第8話 <言祝ぐ息吹>──④

『──作戦をまとめよう。まず僕が出て、今近づいて来てる相手の偵察役を始末する。シュトラールが隙を見て奴らの来た方向へひっそりと進む。君単独なら感知役に気取られることなく連中の陣取る場所までたどり着けるはずだ』


『はっチョロいな、任せろ。で、その後は?ネヴァンが上から削るか?』


『いや。障害物の多い森の中だと、せっかくの”大鴉”の機動力もがれる。川上側から森の中に低く侵入して、時折敵に姿を見せながら飛び回るだけで良い。川岸まで奴らを誘導して欲しいんだ。ネヴァン、頼めるかな?』


『陽動だね!了解りょかーい!でさでさ、肝心のスーラちゃんはどうする?』


『スーラには、僕の合図後に川向こうまで飛んでもらう。そうだな……”飛行種”が複数人いると悟られたくないな。川下──ネヴァンと反対側から森をぐるっと回り込む形で飛ぶと良い。僕も敵の始末を終え次第、シュトラールとは別ルートで川岸へ向かう。』


『わかった。敵が二人に追い立てられて、川岸に逃げて来たところを挟み撃ちにするんだね』


『そう!理解が早くて助かるよ。喉の調子は大丈夫かい?』


『うん、大丈夫。喉だけじゃなくて、闘う準備も、生きるために命を奪う覚悟も』


『……そうか。くどいようだが、無理はしなくて良いからね。ともかく、川岸に逃げた敵が集まったタイミングで、僕が合図を出す。そこで待機場所から一気に舞い飛んで、後は君が唄えば良い』


『で、でも……それじゃ万が一力加減を間違えたらエンズを巻き込んじゃうかも──』


『ああ、それについては心配しなくて良い。むしろどこに力を向ければ良いか、咄嗟に判断できないときは僕を狙っても良いくらいだよ!はっはっは』


『そんなむちゃくちゃな……』


『そうは言うけどね、スーラ。長命種なんてのは大体むちゃくちゃな存在なんだよ。大丈夫!仮に君が”竜”の力を完全に継承していたとしても、全力を出さない限り僕は死なない。いや、全力でも殺せるか分からないくらいさ。信じてくれ。いざその時が来て、僕の姿を見てくれれば意味がわかるさ』


『まあ、そういうこった。スーラ、お前は知らないだろうがコイツは殺しても死なねえ。良くわからんがそういうタダビトなんだよ。テメエがどういう技を使うか知らねえが、良い的だと思ってかましちまえ』


『うっわ他人事だからって容赦ないな!?まあ良いけど』


『ねえねえ、空気読まずに質問!そもそもスーラちゃんの奥の手ってどんなの?さっきからやたら歌や喉の話してるけど、関係あるの?美声でメロメロ大作戦的な?』


『う~ん……ま、それも見ればわかるさ。いや、聴けばわかる、といった方が良いのかな?ともあれ作戦は以上だ。僕はともかく、三人はちゃんと無事でモザイクに帰るんだ。各々しっかりとね』



 ※



 ──現在


 いざその瞬間が来た時、エンズの頭には奇妙な懐かしさが浮かんだ。


 まず目も眩むほどの閃光。そこから一瞬遅れて、鼓膜が破れんばかりの轟音が衝撃とともに体を揺らす。それらを生む赤い光の塊を吐き出したスーラの喉元には、これまで奴隷着のフードに隠され、シュトラールもネヴァンも気づかなかった、彼女の美しい髪や瞳や手足の鱗より、一層気高く輝く深紅の鱗が一枚のぞいている。


(なんて美しい逆鱗だ)


 今から千数百年の昔、今以上の混沌にあった世界。力が混沌を調停し、”上”と”下”を定めるものであるとするなら、竜の力はまさしく秩序そのものだった。


(”この地トーソンリーに生きる竜は、他のどの生物よりも傲慢で、なおかつ横暴であり、それでいて気高い。何より彼らは、そう在るに見合った力を持っている。本来架空の存在である彼らが、仮初めながらもこの世界の支配種として君臨し、時に奪い、時に施す姿には、この世界を造った”神”とはまた違った畏怖を俺の中に呼び起こす”)


 そばに着弾したスーラの赤い光が弾け、憐れな山賊を包み込む余波が自身にも迫ってくる中、エンズは竜の跋扈する遙かな昔に自ら“筆記者”として記した、彼らを書き留めた文を思い出していた。


(”──体躯は言うまでもないとして、一番はやはり彼らのみが持つ特殊にして甚大なあの力に起因するものだろう。彼らはその喉元に特徴的な逆向きの鱗を持つ──俺はこれに逆鱗と名を付けた──逆鱗が輝きを増し、強く震えだしたらそれは力の行使の合図だ。やがて逆鱗から火打ち石のように火の粉が舞い、彼らは美しい声の吐息を吹きかける。まるで唄うかのように。それらはまばゆい炎の塊となって、あとには塵一つ残らない”)


 もっとも今回は事前の念押しもあって、スーラの力は往時の竜のそれと比ぶべくもない程の慎ましさだ。僕も四肢は残るだろうし、なら実質無傷みたいなものだな、とエンズは思った。


(”単に唄と呼ぶには破滅的で、単に吐息と呼ぶには美しい旋律だ。”筆記者”として生きていくにあたって、もちろん、この力にも呼び名を与えてやる必要があるだろう。来たるべき遙かな未来、彼らが滅んだ後にその畏ろしくも儚い威光を語り継ぐために”)


「──<言祝ぐ息吹ブリス・ブレス>」


 口に出したのは何百年ぶりだろうか。エンズはその御業に身を委ねた。


 自身の<息吹>が大きくえぐった跡を残した川岸に降り立つと、スーラはゆっくりと緊張から閉じていた目を開いた。近くの木々は爆風でなぎ倒され、かろうじて残った草なども焦げくさい煙をあげながら所々で燃えている。直撃を受けた山賊達はひしゃげた急ごしらえの鎧や武器の残骸を残して消えてしまった。


(これが、竜の力……)


 スーラは、母がただの一回だけ、自身にこの力の扱い方を詳らかに教えてくれた時のことを思い出した。


『いい、スーラ?この力は森の外で生きていく上ではあまりにも強すぎる。使わずに済むなら、使わないで済む世界で生きられるなら、それに越したことはないの。それなのにこの力を教えるのはいくつか理由があるけれど、一番はあなた自身で選んで欲しいからよ』


『選ぶって、何を?お母さん』


『この力を使うのか、使わないのか、よ』


『何で選ばないといけないの?』


『それが生きるということだからよ。いずれあなたにも、意味がわかるわ』


 記憶に割り込むように、弱い咳き込みが森のそばから聴こえた。


「──エンズ!」


 幹の真ん中から派手に折れた木の根元に、エンズは倒れ込んでいた。服は所々熱や衝撃で破れ、木の枝や石が吹き飛ばされてきた時についたと思しき切り傷や擦り傷が、体のあちこちに見られた。


「こほっ……スーラ……上出来だ。実践で初めて使うのにこの精度か……火力の調整も、体躯の差のせいかモーソ以上だ。素晴らし──ごっほ!」


「喋らないで!」


(熱風で喉が少し焼けてる……!)


 スーラは急いで彼を抱き起こすと、シュトラールから持たされた水筒の水をその口に含ませた。良く見るとねじ曲がった金具のような物がエンズの胴体に突き刺さっている。それが<息吹>の熱で溶けてひしゃげたナイフだと気づいて、スーラはなおさら青ざめた。


「エンズ、刺されてる!」


「ああ、これか……?奴らを釘付けにしておく必要があったからね。ふふっ驚いた顔見たか?傑作だったよ」


「私、ごめんなさい、わたし」


 自分の姿も何かの冗談だと言わんばかりのエンズに、自分でも整理できない感情があふれたスーラは暗い表情でうわごとのようにそう呟く。


「スーラ、君は謝るようなことは何もしてない。生きるために闘い、そして勝った。僕の言葉を信じて、手加減はすれどしっかりと<言祝ぐ息吹>を使った。ありがとう。今日を切り抜けたのは君のおかげなんだよ」


 努めて柔らかい表情をして、エンズは労うようにポンッと彼女の頭に手を置いて撫で、しばらく言葉をかけた。しばらくは泣きそうになっていたスーラも、エンズが一貫して自分は大丈夫だという態度で接したお陰か、表情に明るさが戻ってきた。


「君は家に帰るんだ。これから君の新しい居場所になる所へ。帰ろう、モザイクへ」


「──うんっ」


 目尻に残る涙の雫を自分で拭って、スーラは少しの邪気もない笑顔で答えた。


(ああ──)


 奴隷の身から解放し、穏やかな寝食を与え、この世界の一端を教えた。今回の旅にネヴァンを同行させたのも、もとはといえば、同じ年代の身なりをした同性の子がいた方が、本人にとって良い友になってくれると思ったからだ。そうすることが役目だとはいえ、エンズは常にスーラを気にかけたし、それでも彼女の表情にかすかに残る、恐怖や不安の色を消せない自分に、歯がゆさを感じてもいた。


(何て綺麗な心で笑うんだろうな、君は)


 それがどうだろう。今、彼女は一点の曇りもなく笑っている。


 エンズは、これまで自身が生きてきた道で背負った重石が、その笑顔を向けられただけで少し軽くなるような気がして、今度は自分が嬉し泣きしそうになっていることに驚いた。森の奥や川上側の上空からやって来るシュトラールやネヴァンの呼びかけも、どこか遠くに聞こえているような気がする。


(ああ、そうか。そりゃそうだ)


 エンズはここにきてふと、この闘いの前に、スーラを闘わせることを無意識に嫌がっていた理由に気づいた。


(これからもきっと闘わなければいけない時もある。実際、今日はそれを試したんだし。けれどそりゃ、できることなら闘って欲しくないよ。僕は君には笑っていて欲しいんだから)


 不思議がるスーラをよそに、エンズは独りで声をあげて笑った。








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