂へ達するだろう。そんなの、死んだも同じだ。


 ともかく今は冤罪を主張し続けるしかない。きっといつか、話を聞いてくれる看守に出会えるかもしれない。目先で頼るなら、まずはそこからだ。



「だ~か~ら! 俺ら冤罪なんだって! 無実なんだって!」

「うるせぇなぁ……信じる訳ねぇだろ?」

「そこを何とか……頼む……!」

「どこをどうすんだよ。おら、今日の飯だ」


 差し出されたのは牢屋の鍵ではない。腐った飯だ。腐った魚、腐った麦、腐った浮き身で飾られた腐ったスープ。飲めばきっと腹を壊すだろうし、きっと栄養何て欠片も無い。

 何度飯に文句を付けても、看守の野郎共は全員、”死刑囚にはお似合いだ”と言うし、”死刑まで体力が持てば良いな”と高笑いをする。


 死んでなるものか。そんな精神で過ごしているうち、あっという間に三日が経った。


 その間ネロとは一度も会話しなかったし、何よりあいつが人間らしく何かをしているところをとうとう見なかった。嘔吐はしなくなったのだが、それが余計に心配だ。まさかひっそりと死んだか、とも思ったが、どうやら脈はある。そこはひとまず一安心だった。


 しかし……。


「死んだ方が楽かもしれん」


 そう思ってしまうのが、そう遠くない未来かもしれない。そんな気はする。

 かくして、こんな感じで、不満に感(かま)けて過ごしていた俺は、すっかり大切な事を忘れていた。一つ目はここから出る方法を考える事。これはもうダルマンの回復を祈るしかない。彼の証言があまりにも必須だ。

 そしてもう一つ。


「おら、とっとと入れ」


 牢屋の外からそんな声がした。看守だ。しかし……今”入れ”と言ったか? そんな事を言われても、俺たちはとっくに檻の中だ。という事は、”入れ”とは俺たちに言った訳ではない。ならどうでもいいか。

 そんな風に構えてふんぞり返っていると、牢屋の扉が開いた。

 一人の人間が牢屋の中に押し込まれた。そいつはかなり特徴的な髪色をしてたので、その顔を見ずとも誰なのか容易に判断できた。


「メア!」


 三日ぶりの再会だ。未だ看守が様子を見ているので、大手を振って喜びを分かち合うような事はしなかったが、俺は心の底から安堵した。何か酷い事をされて、見るも無残な姿になってしまったのではないか、そんな心配もした。しかし、顔にも腕にも、とりあえず露出した箇所に傷は無い。


「だ、大丈夫か?」


 そんな風に、俺は慣れない口調でメアに語り掛けた。女子に話しかけるなんて、まして心配するなんて、俺には如何せんハードルが高かった。しかしとうとうそのハードルを乗り越えた。極限状態の中で、俺は間違いなく成長していたのだ。


「め、メア?」


 俺は再度名前を呼ぶ。再会してから名前を呼んだのはこれで二度目。今回ばかりは俺も少し尻込みした。なにせ一度目の呼びかけを無視されているのだから……。

 もし彼女に悪意が無いならセーフ。しかしガチの、故意の無視だった場合はバツが悪い。妙な蟠(わだかま)りが生まれる。俺たちは最悪の場合、命日を同じくする運命が待っているというのに……。


「おーい……あの……」


「ごめん、なさい……」


 メアが遂に返答してくれた。しかし肝心な内容が、なんとも要領を得ない。”ごめんなさい”だと? 謝らなくてはならないのは、むしろ俺の方だ。


「な、なぁ……メア?」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……ごめん、なさい……」


「え、あ……えっと、そんなに謝るなって、泣くなよ……あぁえっと」


 なんだが想定したよりも、だいぶ精神が参っている様子だ……。それ以降、どんな言葉を、どんな口調や声色で語り掛けても、メアは一向に”ごめんなさい”である。俺との会話を拒絶するのだ……。


 この時、流石に俺の気は滅入ってしまった。折角あの日のメンバーが揃ったのに、その実ろくなコミュニケーションが取れない奴が二人になっただけ。残されたのは二十と数日。なんとか抜け出す策を練らないと……。

 俺は、この中で唯一働ける状態なんだ、俺がやらないと。まさか人生の延長戦で二人の命を背負い込む事になるとは……あまりにも誤算……ホントに勘弁してくれ。



「俺たちは無罪なんですってば! ダルマンに話を通してくださいよ!」

「ダルマン様に? 無理だ。あの方は今昏睡状態で……」

「昏睡……? まだ生きてたんすか……? め、目覚める可能性ってまだあります?」


「あぁ我々はそれを願っている……がしかし、いきなりどうした? 殺しきれなかったのが心残りか?」

「ちげぇよ。だいたい殺人未遂なんかしてねぇって言ってんだろ!」

「そうだな。このまま亡くなられたら”未遂”じゃねぇよな」


 俺らの牢獄に来る看守は皆こんな感じだ。話が通じねぇし、何かとブラックジョークを混ぜて来るし……ただでさえ鬱々としてるのに、どうしてこうも俺の苦手な奴ばかり来る?



「おい」


「え? あ、はい、なんすか?」

「静かにしろ。シュタイリン殿が来られた」

「しゅたいりん?」


 看守が見つめる先に焦点を合わせてみる。その先の暗闇には、確かに人影があった。なんともぼんやりとしている。

 しかしこの看守、なんで暗闇の中を個人名を言い当てられるんだ。肉眼だろ? 目を凝らしてすらいない。やっぱ電子機器の無い世界だと、目って良くなるものなのか? それともこの世界の連中は、目が良い遺伝子なのか?

 この際、そんなどうでも良い事に興味が湧く。そもそも個人差があるよな。


 それに、今俺たちの牢屋に近づいて来ている奴は、硬派は眼鏡をかけている。誰も彼もが、目が良いという訳ではないらしい。ワンチャン”伊達メガネ”という事もあるだろうが、結局それもどちらでもいい。何より俺は、そのメガネをかけた奴がいけ好かなかった。


「お前……あん時の……」

「こんにちは、強盗団諸君。牢屋生活は快適かな?」

「うちの仲間達がすっかりナーバスだよ……もっとマシな牢屋(トコ)に移してくれ」

「なるほど。善処するよ」

「……あぁそう」


 善処か……。一番信用ならない言葉だ。


「つーか、何しに来たんだよ」

「あぁ、大事な確認がしたくてね」

「確認?」


「君のお仲間、メア・P・ハートが自供したのだよ。君達が、かのオールヴェン・KS・ダルマン氏を夜襲し、瀕死の重傷を負わせた犯行グループである、とね」


「…………は?」


 じ、自供……?


「この供述、君たちが認めれば証拠が揃った事になるのだよ。そうなれば、君たちの処刑を早められるんだが……」

「は、は? そんなの認める訳……」


「まぁ落ち着け。ここからは慎重に言葉を選んでくれ。”真”か”偽”か……」


「真か、偽……?」


「もし小娘の供述が、”嘘である”と君らが言ったなら、我々はその発言を信じ、君と金髪の二人を開放しよう。しかしその場合、”嘘つき者の小娘”は即刻だ。嘘つき者は死ぬべきだからねぇ」

「……じゃあ、”真”は……?」


「…………君らが”真”を選んだなら、正直に自供し、協力的であった小娘は開放する。無論貴様らは斬首だ。自白したのと同義だからね」

「なんだそりゃ……」


「さぁ選びたまえよ。”偽”と言い放って小娘だけを殺すのか。小娘の供述を”真”と認めて君と金髪が死ぬか。君が、選ぶんだ」

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