第1章 11 御縄

「なんだ?! なんの騒ぎだ?!」


 階下から、慌ただしい足音が聞こえてきた。それだけじゃない。騒がしい怒鳴り声のようなものも聞こえてくる。


 さて、この現場、見られてしまったらとても不味い。はたから見れば、ただ単なる殺人現場だ。しかし隠蔽している時間も気力も無い。何か言い訳を考えるのが得策だが……。


「お……おい少年」


「ん?」


 背後から、誰かの声がした。まさかさっきの怪物が生き延びていたか? ネロに背負われたままで、おまけに全身に激痛が走っているので、そっと少しだけ振り向いてみる。もし本当に怪物が生きていたなら、背後から忽ち殴り殺されるだろう。


 しかし、俺の心配は杞憂であった。というのも、やはり怪物は顔面の上半分を千切られ、もうすっかり絶命している。

 では誰が声を出したのか。部屋の隅に、図体のデカい男が、かなりの量の血を流がし、そっと座り込んでいた。


 彼は、ダルマンだ。


「ワシだ……ゴホッゴホッ……ダルマンじゃ」


「え? あぁえっと、どういう事だ? なんで傷だらけ……っていうか、さっきの怪物は誰だよ……」


「……分からぬ。しかし、お主達が来ていなかったら、ワシは其奴に……ゴフッ」


 ダルマンが、中々の勢いで吐血する。状況が飲み込めないが……ともかく先の怪物の被害者は俺以外にも居た訳だ。


「ねぇねぇ! あのオジサン死んじゃういそうだね!」

「そ、そうだな……どうにかしたい、けど、『回帰の雫溜りアイテム』ももうねぇし……」


 その頃になると、遂に喧しい足音と声が、部屋の傍まで迫って来ていた。



「だ、ダルマン様?! どうして……何があった??」

「いいから直ぐに運び出せ! このままじゃ手遅れに……!!」


 ズカズカと、それはそれは大勢の警備兵が室内に入って来た。現場の保持はこういう場合常識だろうが……人命の危機だ。そうは言っていられない。

 しかし、不用意に担ぎ上げるのはどうだろう。いくら一刻を争う状況だからと言って、下手に触れば傷口が余計に開いてしまう。

 同じ様に瀕死状態である俺から言わせてみれば、その場で治療して欲しいのが本音だ。


「お、おい……あんま無理に動かさねぇ方が……」


 そんなことを言っても聞き入れてはもらえない。


 そんな感じで、ネロと共にただボーっとしつつ、血を吹き出すダルマンと、その血を浴びながらも力ずくで担ぎ出そうとする集団を眺めていた。

 その時、一人だけ俺たちの方に近づいて来る。背がスラっと高く、髪をきっちりと整えた、如何にも”マジメ君”と言った様な、所謂、貴公子。


「君かね?」

「え? はい?」


 なんだ急に。コイツの質問は要領を得ていない。


「とぼけなくていいよ……状況からある程度の事は分かる。今回もそうさ」

「あ、えっと、ん……?」


 気持ち悪い言い回しだ。さてこの時点で何を言いたいのか、大抵予想はついていた。そうしてきっと、ろくな事にならない。


「君だろ? ダルマン氏を襲撃したのは」


 よもや冤罪。確かに不当な方法でこの屋敷に侵入したが、決して襲撃だとか、そんな物騒な事はしてない。真犯人は見ず知らず怪物だ。そして、ソイツ、もう死んでいる。

 ネロが殺した……のだから、俺らはむしろダルマンにとっての救世主だ。意図はしていなかったが……。


「私は憲兵の者だ。忠告だが少々腕も立つ」


「抵抗すんなって事っすか……?」

「そうだね。いやはや物分かりが良いのだね。強盗の癖に」


 強盗じゃねぇよ。しかし今は言い分を聞き入れてくれる状況でもない。ここは冷静に、間合いを取ったやり取りをしたい。


「えぇ?? おじさん強いのぉ??」

「ははは。これはこれは、物凄い”眼”だな」


 おいネロ、あんま話ややこしくすんなよ……いやもう手遅れなぐらい拗れちゃってるけど……。


「恐ろしい眼だ。人の魂は眼に宿ると言うが……悪党は、生まれながらにしての悪党という訳か」

「ねぇ~戦ってくれないの?」


 ネロは、無闇に飛び掛かったりはしなかった……コイツは許可を取るタイプの戦闘狂か。ネロが暴れれば、もう言い逃れは無理になる。かなりヒヤっとしたが……。

 あぁもしかしたら、俺を背負ってっから戦おうと思ったけど出来なかったのか? ならば怪我した事も無意味でなかったという事だ。



「あ」



 その時、俺の手に手錠がかけられた。ネロの手にもだ。


「今日からよろしく。特別な部屋を用意しよう」

「お、おいおい! 逮捕って……ちょっと話をしようぜ!」


「ははは! 急に狼狽えてどうしたんだい? よもや冷静にお話でも……なんて思っていたのかな?」

「……そ、そうだ! 俺たちの言い分を聞いてくれ! つーか、ダルマンに直接聞けば俺たちの無実が……」

「死人は何も語らないよ」


「……ま、まだ死んでねぇだろ?」

「あぁそうだったね。ともかく同行してもらおう。君の子分はすっかりそのつもりらしいが」

「は?」


 その時、俺は床に落とされた。ネロが急に力を抜いて、俺が背中からずり落ちたのだ。もちろん重症の俺が重力に逆らえる筈もない。ネロにしがみついていられる訳がない。

 どしんと鈍い音がした。


「痛っ! おいネロ、何落としてんだ……」


「ははは! 思ったより潔いじゃないか! ははは!」

「ね、ネロ?」


 ネロは、すっかり顔を青ざめて、いうならば、何かに怯えるような表情だった。先ほどまでの、嫌になる程の陽気さも、今ではすっかり見て取れない。


「ははは、先程の”眼”は見間違いだったようだね。すっかり覇気を失って。私もまだまだだ」

「ネロ? なぁネロ! おい、しっかりしろ!」

「ふー……ふー……」

「はぁ?」


 呼吸が浅い。それに心なしか痙攣してるようにも見えるが……そういえば、俺も船で”目覚めたばっかの時”はこんな症状が出たな……まさか、あれが今更発症したのか? くそ、間が悪ぃ……。


「さて……その後ろの娘も仲間かな?」

「おいちょっと待て! こいつはマジで巻き込まれなんだよ! 意識もねぇだろ!?」

「ふむふむ、なるほど、色仕掛けで隙を作ったという訳か……まったく、卑しい女だ」

「お前、マジでふざけんな……!」


 言わせておけばゴタゴタと……! 馬鹿にすんのも大概にしろ。

 一瞬カッと頭に血が上って、俺は痛みも忘れて起き上がろうとした。しかしやはり激痛で一瞬起き上がりを躊躇する。

 その瞬間を見計らわれ、顔面を足蹴にされた。側頭部は床に強く打ち付けられる。


「勝手に動くんじゃない。悪党が」

「あぁ……いてぇ」


「ふん。連れて行け」


「御意」


 鈍痛だった。それ以降の意識も記憶も無い。しかし状況は、実に整理しやすかった。



 目が覚めると、俺たちは檻の中に居た。”特別な部屋を用意する”というのは本当だったらしい。

 ココは、とても人が入って生活して良いような部屋ではない。

 肥溜めのような香り。床や壁には虫が這って回る。そして薄暗く、気温も湿度もかなり高い。生きている内に腐ってしまいそうだ。


「あぁ……いてて。ネロ、無事か?」


 ネロは、すぐ隣で体育座りをしていた。


 彼に呼びかけてみたが返事は無い。すっかり意気消沈といった具合で、俺なんて気にも留めず、ぼーっと俯いている。

 要は俺を無視したのだ。別に怒ってない。むしろ心配なくらいだ。第一、あの陽気なネロが、無視だとかいう陰湿な事をするとは思えない。よほど投獄されたのが堪えているのだろうか。


「はぁ……まぁゆっくりしてろよ……。というか、メアは居ねぇのか?」


 部屋に彼女は居ない。別の部屋に通されたのか?

 まぁこんな糞溜め部屋に入れられるのは可哀想なので良かった。いや待てよ。もしかしたら別部屋で看守たちから、あんな事やこんな事をされている、という事は無いだろうか……。


 マジで不安だぞ。服も、下着以外全部掻っ払われて、失くすなって言われてたゲーム機も没収されて……。

 このまま懲役何十年、とかにはならないよな……翠蓮とか、船長とか、助けに来てくれるよな……。



 目覚めてから数時間。一人の看守が牢屋を訪れた。何やら紙を取り出し、読み始める。内容は俺たちの罪状と刑罰についてだ。俺は生唾を飲む。


「……えぇ~つまり、お前らは今日から死刑囚だ。妙な真似が出来ないよう、本来の業務も禁止とする」

「し、死刑??」


 やり過ぎだろ……。そりゃあ罪の重さが元の世界とは違ってるとしても……死刑とは……。


「処刑は一か月後が目安。それまで大人しくしているように」


「いっかげつ……」


 早い。あまりに早すぎる。

 どうすれば良いのだろう。俺の頭の中は、忽ち真っ白になった。

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