第6話 <言祝ぐ息吹>──②

「ほらーやっぱり何もいないじゃないっすかあ。ぜってー勘違いですって。帰りましょうよお」


 森の外れ、つい先程までエンズ達が隠れていた茂みの近くで、二人分の足音が止まる。代わりに気の抜けたような若い男の声が辺りに響いた。


「あのなあクッツェ、そういう油断がいっちばん良くねえんだ。そもそもウチの大将の耳の良さはオメエも知ってるだろ?取り越し苦労ならそれで構わねえさ。ざっとでも良い、辺りを探るぞ」


 もう一人分の足音の主が、最初の者より年齢を感じさせる声で返事を寄越した。はげ頭で顔色の悪い壮年の男。山刀を手にした腕は青白い毛で覆われており、何かしらの獣のタダビトであることを窺わせる。


「そうは言ってもセンパイ。この辺り、わざわざ警戒して守るほど金目のモンも女も全然無いじゃないっすか。村とか”不可界”の入り口も見当たらねえし」


 クッツェと呼ばれた若い男が、相変わらず不満を隠せない語調のまま再び口を開いた。その手に武器の類いはない。代わりに赤褐色の分厚い殻で覆われた腕が、沈み始めた陽光に照らされて鈍く光っていた。通常は薬指と小指にあたる部位が異様に発達し、ハサミのような形を成している。”蟹”のタダビトだと誰もが察せる容姿だ。


「しゃあねえだろ。奪りすぎたせいで元いた山の周りの村のやつら、大体皆逃げちまったしよ。それにどっかの街で暮らすんならともかく、今路銀が無いからって死にゃしねえさ。女は……まあ欲しいけどよ」


 はげ頭が前の略奪の”戦利品”らしい、金のごてごてした大きなメダルを指でくるくると器用に回しながら言った。


「俺なんか腕がこれなもんで、うっかりちょん切っても構わんやつにありつきたいっすねえ」


「売るんじゃなければ壊して捨てても構わんだろ。物も女も」


 二人が顔を見合わせて品なく笑う。二人が与する山賊の一団が、さらなる”戦利品”を求めて北からこの周辺までやって来て数週間。実際の所、およそ脅威と言えるものは原野の獣らぐらいなもので、数日前に見つけたこの森での野営も板についていた。


「ほう、君らのボスは耳が良いのか。それは良いことを聞いた」


 ──口先とは裏腹に、はげ頭にも心の奥底では「自分達が今日や明日死にはしない」という油断があった。それ故彼らはエンズが口を開くまで、その存在を気取れすらしなかったのだった。


「……テメェっ!誰だ!」


 はげ頭の男は一瞬動揺したがすぐに持ち直し、短刀を構える。隣のクッツェも同様に自身のハサミを突き出すように身構えた。


「この辺の服装じゃないなあ……ベルグじゃないが、北方か。おおかた、稼ぎを求めて南下してきたな?数は八人で間違いないかな?奥にいるお仲間達の構成を教えてくれないか。その方が手間を省けるんでね」


「ふざけんな!死ねェ!」


 はげ頭が逆手に持った短剣を鋭く振りかぶる。エンズはその場でぐっと沈み込むように避けると男の腕を掴み、呆れたような口ぶりでこう言った。


「この場面で大振りにならないのは戦い慣れている証拠だな。でも……”狼”か?残念、武器より首を噛み砕いた方がまだ僕には効いたのにな。まあ死なないけど」


 はげ頭の視界が反転する。自分が投げ飛ばされたのだと気付く頃にはエンズが馬乗りになり、自身の獲物より小さい──しかし人一人の命を奪うには十分な──ナイフを喉元に突きつけられていた。


「センパイ!」


 エンズは自身に飛びかかろうとするクッツェにナイフを見せ牽制すると、そのままはげ頭に先程の質問を繰り返した。


「もう一度だけ聞く。仲間の構成は?奥にいる奴らだけで全員か?」


 なんて顔してやがる、とはげ頭は思った。今自分に馬乗りになり、この命を手のひらの上に収めているこの若い男。北方で見る雪山のような白い髪の下には、どす黒い”虚無”があった。淡々と人を殺し、自身の前の障害を取り除くことに些かの躊躇いも後悔もないという顔。一体どんな景色を見てくれば、この若さでこんな死神のような顔ができるというのか。


 自身の末路はもはや決まった。


(でもクッツェ、オメエは逃げろ。判断を間違えるなよ……)


 はげ頭は何回か短く息を吐くと、覚悟を決めて森の奥へ叫んだ。


「敵だあああ!かたまれ!最低でも二人いる!俺はもう──」


 助からない、という今際の言葉はエンズのナイフによってその首ごと掻き切られた。


「あ、ああ……あああああ!」


 クッツェが半狂乱になりながら兄貴分の仇の首を片手で挟み込む。エンズを締め上げながら上に持ち上げると、彼の体は宙に浮いた。


「死ねえええええ!」


 ガキンッ!と派手な音がして、とどめを差すはずのクッツェのハサミは微動だにしなくなった。


「あ……?なん、なんで」


 結果的に、はげ頭の最期の願いは正しかったが叶わなかった。エンズと自身の格の差を察して、仇を討とうとするのを止め逃亡に徹する程の打算も冷静さも、今のクッツェには働いていなかった。


「『何で』だって?これは、お前達が今までなぶってきた人々の叫びじゃないか」


 心底つまらなさそうな顔でエンズが言う。スッとナイフをクッツェの首元で横一文字に引くと、自身を拘束する腕もその持ち主もその場にくずおれた。結局クッツェは最期まで、自身が何故しくじったのか知ることはなかった。


 一仕事終えたことをアピールするかのようにパンッと手を打ち鳴らすと、エンズはこっそりハサミの根本に噛ませるように差し込んだ、はげ頭の持っていたメダルを回収した。このメダルがハサミを閉じる邪魔をして、クッツェに致命的な隙を与えたのだった。


「やっぱりこの細工はナスタリのものだな。何代もあの技術を受け継いで来たんだろう、暇人家系め。……子孫の命までは奪られてないと良いんだが」


 かつての知己ちき、その何十代目かの子孫達が作ったのであろうメダルをズボンのポケットにしまうと、今度は別のポケットから握りこぶし程の玉を取り出し、火を着けた。最初勢い良く火花が上がったと思うと、やがて玉から青い煙がもうもうと空に吹き上がった。


「上空の二人への合図はこれでオーケー。後は頼むよシュトラール。もっとも”かたまれ”なんて言ってくれたものだから、だいぶ手間は省けるだろうけど」


 エンズが空から森へと視線を移す。先程始末した二人の通ってきた、森からの道を逆に辿るように、が奥へと続いていた。



 ※



 ──この戦闘に至る十数分ほど前


「いいか、まずは僕が出るから、あらかじめネヴァンとスーラの二人には空中で待機しておいて欲しい。頃合いを見て僕が煙玉で合図を送ろう。それまでは森の奥には向かわなくて良い。どうせ向こうも余程の馬鹿じゃないなら、森の中にいながらわざわざ上から丸見えな場所に陣取らないさ。つまり上からの索敵は意味が薄い」


「となると結局探るのは俺だな。今来てるやつらをエンズが惹きつけている間にそいつらが来た道を辿る。森の中から俺たちの位置にをつけて何人か向かわせてるってことは──恐らく耳だな。聴力の良いやつが中にいる。じゃあなおさら近づくのは音を立てない俺ってことになる」


 エンズの説明にシュトラールが察し良く自分の役割を表明する。二人の会話を聞いて、ネヴァンが少し疑問げに口を開いた。


「でも、ワタシとスーラちゃんが空にいて、エンズは今から来る敵をやっつけるんでしょ?後で駆けつけるにしても、ルーちゃんだけじゃさすがに残りを相手するんはしんどくないかな?スーラちゃん助けた時みたいに開けた場所なら、ワタシも横からお節介かけられたけどさ~」


 ああ、その点は大丈夫、とエンズは説明を続ける。自身の目の前にいる、赤髪の少女を指差しながら。


「今回の切り札はスーラだからね。ネヴァンとシュトラールには攪乱と陽動を担当してもらう」


「……え、ええ!?」


「何だ、不満かい?」


 いたずらっぽく目を細めて笑うエンズと対照的に、スーラは驚きで大きく目を見開く。確かに闘えるといったのは自分だ。だがいきなり、今回もっとも重要な役回りを任されるとはさすがに思ってもいなかった。


「う、ううん……頑張る、ます。頑張れます。あ、あれ?うん?」


「だ、ダイジョブ~!?言葉ヘンになってるよ!?」


『言いだしっぺだしなあ』と思いながらもぐるぐると回る目を修正できずに、心配するネヴァンから肩を掴まれガッタガッタと揺すられながら、スーラはエンズの次の言葉を待った。


「モーソから色々なことを教わったんだろう?その中にこの状況を打開するのにピッタリなものがあったはずさ。力の加減が難しいが、うまくいけば今回みたいな山賊なんかの類いなんて何のことはない、そんなものがね。焦ることはない。落ち着いて、教わった通りにその力を使えば良い。少し僕からも教えよう」


 エンズはスーラを手招きすると、しばらくの間耳打ちした。それは一体何のことかと他の二人が訝しみ始める頃に終わり、エンズは更に一言付け加えた。


「弱すぎるかも、と思うくらいでちょうど良いと思う。いきなり全力なんて使ったら君の喉も保たないかも知れないからね」


 スーラも耳打ちされた言葉を反芻するように目を閉じてブツブツと独り言を呟いていたが、その言葉への返答は忘れなかった。


「わかった。無理はしない。母さんから教わりはしたけど、実践は始めてだし」


「うん、よろしい!では作戦を──」


 エンズの説明を聞きながらスーラは思った。母が日頃の狩りなんかには大きすぎる”この力”をわざわざ教えてくれていたのは、やがて振るう時が来るのを予期していたからなんだろう、と。




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